第22話 レイナルド視点
婚約解消の話が出てから、初めてジュリアを伴わずに公の場へ出ることになった。
地方から王都を訪れている貴族たちとの昼餐会で、特に難しい公務ではない。出席者の名前も家族構成も領地の状況も、事前に渡された資料にはすべて目を通していた。
「殿下。このたびはお招きいただき、光栄にございます」
最初に挨拶へ来たのは、南部に領地を持つシュテルン伯爵だった。
「遠路ご苦労だった。昨年の水害で被害を受けた西側の橋は、復旧したと聞いている」
シュテルン伯爵の顔が明るくなる。
「はい。おかげさまで春には開通いたしました」
「今年は南部の降雨量も多い。第二水路の工事は予定通り進んでいるのか?」
「殿下がそこまでご存じとは」
まあ、報告書を読んだからな。
シュテルン伯爵は嬉しそうに領地の状況を話し始めた。俺は必要なところで質問を挟みながら、その話を聞く。
問題はない。いつも通りだ。
ただ、話が一段落したところで、ふと間が空いた。
伯爵はまだこちらを見ている。俺も伯爵を見る。
……次は何を話せばいい。
領地の話は終わった。伯爵の息子が昨年騎士団へ入ったことも知っているが、それを聞けばいいのか。
そう考えているうちに、傍らにいたヴァイス伯爵令嬢が口を開いた。
「そういえばシュテルン伯爵夫人は、今年も王都の音楽会へいらっしゃるのでしょうか?」
「ああ、妻から聞いております。大変楽しみにしているようで」
そこからまた話が続いていく。
今回、ジュリアの代わりに俺に同行しているヴァイス伯爵令嬢は、王妃付きの女官として何度も公の場へ出ている。俺より年上で、社交にも慣れていた。母上が選んだだけあって、そつがない。
シュテルン伯爵夫人の話から王都の音楽会へ、その出演者から南部出身の音楽家へと話題をつなげていく。
十分に上手い。
それなのに、なぜか引っかかった。
ジュリアなら、今の話題を俺へ振った。
南部出身の音楽家については、昨年、王立劇場への助成金を見直した際に資料を読んでいる。
『殿下、あの方は昨年、王立劇場でも演奏されていましたわね』
おそらく、そんなふうに言っただろう。そうすれば俺が答え、伯爵もまた話へ加わる。
そんなことを考えている間に、次の客が挨拶へ来た。今度は東部のコーデン侯爵夫妻だった。
ヴァイス伯爵令嬢は夫人の衣装を褒め、最近王都で流行している刺繍の話を始めた。夫人も楽しそうに応じている。
俺はその会話を聞いていた。
ただ、俺が話すことがない。
次の相手でも、その次でも同じだった。
ヴァイス伯爵令嬢は話題を切らさない。相手が何を話したがっているかもある程度見ているし、場の雰囲気も崩さない。
ただ、俺へ話を振るときだけ、ほんの少し間ができる。俺が何について詳しいのか、何なら会話に入れるのかを探しているのだろう。
当然だ。俺が何を知っているかなど、すべて把握している方がおかしい。
なのに、ジュリアは知っていた。
政治の話なら、どこまで俺が資料を読んでいるか。歴史の話なら、何に興味を持つか。芸術の話なら、どの程度までなら俺が応じられるか。
俺が答えやすいところまで話を運び、自然にこちらへ振る。俺が必要なことだけ答えれば、そのあとの相手の反応はジュリアが拾った。
『それは大変でしたでしょう』
『まあ、それは奥様もお喜びになったでしょうね』
俺なら思いつかない一言を挟み、相手の反応を受け止め、それからまた俺が答えられる話へ戻してくる。
そうしているうちに、いつの間にか会話が出来上がっていた。
ジュリアが俺の不得手な部分を補ってくれていることは、昔から分かっていた。社交が得意で、優秀なのだと思っていた。
ただ――それがジュリアにとって、どれほど負担になっていたのかまでは考えたことがなかった。
一人の伯爵が、長々と狩猟の話を始めた。
俺は相槌を打ちながら聞いていたが、どうやら話を終える気配がない。ヴァイス伯爵令嬢も何度か口を挟もうとしているものの、入る隙を見つけられないようだった。
ジュリアなら、と考える。
伯爵が一度息を継いだところで、別の出席者へ話を振るだろう。その者の領地でも同じ魔獣が問題になっていたはずだと話題をつなぎ、伯爵の機嫌を損ねないまま会話の中心を移す。
たぶん、そんなことをする。
俺は仕方なく、自分で口を開いた。
「そういえば、グレイン子爵領でも今年は魔獣による被害が増えていたな」
「ええ、殿下。よくご存じで」
そこでようやく、話が別の相手へ移った。
……面倒だ。
昼餐会が終わり、控えの間へ戻ったところで、思わず息を吐いた。
「疲れた……」
上着を脱ぐと、側近のエドガーが受け取りながらこちらを見る。
「珍しいですね。殿下が昼餐会のあとに、そこまでお疲れになるとは」
「……そうか?」
「ええ。もっと長い公務でも、あまり仰らないでしょう」
言われてみれば、そうかもしれない。
ヴァイス伯爵令嬢も、よく務めてくれた。決して不得手だったわけではない。むしろ、あれで十分に上手いのだ。
それでも、ジュリアと一緒のときとは違った。
「……やはり、ジュリアがいい」
ぽつりと口にしたところで、視界の端にエドガーの顔が入った。
妙に怪訝そうな顔をしている。
「……何か言いたげだな」
「いえ、何も」
絶対に何か思っている。
だが、今は追及する気にもならなかった。
それよりも、別のことが引っかかる。
ジュリア自身は、あれを楽にやっていたのだろうか。
今まで、考えたこともなかった。
◆
翌日、研究会へ顔を出すと、ジュリアはいつもの席で薬草を細かく刻んでいた。
昨日の昼餐会のことが頭から離れず、俺は向かいに座ってから、以前の社交について尋ねてみた。
「え? 疲れましたよ?」
あまりにもあっさり返されて、今度はこちらが言葉に詰まった。
「特に最初の頃は、帰るとぐったりしていました」
「そうだったのか……」
「気づかれないように隠していましたから」
ジュリアは何でもないことのように答えると、また薬草へ視線を戻した。
「では、どうしてあれほど自然にできたんだ?」
「家庭教師についていただいて、練習しましたから」
「家庭教師? 社交のか?」
「ええ。とても優秀な先生で、複数人での会話の回し方や、話題を変えるタイミング、どなたに話を振れば角が立たないか、相手のお話が長くなったときの切り上げ方なんかも教えていただきました」
ジュリアは指を折るようにして挙げていく。
「殿下へお話を振る練習もしましたよ」
「俺に?」
「殿下は興味のない話題ですと、二言ほどで終わらせてしまわれることがありますから」
「……」
否定できない。
「……最初からできたわけではなかったんだな」
「当たり前です。わたくしだって、何でも最初から上手にできるわけではありませんよ」
呆れたように言ったあと、ジュリアはふっと笑った。
「……殿下に気づかれなかったのでしたら、なかなかの腕前でしょう?」
「ああ。かなり」
それは即答できた。
「でしたら、練習した甲斐はありました」
そう言って、ジュリアはまた笑った。
――俺は今まで、この笑顔をそのまま受け取っていたのか。
胸の奥が苦しくなる俺には気づかず、ジュリアは何事もなかったように作業へ戻った。
薬草を小皿へ移したところで、ふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば殿下。アイーダ様とは、きちんとお話ししましたか?」
突然名前が出てきて、手が止まった。
「話したが」
「アイーダ様は、殿下がわたくしとの婚約から解放されれば、ご自分に求婚なさると思っていらっしゃいますよ」
「……何?」
思わず聞き返した。
「なぜそうなる」
「殿下がアイーダ様をお好きだからでしょう」
「だが、それと王太子妃にすることは別だ」
「ええ。わたくしもそう申し上げましたが、アイーダ様はそう思っていらっしゃらないようです」
「……」
ジュリアは刻んだ薬草を秤に載せながら続ける。
「殿下がアイーダ様に好意を示しながら、その先に何もお考えでないのでしたら、曖昧なまま期待させるのは不誠実です。それに、わたくしとの婚約が正式に解消されたあともアイーダ様だけを特別に扱い続ければ、周囲は当然、彼女が次の王太子妃候補なのだと受け取ります」
「……そうだな」
「今は学園内の噂で済んでおりますが、このままでは王家の醜聞になりかねません」
そこでようやく、ジュリアがこちらを見た。
「少なくとも、アイーダ様を王太子妃として迎えるおつもりがないのでしたら、そのことだけは殿下ご自身から、明確に申し上げた方がよろしいかと」
「……分かった」
ジュリアはそれ以上何も言わず、また薬の調合へ戻った。
俺も資料へ目を落としたが、文字はなかなか頭に入ってこなかった。




