第二話:黒杖のキルミ/第四幕:五人目
六体のハーピィを討ち取り、旧工房に静けさが戻った。
風に巻き上げられた紙が、遅れて一枚、石畳へ落ちる。シグは剣を鞘へ戻そうとして、柄を握った指がすぐには開かないことに気づいた。一本ずつ引き剥がすように力を抜き、頬の血を手の甲で拭う。右足を踏み直すと、今度はきちんと地面の硬さが返ってきた。空を蹴っていた間の、膝から下が借り物のようだった浮つきは消えている。
「さて」
キルミは黒杖を提げたまま、倒れたハーピィの一体へ歩み寄った。鉤爪を覗き込み、次いで軒下に散った獣骨へ目を移す。
「やはり、ここで暮らしていたわけではなさそうですね」
「戦った直後にそれか」
エイリクが篭手を打ち鳴らして肩を回す。キルミは聞いているのかいないのか、足元の羽を杖先で裏返していた。
「巣にしては痕跡が少なすぎます。雛もいなければ、餌を溜めた跡もない。おそらく狩場でしょう」
「工房に残った魔力のせい?」
エルセリアが首飾りへ指を添えた。感応石はまだ、かすかに震えている。
「魔力そのものを食らうわけではありません。ただ、濃い場所には生き物が寄ってくる。ハーピィはそれを嗅ぎ取って、獲物の集まる場所として覚えていたのでしょう」
シグは倒れたハーピィの嘴を見下ろした。いくつもの嘴が、キルミのいる方角を向いている。
キルミは倒れた六体を順に見回し、ほんの少し首を傾けた。
「それにしても、少々妙ではありますが」
「何がだ」
「いえ。今は材料が足りません」
言うだけ言って、キルミはもう工房の戸口へ歩き出している。
「待て待て」
エイリクの手が襟首に届く寸前で、小さな足が止まった。
「まだ何か」
「その前に怪我人だろうが」
「ああ、そうでした」
「忘れてたな?」
「考える順番が少し前後しただけです」
ナイアは小さく息をつき、困ったように笑った。
「そこは、以前から変わりませんね」
◇
ナイアは、シグが身を引くより先に頬の傷へ布を押し当てた。手際だけで言えば、とうに慣れた距離だった。処置を終えたシグが工房の入口に腰を下ろし、裂けた服の端を摘まんでいると、足元に短い影が差した。
顔を上げると、キルミが剣を見ている。
「少し見せていただいても?」
鞘ごと差し出したが、キルミは受け取らなかった。腰を屈め、柄と鍔の辺りへ顔を寄せる。
「ずいぶん効率の悪い剣ですね」
開口一番だった。
「……分かるのか」
「何度も使っていましたから。《風撃の剣》は、風に変わる量に対して、通す魔力が多すぎる」
シグは剣を引き寄せかけて、やめた。欠陥は承知で買ったものだ。使えているのだから、それでいいと思ってきた。
「不良品なんだ。だから安かった」
「どこで?」
「バルサの武具店」
「よく売りましたね、その店も」
「……それを買ったのは俺なんだけど」
「それは失礼しました」
口では詫びたが、声色はほとんど変わらなかった。キルミはようやく剣から目を離し、シグの顔を見る。
「剣のほうは分かりました。分からないのは、その燃費の悪さを賄えているほうです。あれだけ効率の悪い術式を回して、《空歩》にも魔力を使った。それで、息が上がった程度ですか」
「……まだ使えると思う」
「まだ?」
黒い瞳が細くなり、杖を持つ手が半歩ぶん前へ出た。旧工房で部品を前にしていた時と、同じ目だった。シグは座ったまま尻をずらし、踵が瓦礫を鳴らす。
「それだけ使って、まだ余裕があるんですか」
「キルミ」
エルセリアの声が飛んだ。キルミが肩越しに振り向く。
「その辺りは、私たちから話すわ」
間があった。
「事情がありそうですね」
今度は食い下がらなかった。
工房の壁際に五人が集まる。エルセリアの話は短かった。シイバで、シグの身体に未知の黒い紋章が現れたこと。知られている紋章とは性質が異なること。セリア森王国の遺跡で、シグ自身の意思でもう一度それを呼び出したこと。
「ただし、制御できたとは言えないわ」
その一言で、シグは右袖の上から腕を押さえた。あの時は止められた。けれど、止めるまでにどれだけ流したのか、自分でも分からない。
キルミはすぐには口を開かなかった。
「見せろ、とは言わないんだな」
シグが訊くと、黒い瞳が瞬く。
「興味深いですよ。非常に」
「なら――」
「興味深いから試していいものでもなさそうです」
言い切って、キルミは黒杖を胸に抱え直した。抱え込むような、手放さないための持ち方だった。
「今も動いていた古代イル=ラミナ帝群の施設で、未知の紋章をもう一度呼び出した。しかもそこには、古代の紋章魔具まであった」
「そこに食いつくと思った」
エイリクが鼻を鳴らす。
「食いつかない理由がありますか」
「ないな。お前なら」
キルミは当然のように頷いた。
剣の欠陥は、会って半日の人間が戦いの最中に見抜いた。右腕に宿ったものは、まだ誰にも見抜けていない。シグは腰の剣へ手を置いたまま、そのやり取りを聞いていた。
「それで」
散らばった紙を拾いながら、ナイアが言った。
「これからどうするんです」
キルミは床いっぱいに広げた部品と図面を見渡し、名残惜しそうに一枚をつまんで、端の土を払った。
「こちらは必要なところまで確認できました。ナイアさんの手紙を受け取った時点で、アルヴィオの次はセリアへ向かうつもりでしたし」
「手紙を出した本人が、こうして迎えに来ましたけど」
「手間が省けました」
「省けたのはキルミさんの移動だけです」
エルセリアは荷の方へ歩き出し、エイリクは大斧を担ぎ上げた。
「今度は置いてくなよ。待つのは面倒だ」
「努力します」
「努力じゃなくて来い」
誰も、加入するのかとは訊かなかった。シグも訊かなかった。朝には四人で歩いてきた道を、帰りは五人で歩く。それだけのことらしい。
荷を肩へ掛けようとして、右足の踏み込みがまだ甘いことに気づく。エイリクはシグの足元へ一度だけ目をやると、何も言わずに重い方の荷を自分の肩へ移した。
先に外へ出たキルミが、倒れたハーピィの傍で屈み、羽を一枚つまみ上げる。屈む動きに淀みがない。確かめるように指で擦ってから、外套の隠しへ収めた。誰にも断らず、振り向きもしなかった。
シグはその背を見ていた。
黒杖の沈んだ黒は、昼の光を少しも返さなかった。
キルミは、どうしてこんな魔導士になったのだろう。




