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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第五章:「知らない世界へ」

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第二話:黒杖のキルミ/第二幕:キルミ・ニェッカ

 その視線を受けて、シグはわずかに背筋を伸ばした。値踏みの色はない。ただ、何かを確かめるような目だった。


「キルミさん」


 ナイアがもう一度呼ぶと、ようやくキルミの目がシグから離れた。


「お久しぶりです、ナイアさん。エルセリアさんも、エイリクさんも」


「遅いですよ」


 ナイアはキルミの前まで歩み寄り、腰へ手を当てた。口調は穏やかなのに、普段より半歩近い。


「連絡をいただいてから、ずいぶん待ちました」


「申し訳ありません。興味深いものを見つけてしまいまして」


 悪びれもせず答えて、キルミは手の中の金属部品へ視線を戻す。ナイアの眉がわずかに上がった。


「……そういうところは変わっていませんね」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めていません」


 その脇をエイリクが通り、床一面の紙と部品を見回した。踏み場を探して片足を宙に止め、鼻に皺を寄せる。油と錆と古い紙の匂いが、閉じた空気の中で濃くこもっていた。


「相変わらずだな。よく三日でここまで散らかせる」


「分類してありますよ。そこは踏まないでください」


「どこだ」


「右です」


「右のどれだ」


「足元の真鍮です」


 エイリクは黙って足を引いた。エルセリアが口元だけで笑う。


「前より悪化してない?」


「研究量が増えた、と言っていただきたいですね」


 四人のやり取りを、シグは少し離れて眺めていた。やがて視線が、足元の部品へ落ちる。


 散らかっているように見えて、並びには筋がある。ねじ山の刻みが細かいものから順に、手前から奥へ。ナイアに小言を言われながら、キルミの目はずっと真鍮の位置を追っていた。


 街道で遭ったゴブリンたちは、槍と弓で獲物を囲んだ。アルヴィオの門では、革前掛けをつけた一匹が帳面を捌いていた。そして目の前のこの男は、古い部品を物差しのように並べ、一つずつ比べている。


 同じ種族だというのに、どれも同じ姿には見えない。


「ところで、そちらの方は?」


 キルミがこちらを向いた。


「シグ・フリューゲン。今、一緒に旅をしている仲間よ」


 エルセリアに促され、シグは一歩出る。


「シグです。よろしく」


「キルミ・ニェッカと申します。よろしくお願いします、シグさん」


 差し出された手は小さく、握ると指先に薄い硬さがあった。キルミはそれ以上こちらを見ることもなく、あっさり手を離した。


「何を調べてたんだ?」


 訊くと、キルミは待っていたように一枚の図面を拾い上げた。


「この工房で昔使われていた、紋章魔具の製造法です。今のアルヴィオには残っていない加工が、いくつか見つかりましてね」


 紙の上には細い線と数字が詰まっていて、シグには半分も読めない。


「古い方が優れてるのか」


「いいえ」


 返事は早かった。


「不便だから消えた技術もあれば、単に効率の悪いものもあります。ただ」


 キルミは図面と、分解された金属筒を見比べる。


「なぜそう作られたのかが分かれば、今の形になった理由も分かります」


 シグは腰の剣へ目を落とし、それから右の袖口を見た。


 なぜそうなったのか。分かる者がいるのなら、あの時、自分の腕に何が起きたのかも、いつか辿れるのかもしれない。


 口を開きかけた時、外で大きな羽音がした。


 ばさり、と、乾いた布を叩くような音だった。続いて甲高い鳴き声がして、窓の下の茂みが激しく揺れる。小さな獣が一匹、転がるように駆け抜けていった。


 エイリクの表情が変わった。左手の甲に光が灯る。《五感強化(ハンターズセンス)》。狼人の耳が立ち、顔がゆっくりと天井へ向いた。


「……増えてる」


「何が?」


 シグは剣の柄に手をかけた。


「さっきはいなかった。上だ」


 言い終わらないうちに、崩れた屋根を巨大な翳りが横切った。吹き込んだ風が積まれた紙をまとめて巻き上げ、舞い上がる白の向こうで梁が低く軋む。


「ああっ、待ってください!」


 紙を追いかけたのはキルミだけだった。


「そっちかよ!」


 エイリクが怒鳴る。


 シグは飛んできた一枚を反射的に掴み、キルミの胸へ押しつけた。その間にも、二つ、三つと翼の陰が窓を掠める。粉のような埃が頭上から降り、梁の継ぎ目で何かが割れる音がした。


「ここじゃ持たないわ。出るわよ」


 エルセリアの声に、ナイアがすでに弓を取っていた。シグの立つ右側だけを空けて、扉へ向かう。エイリクは先に扉の枠へ手をかけ、振り返りもせずに言った。


「左は任せる」


 返事を待たずに、エイリクは外へ出ていった。キルミは部屋の隅から黒杖を掴んで、最後に出てきた。


 紙より杖が先なのかと、シグは妙なところで感心した。


 外は陽が強く、目の奥が白んだ。見上げた空に、翼の群れが輪を描いている。


 体躯は人と変わらない。ただ、広げた翼はその倍に及ぶ。鳥に似た胴から獣じみた四肢が突き出し、後脚には鎌のように湾曲した鉤爪が下がっていた。嘴が開くたび、牙めいた突起が陽を弾く。羽ばたきのたびに風圧が降りてきて、足元の砂が細かく鳴った。


「ハーピィですね」


 キルミが目を細めた。


「知ってるのか」


「ええ。ただ、ここを狩場にしているとは知りませんでした」


 エイリクが崩れた塀のそばを見ていた。転がる白いものは、獣の骨だった。


「さっき見た骨は、こいつらの食い残しか」


 軒下には、泥にまみれた羽毛が引っかかっている。キルミもそれを見て頷いた。


「工房に残った魔力に、獲物が寄ってくるのでしょう。それを狙って居着いたのだと思います。私たちも、餌の一つに数えられたようですね」


 上空で鳴き声が重なる。降りてくる気配はない。円を描きながら、じっとこちらを見ている。


 シグは剣を抜いた。数は五つ。いや、屋根の陰にもう一つ動くものがある。数えているうちに、妙なことに気づいた。


 旋回の中心が、ずれている。


 翼が傾くたび、嘴の向きが一点へ収束していく。シグはその先を目で辿る。


「……キルミさん」


 呼ぶと、キルミが振り向く。


「こいつら、あんたを見てる」


 エイリクの耳がぴくりと動いた。


「俺にもそう見える」


「おや。人気者ですね、私は」


 声が終わるより早く、一体が翼を畳んだ。落下に近い速さで、真っ直ぐキルミへ来る。


 シグが踏み出した時には、キルミの右手がもう動いていた。


 黒杖を引き寄せる。鈍く沈んだ黒が、空気を薙いだ。さっきまで紙と部品に埋もれていた小柄な研究者の手に収まると、それは道具というより、長く使い込まれた何かの一部に見えた。


 急降下する一体は、最後まで狙いを変えなかった。

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