↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第五章:「知らない世界へ」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/119

第三話:杖の契約者/第三幕:黒杖に残るもの

「分からないままなのか?」


 シグが尋ねると、黒杖の柄をなぞっていたキルミの親指が止まった。


「まさか」


 返ってきた声は、先ほどまでと変わらない。


「分からないものほど、調べる価値があります。何が分からないのかさえ曖昧な状態では、調べようもありませんから」


 石突きで足元の土を軽く突く。乾いた音が一度だけ鳴った。


「旧工房でも、そうだったのか?」


「ええ。古い魔導具を見て、何ができるかだけ分かっても仕方がないでしょう。なぜその材料なのか、なぜその形なのか。今では廃れた製法を、昔の人間がなぜ選んだのか。残った物から遡っていくんです」


 旧工房の床に並んでいた部品を、シグは思い出した。大きさごとに仕分けられた金属片。書き込みで黒くなった紙。キルミは壊れた物を眺めていたのではない。作った人間の手順を、残骸から逆向きに辿っていたのだ。


「この杖も同じです」


 キルミが黒い柄を撫でた。


「誰が作ったのか。何のために作ったのか。なぜ私と契約できたのか。《深淵の魔紋印》が私の手に形成された理由も、当然その中に含まれます」


「何か分かったのか?」


「仮説なら」


 エイリクはいつの間にか荷紐を締め終えていたが、立ち上がろうとしない。ナイアも空の水筒を受け取ったきり、急かさなかった。エルセリアは街道へ目を向けたまま、耳だけをこちらに残している。遠くで荷馬車の車輪が軋み、やがて聞こえなくなった。


 キルミは黒杖を横に倒し、石突きに近い節へ指を滑らせた。刻まれた細い溝が、陽を受けて鈍く光る。


「契約してから、学んだ覚えのない知識が時折あります。初めて組むはずの術式なのに、どこへ魔力を通せばいいのか、手のほうが先に知っている。一度も入ったことのない工房の、金属が焼ける匂いを懐かしいと思ったこともありました」


「杖が教えてるのか?」


「それなら話は簡単なんですが」


 口元がわずかに歪んだ。


「声が聞こえるわけでも、頭の中に誰かがいるわけでもありません。知らないはずなのに、知っている。それだけです」


 風に煽られた木の葉が一枚、黒杖の節に触れ、そのまま滑って土に散った。


「《メル=エルド》という名の由来も当たりましたが、掴めていません。製作者の名なのかどうかも」


「作った人が、同じ紋章を持ってた?」


 キルミの黒い瞳がシグへ向いた。


「私はそう考えています」


 シグはキルミの左手甲へ目をやった。


「杖に残っていたものが、キルミの身体に写った?」


「可能性はあります。ただし、証拠はありません」


 すぐに付け加える。


「確かなのは、契約前に紋章はなく、契約を境に私自身が変わったこと。自分の経験では出所を説明できない知識があること。ここまでです」


 黒杖を立て、両手を重ねた。


「製作者が紋章の元の持ち主だったことも、その人物の経験が杖に残っていることも、私にその経験の一部が渡っていることも、今のところは推測です」


 シグは何も言わなかった。旧工房で部品を調べていた時と同じ目が、いま自分の手の中の杖へ向いている。


「ただ、厄介なのはここからでして」


 キルミが左の人差し指で、自分のこめかみを軽く叩いた。


「仮に、知識や経験が杖から私へ渡ったのだとします。では、渡ったのは本当にそれだけなのか」


「それだけじゃない?」


「物事の好み。価値判断。何かを欲する強さ。選択を迫られた時に、どちらへ手が伸びやすいか。そういうものまで含まれていないと、証明できますか」


 シグは答えられなかった。十二歳から七十五歳まで。キルミの人生から黒杖だけを抜き取り、もう一度生き直して比べることなど、誰にもできない。


「……自分が、自分じゃないかもしれないってことか?」


「そこまでは言いません」


 返答は早かった。


「十二までの私が消えたわけではありませんし、それ以降に何を見て、誰と会い、何を選んだかも私の人生です。製作者と私を同じ人間だとも思っていません。ただ、どこまでが契約の影響なのかを切り分けられない。困るのはその一点です」


 エルセリアが街道から視線を戻した。キルミと目を合わせたが、口は挟まなかった。


 しばらくして、小柄な魔導士が黒杖を握り直す。


「三十歳頃の私は、今よりずいぶん自分の力を買っていましてね」


 エイリクが眉を上げた。


「ずいぶん、で済ませるのか」


「当時の評価です。異論は受け付けますよ」


「山ほどある」


 ナイアが水筒を荷へ戻しながら、小さく息を吐いた。エイリクは締まりきっているはずの荷紐の結び目を、もう一度引いて確かめている。


「何をしたんだ?」


 キルミはすぐには答えなかった。黒杖の頭を指で二度叩き、遠くの稜線を見る。


「ノクタルク教主国の聖都を奪おうとしました」


 シグは返す言葉を失った。風に鳴る草の音だけが、妙に近い。


「……奪うって」


「文字どおりです。自分の知識と魔法に、この杖があれば届くだろうと考えていました。どこまで通用するのか試したくて、国を一つ選んだわけです」


「それも、黒杖の影響だと思ってるのか?」


「分かりません」


 今度の答えには間がなかった。


「もっと知りたい。自分がどこまで届くのか確かめたい。そういう欲は、今も私にあります。杖がそれを強めた可能性は否定できませんが、当時の私が選んだことまで杖へ押しつける気はありません」


 キルミは一度、黒杖を見た。


「その聖都で、ディラザルが顕現しました」


 聞き覚えのある名だった。幼い頃に聞いた他国の伝承の中に、確かあった。神の名は覚えていても、何を司るのかまでは思い出せない。


「ディラザルって……」


「神ですよ」


 祈りを知らずに育ったシグにとって、神は遠い国の物語の登場人物だった。それが今、仲間の口から、実際にあった出来事として語られている。喉が渇き、空の水筒へ目が泳いだ。ナイアが半歩、シグのほうへ寄った。


「なぜ現れたんだ?」


「《メル=エルドの黒杖》に反応した、と私は考えています。少なくとも、あの時の顕現はこの杖と無関係ではありません。ただ、理由は今も分かっていません」


 そこでキルミは立ち上がった。黒杖の石突きが地面を打つ。


「そして当時の私は、その神の前から動きませんでした。杖の影響があったとしても、退かないと決めたのは私です」


 シグは顔を上げた。


「……神と、戦ったのか?」


 キルミは否定しなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。