第20話 ジュリア視点
私はアイーダについて教室を出た。
リズベットは何か言いたそうな顔をしていたものの、こちらを一度見ただけで口を挟まなかった。ただ、アイーダ嬢へ向ける視線だけはずいぶん厳しかった。
そういえば、アイーダ嬢と二人きりになるのは、これが初めてかもしれない。
考えてみれば、私は彼女のことをほとんど知らない。知っているのは、人づてに聞いた話や、殿下から聞かされたことばかりだ。
殿下から聞く彼女は、いつも明るく、誰とでも気さくに話す令嬢だった。身分の違いをあまり気にせず、良くも悪くも貴族らしくないところがあるらしい。
殿下は、そんな彼女のことを楽しそうに話していた。
そんなことを思い出しているうちに、アイーダ嬢は校舎の裏手にある庭へ入っていった。
周囲を見回し、誰もいないことを確かめてから、こちらへ向き直る。
「あの……まず、ごめんなさい。私のことで、ジュリア様が嫌な思いをされたんですよね」
範囲が広すぎる。
何を指しているのだろうと、本気で考えてしまった。
「どのことでしょうか?」
「え?」
今度はアイーダ嬢が目を丸くした。
「あ……その……レイ……殿下と私がお似合いだとか、私の方が王太子妃に相応しいとか、そういうことを、みんなが言っていたことで……」
「ああ。それでしたら、別に気にしていません」
「……本当ですか?」
「はい」
前半は、もちろん気分のいい話ではなかった。
ただ後半については、王太子妃になるためにどれほどの教育を受けなければならないかなど、実際に候補となった者でもなければ知る機会はほとんどない。
学園の生徒たちが、普段目にする振る舞いだけで好き勝手に評価する程度なら、まだ笑って聞き流せる話だった。
するとアイーダ嬢は、目に見えてほっとした。
「よかった……。私、ずっと心配だったんです。私のせいでジュリア様が婚約を解消したんじゃないかって」
「……」
間違ってはいない。
ただ、おそらく彼女が考えている意味とは、ずいぶん違う。
何と答えるべきか迷っていると、アイーダ嬢が一歩こちらへ近づいた。
「だったら、ジュリア様からレイに言ってあげてもらえませんか?」
「何をですか?」
「もう、自分を責めなくていいって」
意味が分からず、私は瞬いた。
アイーダ嬢は言いにくそうに唇を結んだあと、それでも意を決したように口を開いた。
「レイ、私のことが好きなんです」
返す言葉が見つからなかった。
随分とはっきり言うものだ。
話している相手は、まだ正式には殿下の婚約者である私だ。そして貴族令嬢ともあろう者が、王太子との恋愛事情をここまであけすけに語るものなのだろうか。
「私もレイが好きです。でも……ジュリア様との婚約を解消するつもりはないって。王太子として、そんな無責任なことはできないって」
「そうですか」
「レイは責任感が強い人だから」
アイーダ嬢の声には、どこか誇らしげな響きさえあった。
「自分の気持ちより、王太子としてやらなくちゃいけないことを選ぼうとしてるんだと思います。でも、ジュリア様はもう、レイとの婚約を解消したいんですよね?」
「ええ」
「だったらジュリア様から、レイに言ってあげてください。本当に婚約を解消したいんだって。そうすればレイも……自分の気持ちを諦めなくて済むと思うんです」
私はしばらく、アイーダ嬢の顔を見つめた。
殿下といい、アイーダ嬢といい、どうしてこう、自分に都合のいいところだけを拾うのだろう。
……いや、少し違うか。
アイーダ嬢は、私の気持ちを考えていないわけではない。ただ、その気持ちが何によって生まれたものなのかを、自分が理解できる形に当てはめてしまっているようだ。
「アイーダ様は、わたくしと殿下の婚約が解消されたら、どうされるおつもりなのですか?」
「どうって……」
アイーダ嬢は考えるように視線を上げた。
そして、ぱっと顔を明るくする。
「レイ、きっと私にプロポーズしてくれると思います!」
……本気で言っているのだろうか。
「だから私は、待っているだけというか……。レイがちゃんと自由になったら、そのときに……」
そう言いながら、アイーダ嬢は頬を赤らめ、恥ずかしそうに視線を落とした。
なぜ、そこへ行き着くのか。
いや、本人たちは想い合っているのだから、アイーダ嬢にとっては自然な結論なのかもしれない。
それにしても。
学園では礼儀作法だけでなく、貴族社会の仕組みについても学ぶはずだ。まして子爵家の養女となった彼女には、その立場に合わせた教育も組まれているだろう。
王族の婚姻が、本人同士の好意だけで決まるものではないことくらい、どこかで教わる機会はあるはずなのだが。
もし本当に習っていないのなら、学園の教育課程を一度見直した方がいいのでは――。
そこまで考えて、私は思い直した。
いや……私はもう、殿下の婚約者ではなくなる。
アイーダ嬢が何を考えようと、殿下とこの先どうなろうと、私には関係のないことだ。わざわざ私が教えるようなことでもない。
……ないのだが。
目の前にいるのは、今や同じ貴族社会に身を置く子爵令嬢だ。
ノブレス・オブリージュの考えに従えば、侯爵家の娘として、明らかな思い違いをしている令嬢をそのままにしておくのも違う。
「アイーダ様。たとえ、わたくしと殿下の婚約が正式に解消されたとしても、殿下が次にあなたと婚約なさるとは限りません」
「……え?」
アイーダ嬢が目を丸くする。
「おそらく王家は、改めて王太子妃となる令嬢を探されます。家格はもちろん、王太子妃として必要な教育を受けているか、能力や適性はあるか、国内外の貴族家との関係はどうか。そうしたことを含めて判断されるでしょう」
「でも……レイは、私が好きなんですよ?」
「殿下があなたをお好きなことと、あなたが王太子妃に選ばれることは、別の話です」
アイーダ嬢は、ぽかんと私を見つめた。
どうやら、本当に別の話だとは考えたことがなかったらしい。
「……殿下が、どうしてわたくしとの婚約を解消したくないとおっしゃったのか、一度考えてみてください」
「どうしてって……」
「お分かりにならないのでしたら、殿下ご本人にお尋ねになるのが一番でしょう」
それだけ告げて、私は一礼した。
「では、失礼いたします」
アイーダ嬢はまだ何か言いたげだったが、私はそのまま踵を返した。
全41話、今後毎日1話ずつ投稿予定です。
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