第19話 ジュリア視点
翌日の昼休み、教室へ戻るとリズベットが私の顔を見るなり肩を震わせた。
「くくっ……」
「何がおかしいの?」
「……あの方、本当にすごい人なのに、こういうところだけ驚くほどしょうもないわね」
あまりの言いように苦笑しながら、私は席についた。
「……否定できないわ」
「でしょう? つい昨日までアイーダ嬢と親しくしている姿を学園中に見せていたのに、婚約解消の噂が広まった途端、今度はジュリアのいる研究会でしょう? 周りからどう見えるか、まだ分かっていないのかしら」
「言い方が悪いわよ」
「でも、間違ってる?」
「……間違ってはいないけれど」
そうなのだ。
殿下自身は、そんなつもりではないのだろう。けれど周囲から見れば、これまでアイーダを特別扱いしていたことを、自分で認めているようなものではないだろうか。
「それで?」
リズベットが机に頬杖をつき、にやりと笑う。
「正直なところ、どうなの? 嬉しい?」
「どうしてそんなことを聞くのよ」
「ちょっとにやけてるから」
「嘘でしょう」
「つまらないわね」
リズベットは笑ったあと、ふと思い出したように言った。
「まあ、アルバイン侯爵家との婚約が解消となれば、王家としても困るでしょうね。ジュリアの後釜なんて、今さら簡単には見つからないでしょうし」
レイナルド殿下の王太子妃候補は、当初こそかなりの人数がいた。
しかし、殿下自身があまりにも高い水準で何でもこなす人だったこともあり、その隣に立つ王太子妃にも、次第に同じような能力が求められるようになっていった。
外国語を二か国以上修めているのは当然。外交儀礼に国内法、国際法、経済、歴史、各国の宮廷作法まで、求められるものは多岐にわたった。
王妃様が候補者だった頃でさえ、そこまで要求されたわけではないという。
けれど殿下は、候補者の資料を見て、
『外国語は一か国だけなのか』
『法学は基礎までなのか』
と、悪気なく首を傾げたらしい。
殿下にとっては、どちらもすでに身につけていることだった。そのため、宰相をはじめとした周囲は、それもまた殿下と並び立つ妃に求められる水準なのだと受け取った。
結果として選考基準は少しずつ上がり、途中で辞退する令嬢も少なくなかった。
そして、最後まで残ったのが私だった。
殿下本人は、そのほとんどを当然のように身につけていた。だからきっと、本気で何が大変なのか分かっていなかったのだろう。
私だって、随分苦労した。
候補者だった頃は、通常の学業に加えて、語学や法学、外交儀礼など、選考のために求められる勉強を続けていた。正式に婚約者となってからは、そこへ本格的な王太子妃教育まで加わった。
一時期は、眠れる時間が四時間ほどしかない日さえ珍しくなかった。
「ジュリアも、よく耐えたわよね」
リズベットが呆れたように言う。
「……私も、囚われていたからね」
「何に?」
「思い出に」
王太子妃候補だった頃、殿下と二人で話す機会があった。
まだ候補者の一人にすぎなかった私は、何を話せばいいのか分からず、思い切って尋ねたのだ。
『殿下は、どのような方を王太子妃に望まれているのですか?』
殿下は少し考えたあと、こう答えた。
『国のことを一緒に考えられる相手がいい』
そして、言葉を続けた。
『俺一人で考えられることには限界がある。意見が違っても構わない。国のために何が必要なのか、一緒に考えられる人がいい』
当時の私は、その言葉にひどく感銘を受けた。
ただ自分に従う妃を求めているのではない。一緒にこの国の未来を考えられる相手を求めている。
同じ年頃の令息たちが夜会や狩りの話をしている中で、殿下はもう、この国の未来を見ていた。
この方の隣に立ちたい。
この方と一緒に、この国のことを考えられる人になりたい。
そう思った。
だから、どれほど勉強が大変でも頑張れた。
あのとき見た殿下の姿を、私はずっと追いかけていたのだと思う。
「なるほどねえ」
リズベットがどこか納得したように頷いた。
「でもまあ、殿下はそこだけはきっぱり線を引いていたみたいね」
「何が?」
「アイーダ嬢のことよ。あれだけ親しくしていたのに、王太子妃にしたいとは一度も言っていないんでしょう?」
「……そうみたい」
だから、殿下にとっては、アイーダを好きなことと、私と結婚することは別の話だったのだ。
殿下の中では、本当に矛盾していなかった。
だから私も最初は、受け入れようとした。
「でも……相手の方も、そうなのかしら」
「え?」
リズベットの視線が、私の背後へ向く。
つられて振り返ると、教室の入口に一人の令嬢が立っていた。
アイーダだった。
私と目が合うと、彼女は少し緊張したように胸の前で手を握る。それから意を決したように、こちらへ歩いてきた。
「ジュリア様」
教室中の視線が、一斉に彼女へ集まる。
「少し、お話ししてもいいですか?」




