第12話 レイナルド視点
扉を開けると、父上は執務机についており、母上は来客用の椅子に腰掛けていた。
二人とも、妙に表情が硬い。
「ただいま戻りました。何かあったのですか?」
父上は手にしていた書類を、机の上へ放るように置いた。
「ジュリア嬢から、婚約解消の申し入れがあった」
「……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「アルバイン侯爵からも正式な申し入れがあった。先ほど話し合いを終えたところだ」
「……待ってください。なぜですか? 侯爵が、どうして……」
母上が俺を見る。その目に、いつもの柔らかさはなかった。
「本当に、分からないのですか?」
「……」
ジュリアが、婚約を解消したい。
そんな素振りは、どこにも――。
そこまで考えたところで、今日のことを思い出した。
『大切なお話なので、できれば殿下にもご同席いただきたいのですが……』
その瞬間、背中に冷たい汗が伝った。
父上が深く息を吐く。
「お前とベクター子爵令嬢との関係については、すでに学園内だけの話ではなくなっている。複数の高位貴族からも、王家としてあの状況をどう考えているのかと懸念が寄せられていた」
「それは……。ですが、あくまでも友人です。必要以上に騒ぎ立てる側にも問題があるでしょう。誤解を広める者には、王家から注意を――」
「学園に通う複数の貴族の子女が同じものを見て、同じような懸念を家へ伝えているのだぞ。その全員に、王太子について余計なことを言うなと王家から命じるつもりか?」
言葉に詰まった。
「アルバイン侯爵家としても、これ以上婚約を継続すれば、ジュリア嬢個人の名誉だけでなく、家そのものが王家から軽んじられていると見られかねない。そう判断した」
「……重大な問題であることは分かります。ですが、それでも婚約を解消するほどのことなのでしょうか」
父上は俺を見たまま告げた。
「こちらも受け入れた」
「……待ってください。俺は了承していません」
「お前の了承だけで決まる婚約ではない」
言い返すことができなかった。そんなことは、俺自身が一番よく分かっている。
「わたくしたちにも、彼女を引き留めるだけの理由がありません」
「母上まで……」
「では、何と言って引き留めるのです?」
母上の声が鋭くなる。
「『あなたはこれからもレイナルドが別の女性と親しくする姿を見ながら、あの子を支えてください』とでも言うのですか? それをなぜ、ジュリアが受け入れ続けなければならないのです」
言葉を失った。
母上はしばらく俺を見つめていたが、やがて苦しそうに息を吐いた。
「あなたがこれまで王太子として努力してきたことも知っています。だからこそ、少しくらい好きなようにさせてやりたいと、わたくしたちにも甘さがあったのでしょう」
額に手を当て、目を伏せる。
「ですが、結果としてあなたがしていたことは、婚約者のいる身で別の女性へ心を向け、公然と特別扱いすることです。周囲から浮気と受け取られても、仕方のない振る舞いでした」
反射的に否定したくなった。
アイーダに気持ちは伝えていない。口づけをしたこともない。一線を越えたことなど、一度も――。
そこまで考えて、止まった。
本当に、それだけで違うと言い切れるのか。
「……母親として、あなたにこんなことを言わなければならないとは思いませんでした」
母上の顔を見て、何も考えられなくなった。気づけば、俺は扉へ向かっていた。
「どこへ行く」
「ジュリアと、話をしてきます」
「今からか?」
父上の声に足が止まる。
「今のお前が行ったところで、ろくなことは言えまい」
「このまま会わないわけには――」
「まず一晩、自分が何をしてきたのか考えろ。そのうえで、明日ジュリア嬢と話せ」
何か言い返そうとして、結局言葉にならなかった。
「……分かりました」
重い足取りで部屋を出た。
自室へ戻ると、侍従にも下がるよう命じた。上着を脱ぐ気にもなれず、そのままソファへ腰を下ろす。
「なぜだ……」
最近ともに出た公務でも、ジュリアはいつも通りだった。馬車の中で話したときも、笑っていた。
大きな言い争いをしたわけでもない。
母上の言葉が蘇る。
『それをなぜ、ジュリアが受け入れ続けなければならないのです』
「……そんなに嫌だったのか?」
アイーダと親しくしていたことが。
いや、それだけではないのだろう。
アルバイン侯爵家の立場を損なった。ジュリア自身も、婚約者でありながら別の令嬢を特別扱いされる女として周囲から見られていた。
だが――。
そこで、考えが止まった。
ジュリア自身は、結局何が一番嫌だったのだろう。
俺がアイーダと過ごすことか。自分よりアイーダを優先したことか。それとも、別の何かなのか。
分からない。
……いや。
そもそも俺は、ジュリアが何を嫌うのか知っているのか?
顎に手を当て前屈みになり、記憶を辿ってみる。
ジュリアが露骨に嫌そうな顔をしたところなど、ほとんど思い出せなかった。
以前、外国から来た大使が挨拶の際、やたらと長くジュリアの手を取っていたときは、さすがに困った顔をしていた。俺もあれは不快だったから、よく覚えている。
だが、それくらいだった。
ジュリアはいつも笑っていた。王太子妃教育が厳しくても、公務が重なっても弱音を吐かなかった。
だから俺は、ジュリアなら大抵のことは受け入れられるのだと思っていた。
ソファの背にもたれ、天井を仰ぐ。
人の心など、言葉にされなければ分からない。そんなものは誰だって同じだ。
だから俺は、自分の望みをジュリアに伝えた。そしてジュリアはそれを聞いて、受け入れてくれた。
では――。
ジュリアは、俺に何を望んでいた?
「……」
何も浮かばなかった。
そもそも俺は、一度でもジュリアに聞いたことがあっただろうか。
――君は、何がしたいんだ、と。
次はアイーダ視点です。
結論。短編とオチが変わった原因は、レイナルドがマザコ……ではなく、両親を尊敬していたという設定を作者が忘れていたからです(汗)




