第30話 ジュリア視点
学園祭が近づき、魔法薬研究会でも、それぞれの研究成果を披露するための準備が進んでいた。薬草を使った虫除けや保存薬、香油など、取り組んでいるものは部員によってさまざまだ。
私は、もちろん美容液だ。
まだ商品として売り出せる段階ではないけれど、学園祭で試作品を展示し、希望者に試してもらって感想を集めることになっている。使用感や香り、見た目についてアンケートも取り、その結果をもとにさらに改良して、いずれは本当に商品化できれば――というところまで話が進んでいた。
「なんとか、それらしいものができてきましたね」
部員の一人が、並べられた小瓶を見ながら満足そうに言う。
「ええ。研究員の方からご意見をいただけたのも大きかったわね」
「本当にためになりました。抽出するときの温度だけでも、あんなに違うなんて」
セドリックが紹介してくれた研究所で聞いた話を思い出す。自分たちだけで試していると気づかないことも多く、専門家の意見は思っていた以上に参考になった。
私は手元のフラスコをゆっくりと振りながら、ふと周囲を見た。
そういえば、ここ数日、殿下を見かけていない。
公務だろうか。それとも、気まずいからだろうか。
あのときの殿下の顔を思い出し、小さく息を吐く。
ただ、最近の殿下を見ていると、以前とは少し違うように思う。自惚れかもしれない。もちろん、婚約者として手放したくないという気持ちが一番大きいのだろう。
それでも以前より少しだけ、殿下自身の気持ちがこちらへ向いているような、そんな感覚があった。
フラスコの中の液体が、ゆらゆらと揺れる。
だからといって、今すぐ何かを変えるつもりはない。
殿下が私をどう思っているのかも大事だけれど、その前に、アイーダへのお気持ちを整理していただかなくてはならない。そこが曖昧なままなら、どんな言葉をいただいても、私には答えられない。
「……液体の見た目も、もう少し考えた方がよさそうね」
隣の部員が試作品の瓶を持ち上げた。
「ですよね。この……どす黒い色は、いくら効果があっても……」
「でも、逆にすごく効きそうじゃない?」
「……そうですか?」
「ほら、良薬っぽいというか」
「僕には失敗したポーションにしか……」
「効果はありますし、これはこれで試作品として置いてみましょうか。アンケートで意外と好評かもしれませんし」
「それはそれで怖いですけどね」
そんな話をしていると、研究室の扉が開いた。
「はい、どうぞ」
入ってきたセドリックが、ずいぶんと立派な薔薇の花束を差し出してくる。
「まあ、セドリック様。ありがとうございます……!」
受け取って、すぐに花を確かめる。
「これ、お願いしていた薬剤を使っていない薔薇よね?」
「せっかく花束にして持ってきたのに、最初に確認するのがそこなんだな」
「だって、もともとそのためにお願いしたじゃない」
「そうだけど。こんな理由で花束を喜ぶ人、初めて見たよ」
セドリックが笑う。
この薔薇から香りを抽出して、美容液に使えないか試してみる予定なのだ。
花を作業台に置いていると、セドリックが思い出したように言った。
「そういえば、聞いた? 殿下のクラス、学園祭で劇をやるらしいよ」
「そうなの?」
「身分違いの恋を扱った、わりと昔からある題材らしいんだけどね」
「それなら、学園祭らしい演目じゃない?」
「まあ、そうなんだけど」
セドリックが少しだけ首を傾けた。
「妙に盛り上がってるんだよね」
「……学園祭だからでは?」
「最近の学園の空気もあるから。なんというか……少し嫌な感じがするというか」
私にも、思い当たることはあった。
廊下ですれ違う際、これまでは自然に道を譲っていた男爵家や子爵家の生徒たちが、わざとこちらの進路を塞ぐように歩くことがある。私が近くにいると分かっていながら、『侯爵令嬢って、本当に便利な肩書きよね』と聞こえるように口にする者まで出てきた。
「殿下はご存じなのですか?」
「知らないと思うよ。西部へ視察に出てるから」
「ああ……それで見かけなかったのね」
公務だったのか。避けられていたわけではなかったらしい。
そこでセドリックがこちらを見る。
「気になる?」
私は少し考えてから、薔薇の茎を一本手に取った。
「……でも今の私が、口を出すことでもないでしょう」
「はは。確かに」
セドリックが楽しそうに笑う。私もつられて笑い、それから薔薇へ視線を戻した。
もっとも、放っておいていい話ではない。今それを収めるべきなのは、私ではないというだけだ。
この学園を創設した先々代国王は、身分も家柄も異なる若者たちが同じ場所で学ぶ以上、学園の中だけは一つの小さな国として扱うべきだと考えた。
生徒同士に大きな対立が生じた場合には、在籍する王族が率先して場を収める。それが、この学園に昔から続く慣例だ。
つまり、今この学園で最も責任を負う立場にいるのは――。
「ここはぜひ、殿下ご自身に収めていただきましょう」




