第13話 アイーダ視点
「この子には、かなり高い魔法適性があります」
そう言われても、最初は何のことかよく分からなかった。
魔法の適性があれば、貴族家の養女となり、専門的な教育を受けられるという。
けれど私は、別に貴族になりたいと思ったことなどなかった。優しい父と母と一緒に、パン屋で暮らしていければそれでよかった。
それでも父は言った。
「行ってこい、アイーダ」
母も、泣きながら笑っていた。
「せっかく持って生まれたものなんだから。やれるところまでやってみなさい」
そうして私は、地方のベクター子爵家へ養女として迎えられた。
最初は寂しかった。
家は信じられないくらい広いし、自分の部屋まである。毎日違う、お姫様みたいな服を着せられ、食卓には実家ではお祭りの日にしか見なかったような料理が並んだ。
生活が一気に変わりすぎて、しばらくは落ち着かなかった。
それでも、ベクター家のお父様もお母様も優しい人で、本当に娘が一人増えたように大切にしてくれた。貴族としての礼儀や作法はきちんと教えられたけれど、家の中まで堅苦しいわけではなかった。
お父様もお母様も、私が少しくらい失敗しても「最初から全部できる者などいない」と笑ってくれたし、年の離れたお兄様は特に私をかわいがってくれた。
「家の中でまで、そんなに堅苦しくしなくていいさ」
「そうなの?」
「もちろん。外で必要なときにちゃんとできればいいんだよ」
「うん!」
そんなふうに言われ、私もすぐに気が楽になった。
勉強も、始めてみれば思っていたよりずっと楽しかった。
魔法の基礎に歴史、礼儀作法、貴族社会の仕組み。知らなかったことを覚えるたび、それまで見えなかった世界が広がっていくようだった。
教師から褒められることも増え、それが嬉しくて、私はますます勉強にのめり込んだ。
ただ、礼儀作法だけは、なかなか先生の思うようにはいかなかったらしい。
ある日の授業で、先生にため息交じりに言われた。
「アイーダ様は、本当に覚えだけはよろしいのですが……もう少し、考えてから口になさる癖をつけましょうね」
その日の夕食で、お父様に尋ねられた。
「今日は先生に何と言われたんだ?」
私は少し考えた。できれば、褒められたことを話したかった。
「覚えがいいって言われた!」
「おお、そうか」
お父様が嬉しそうに笑い、それを見て私も嬉しくなった。
そんなある日、お父様が私の成績表を眺めながら言った。
「アイーダ。これなら王立学園を受けてみてもいいんじゃないか?」
「……王立学園?」
王立学園は、王族や高位貴族の子女も通う、この国で一番の学園だ。
「十分狙えると思うぞ」
元パン屋の娘だった私が?
半信半疑のまま勉強を続け――本当に合格してしまった。
そして迎えた、入学の日。
私は朝からずっと緊張していた。
お父様もお母様も領地を長く空けられず、入学式には来られなかった。地方から来る生徒では、そう珍しいことでもないらしい。
寮へ荷物を置き、案内図を片手に校舎の中を歩く。
「……広い」
とにかく広い。ベクター家のお屋敷がいくつ入るんだろうと思うほどで、少し気を抜けば、自分がどこにいるのか分からなくなりそうだ。しかも、床も壁もぴかぴかで、思わず歩くのを躊躇うくらいだった。
「えっと……こっちが教室棟で……?」
地図と廊下を交互に見ながら歩いていた、そのときだった。
すれ違った男子生徒の顔が妙に気になり、思わず振り返る。
向こうも立ち止まっていた。
すごく背が高くなっている。制服もよく似合っていて、金色の髪に青い目。びっくりするくらい綺麗な顔をしていた。
その顔を見つめているうちに、遠い記憶がゆっくりと浮かび上がってくる。
まだ私が小さかった頃。
町へ来ていた、少し変わった男の子。
身なりがよかったから、どこかのお金持ちの子なのだろうとは思っていた。一緒に遊んで、本を読んでもらって。
でも、そのうち会えなくなって、いつの間にか思い出すこともなくなっていた。
「……レイ?」
「……アイーダ」
名前を呼ばれて、胸が跳ねた。
「レイ……? 本当にレイなの?」
間違いない。
昔、一緒に遊んだレイだ。
ただし、記憶の中の少年とはあまりにも違っていた。
――何これ。
ものすごく格好よくなってる。
昔から綺麗な顔だとは思っていたけれど、何年か見ない間にとんでもないことになっていた。
思わず本人にもそう言ってしまった。
するとレイは、昔と同じように笑った。
それだけでも驚いたのに、そのあと、もっと驚くことになった。
「ええっ!? レイって王子様だったの!?」
「正確には王太子だ」
「もっとすごいじゃない!」
本当に声がひっくり返った。
昔、一緒に木の実を拾った男の子が王太子。
誰が想像するというのだ。
慌てて礼を取ろうとした私を、レイは止めた。
「昔と同じでいい」
「でも……」
「俺がそうしてほしいんだ」
そんなことを言われてしまったら、断りにくい。
結局、二人のときだけは昔と同じように「レイ」と呼ぶことになった。
――はずだったのに。
翌日、教室へ入ると、私の席の周りにあっという間に人が集まった。
「ベクター嬢、昨日レイナルド殿下とお話ししていたでしょう?」
「以前からのお知り合いなの?」
「あんなふうに殿下がお話しなさるところ、初めて見たわ」
次から次へと尋ねられ、私は目を白黒させた。
どうやらレイナルド殿下は、学園へ入る前から『近寄りがたい王太子』として有名だったらしい。
確かに昔から少し無口ではあったけれど、そこまで?
「レイって、昔からあんな感じじゃない?」
思わずそう言った瞬間、周囲が黙った。
そこでようやく気づく。
――しまった。
慌てて口元を押さえたところで、ちょうど教室へ入ってきた本人と目が合った。
「ご、ごめんなさい。今のは……」
「構わない」
「でも、二人のときだけって」
「今さらだろう」
その一言で、教室がまたざわついた。
私は恥ずかしくて仕方がなかったけれど、それ以来、ますます周囲から声をかけられるようになった。
王太子殿下を愛称で呼ぶ女の子。
それだけで、ずいぶん珍しかったらしい。
特に男爵家や子爵家の令嬢たちは、私が元平民だと知っても気さくに接してくれた。
ベクター家には王都の屋敷がなかったため、私は学園の寮で暮らしていた。
同室になったのは、男爵家の令嬢リシェルだった。
彼女とはすぐに仲良くなり、夜になると二人でベッドに腰掛けて、その日にあったことを話すようになった。
「私ね、まだ婚約者がいないの」
ある晩、彼女がそんなことを言った。
「だからお父様から、学園でいいご縁があれば探してきなさいって言われてる」
「そんなふうに探すものなの?」
「貴族なら珍しくないわよ。家同士で決められることも多いけど、学園で知り合って婚約する人もいるし」
「へえ……」
感心していると、彼女が笑った。
「アイーダは、そういう話をされたことないの?」
「ないと思う。少なくとも、具体的な相手の話は聞いたことないかな」
ベクター家へ来てから、貴族として必要なことはたくさん教わった。
それでも、自分が誰と結婚するのかなんて、まだほとんど考えたことがなかった。
「好きな人と結婚できるとは限らないの?」
「家柄とか領地とか、いろいろあるもの。高位貴族になるほど、本人同士だけの話じゃないでしょうね」
その頃の私には、まだよく分かっていなかった。
ただ、
――貴族って大変なんだなあ。
その程度にしか思っていなかった。




