第25話 ジュリア視点
婚約者として、公的な場へ同席する機会がなくなってから、思っていた以上に時間が余るようになった。
以前は、その合間に当日の資料へ目を通し、出席者について調べ、必要なら衣装を選んだり、話題を用意したりしていた。それが、今はない。
最初の数日は楽になったと思ったが、すぐに落ち着かなくなった。本を読んでいても、まだ何か忘れているような気がする。部屋でゆっくりしていても、本当にこんなことをしていていいのだろうかと、そわそわしてしまう。
せっかく時間ができたのだからと、以前から気になっていた王都の仕立て屋を訪ねてみたり、母と観劇へ出かけたりもした。楽しくはあったが、それも毎日するようなことではない。
結局、空いた時間の多くを、私は魔法薬の勉強に使うようになった。
最初は、美容液を作るためだけのつもりだった。ところが、調べれば調べるほど知らないことが出てくる。
薬草それぞれの性質や効能の組み合わせ、抽出方法による違いに、魔力との相性。一つ知れば、その先にまた知らないことがあった。
もともと凝り性なのは自覚している。美容液の試作でも、ほんのわずかに配分を変えたものを何種類も作って比較していると、研究会の部員から呆れられた。
「そこまで変えなくても、大して違わないんじゃないですか?」
「わかりませんよ。もしかしたら、完璧な配合が出来上がるかも……!」
「はぁ……」
ため息をつかれたけれど、気になるものは仕方がない。気がつけば、研究会の活動日でもないのに関連書籍を読んでいることも増えていた。
そして今日は、学園内にある薬草園まで足を運んでいる。ここへ来るのも、もう何度目か分からない。
ただ、今日はいつもとは違う。先日、本で覚えた薬草を、今度こそ自分の力だけで見つけてみようと思っていたのだ。
「……よし」
最後の確認を終え、ぱたんと本を閉じる。
葉の形も、茎の色も、生えやすい場所も覚えた。これなら、きっと分かる。
そう意気込んで植え込みの間を覗き込んでいた、そのときだった。
「ジュリア。これじゃないか」
「……」
顔を上げると、レイナルド殿下が離れたところで生えている一株を指していた。
「葉の裏がわずかに白い。茎も本にあった特徴と同じだ。これだろう?」
じっと観察してみる。確かに、探していた薬草だった。
「……そうですね」
私は薬草をしばらく見つめ、それから殿下へ視線を移した。
「殿下……なぜいらっしゃるのですか?」
「君が興味を持っているものを、俺も知ってみようと思ってな」
ずいぶんと堂々と言われた。
「……殿下」
「何だ?」
「邪魔です」
殿下の表情が止まった。
「……え?」
「わたくし、今日は自分で薬草を探しに来たのです。殿下が先に見つけてしまったら、意味がありません」
「……そうか。邪魔をしたな」
間を置いて、殿下は立ち上がった。
「では、帰る」
「はい。お気をつけください」
そのまま薬草園の出口へ向かっていく。その背中が、なんとなくいつもより小さく見えた。
……きつく言いすぎたかしら。
そう思いながら見送っていると、殿下は薬草園を出ていった。ところが、扉の向こうからこちらを見ていた殿下と目が合った途端、何事もなかったように視線を逸らされた。
……何なの、あの方。
帰ったのではなかったのか。
私は息を吐き、もう一度植え込みへ向き直った。集中しなくては。
目の前の薬草に触れ、葉や茎を確認する。
「……ふふ」
扉の向こうから、そっとこちらを覗いていた殿下の姿が頭に浮かび、思わず口元が緩んだ。
◆
「殿下、採取終わりました」
声をかけると、扉の向こうにいた殿下が、目に見えてほっとした顔をした。
「そうか」
すぐにこちらへ戻ってくる。私の手にしていた籠を見ると、殿下は少し迷うような間を置いてから、手を差し出した。
「持とう」
「……ありがとうございます」
籠を渡しながら、なんとなく殿下の横顔を見る。
以前だって、殿下が私をぞんざいに扱っていたわけではない。婚約者として必要な場ではきちんとエスコートしてくださったし、公務の最中なら気遣われることもあった。
けれど、今のこれは違う。殿下自身が、私のために何かしようとしてくださっている。
そう思うと、くすぐったいような気持ちになった。
「研究の方は順調なのか?」
しばらくして、殿下が尋ねた。
「ええ。美容液の方も少しずつ様になってきました。それに、セドリック様が公爵家と縁のある研究所を紹介してくださるそうです」
「……セドリックが?」
「はい。もし希望するなら、そちらの研究員の方に一度見てもらえるよう話をしてくださるとか。専門の方から意見をいただけるなら、とても勉強になりますわ」
「そうか」
妙に短い返事だった。横を見ると、殿下は前を向いたまま、難しい顔をしている。
「……仲がいいんだな」
「セドリック様とですか?」
「ああ」
「そうですわね……最初は、正直なところ少し苦手でしたけれど」
「苦手だったのか?」
「ええ。何を考えているのか分かりませんし、いつも軽い調子でいらっしゃるでしょう? でも、話してみたら意外と楽なのです」
「……楽?」
「はい。思ったことをそのまま言ってくださいますし、こちらもあまり構えなくていいので」
殿下が黙った。
何か変なことを言っただろうか。いくら親しくなったとはいえ、公爵令息を相手に「楽」などと言うのは、さすがに失礼だったかしら。
そう思っていると、
「……俺より?」
「え?」
思わず立ち止まると、殿下も一歩遅れて足を止めた。
「いや……その」
珍しく、言葉に詰まっている。
「俺と話すより、セドリックと話す方が楽なのかと思って」
「……」
ぽかんと殿下の顔を見つめてしまった。この方が、そんなことを気にするなんて。
私がどう感じているのかなど、以前は尋ねられたこともなかった。
嬉しい――少し前までの私なら、真っ先にそう思っただろう。
殿下が、私とほかの男性との仲を気にしている。それだけで舞い上がっていた。
でも今は、それだけで何もかも忘れられるほど単純ではなかった。
私はもう、殿下の機嫌を損ねないように言葉を選ぶ必要はない。婚約を守るために、何でも呑み込む必要もない。
「……どうして、気になるのですか?」
「当たり前だろう。婚約者が他の男と親しくしていたら、気になる」
そう言ってから、殿下の表情が止まった。私も殿下をまじまじと見てしまった。
そんなことを、この方も思うのだ。
「そうですか」
笑ってしまった。
「殿下も、そういうことを気になさるのですね」
「……ジュリア」
「少し意外でした」
そう言ってから、私は殿下を見る。
「ですが殿下。婚約解消は、すでに陛下にもお認めいただいております」
「まだ正式には解消されていないだろう」
ほとんど間を置かずに返ってきた。
「それは、そうですけれど……」
「なら、まだ婚約者だ」
きっぱりと言われて、今度は私が黙る番だった。
……そこを、そんなに主張なさるのね。
ならば、ともう一つ尋ねる。
「では、正式に婚約が解消されたら、気にならなくなるのですか?」
「……」
「殿下?」
「……それは」
ひどく困った顔をしている。
その顔を見ながら、私は何も言わずに待った。




