第23話 レイナルド視点
魔法薬研究会を出てからも、ジュリアに言われたことが頭に残っていた。
……自分の問題の後始末ができていないと、婚約を解消されようとしている相手に指摘されるなんて。
さすがに、まずいのではないだろうか。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、後ろから軽い声がした。
「殿下、お疲れですね」
振り返ると、セドリックが楽しそうに笑っていた。
「顔に出てますよ。珍しい」
「出ていない」
「そういうことにしておきますか」
相変わらず腹の立つ男だ。
隣に並んだセドリックを見て、ふと思う。こいつが以前からジュリアを気にかけていたことは、もう分かっている。婚約解消の件で動いていたことにも、理由はある。
だが――。
「お前、なぜ研究会にまでいるんだ?」
「今さらですか?」
「魔法薬に興味があったわけではないだろう」
「まあ、そうですね。殿下ほどはありません」
セドリックは悪びれる様子もなく頷いた。
「ジュリア嬢が入ると言うから、私も参加してみようかと思っただけですよ」
「……ジュリアが入るから?」
「ええ。実際、彼女は面白いですよ。あの美容液もそうですけど、ジュリア嬢って思ったより大胆なことを考えるんですよね。作るだけじゃなく、売るところまで考えてるし」
「……そうなのか」
「話してみると、結構楽しいですしね」
その言い方に、なぜか引っかかった。
セドリックは俺の顔を見て、口元を緩める。
「ジュリア嬢、いいですよね」
一瞬、返事が遅れた。
「……何がだ」
「何がって……頭はいいし、話していて面白いし、一緒に何かやると楽しい。それに美人ですし」
……別に、おかしなことは言っていない。
話せば相手に合わせられるし、研究会の部員たちとも楽しそうにしている。婚約者として隣に立つ彼女を見て、見劣りすると思ったことなど一度もない。
だから、セドリックが同じように思ったところで何も問題はない。ないはずなのだが。
「……そうか」
「そうですよ。それに、もうすぐ婚約も解消されるんでしょう?」
「まだ解消されていない」
即答すると、セドリックが目を瞬かせ、それからにやりと笑った。
「そうでしたね」
「何が言いたい」
「いえ、別に。それでも婚約がなくなれば、当然、彼女は誰と親しくするのも自由です」
「分かっている……」
そのはずなのに、セドリックがジュリアと楽しそうに話している姿を思い浮かべると、なぜか面白くなかった。
「レイ!」
今度は廊下の向こうから明るい声がして、振り返る。アイーダがこちらへ駆けてくるところだった。
「レイ、よかった……! まだ帰ってなくて」
俺の前まで来ると、ほっとしたように笑う。
その隣で、セドリックが笑顔を浮かべたまま、小さく呟いた。
「……まだ愛称なんですね」
「……」
その一言が、思いのほか刺さった。距離を置いたつもりでいた。だが、周囲から見れば何も変わっていないのだ。
「あのね、私、レイに言いたいことがあって……」
アイーダは俺たちの様子には気づかず、胸の前で手を握った。
「私、待ってるから!」
「……待つ?」
「うん! レイがちゃんと自由になるまで、私、待つことにしたの」
先ほどのジュリアの言葉が蘇った。
――アイーダ様は、殿下がわたくしとの婚約から解放されれば、ご自分に求婚なさると思っていらっしゃいますよ。
まさか。本当に、そう思っているのか。
――まだ愛称なんですね。
アイーダがそう思ったのは、本当に彼女だけの思い込みなのだろうか。
いや。俺が、そう思わせたのではないか。
その先を考えないまま、期待させるような距離だけは許していた。
――曖昧なまま期待させるのは不誠実です。
ふと横を見ると、セドリックは笑っていた。だが、目だけは笑わず黙っている。
何を言いたいのかは分かった。
「アイーダ。少し、話をしよう」
「うん」
嬉しそうに頷くアイーダを見て、胸が痛んだ。
「セドリック。お前も来てくれ」
「私もですか?」
「ああ」
人の少ない談話室へ場所を移し、扉は開けたままにした。セドリックには少し離れたところにいてもらう。
向かいに座ったアイーダは、どこか期待したような顔をしていた。その表情を見ると、余計に言いづらい。だが、ここでまた曖昧にするわけにはいかなかった。
「アイーダ。待つ必要はない」
「え?」
「俺とジュリアの婚約が解消されたとしても、俺が君に求婚することはない」
アイーダの笑顔が消えた。
「……どうして? だって、レイ……私のこと、好きなんでしょう?」
「……好意はある」
ぱっとアイーダの顔が明るくなる。
「だったら――」
「だが、それと君を王太子妃にすることは別だ」
「……え? そんな、どういうこと……?」
「俺は最初から、君を王太子妃にするつもりではなかった」
「でも……ジュリア様との婚約があったからでしょう?」
「違う。ジュリアとの婚約がなくなったとしても同じだ」
アイーダは何も言わなかった。目に見えて混乱している。
「俺はそのつもりがないのに、君がその先を期待するような距離を、俺自身が作った」
口に出してみると、ひどく身勝手な話だった。
「好きだから近くにいたかった。だが、その先を考えないまま、それだけを許していいはずがなかった。不誠実だった。すまなかった」
アイーダが俯く。
「それから、これから人前ではレイナルド殿下と呼んでほしい」
「……レイ?」
その呼び方に、胸の奥が疼いた。何度も聞いてきた。そう呼ばれるのが嬉しかった。
だからこそ、ここで終わらせなければならない。
「その呼び方も、やめてくれ」
アイーダは何も答えなかった。
しばらくして彼女が談話室を出ていくと、俺は長く息を吐いた。
「……何だ」
見ると、セドリックがこちらを見ている。
「いえ。ようやく、ご自分で後始末をされたなと思いまして」
「殴るぞ」
「元気になったなら何よりです」
言い返す気力もなく、椅子の背にもたれた。
まったく。こんな間抜けな後始末まで、自分でしなければならないとは。
……いや。
そこで、ふと引っかかった。
自分で?
もし、ジュリアとの婚約がこのまま続いていたら。俺がアイーダとの距離を曖昧にしたまま卒業していたら、その後、この問題はどうなっていた?
父上か。母上か。王宮の誰かが動いただろうか。
いや。おそらく、一番先に動いたのは――ジュリアだ。
周囲に広がった噂を収め、俺とアイーダが不用意に近づかないよう手を回す。
先ほどのジュリアの言葉を思い出す。
『気づかれないように隠していましたから』
背筋が冷えた。
あいつなら、やる。俺の知らないところで片づけて、それを俺には悟らせない。
そして俺はきっと、何も問題など起きていなかったのだと思う。
「……セドリック」
「はい?」
「どうすれば、ジュリアに許してもらえると思う」




