第一話:旅の続き/第四幕:黒杖の足取り
アルヴィオの冒険者ギルドは、セリア森王国の支部よりも騒がしかった。
開け放たれた窓から、槌が鉄を打つ音が途切れなく流れ込んでくる。油と炭の匂いが街路の熱気と一緒に入り込み、掲示板の前では革袋を提げた職人が、冒険者を相手に声を荒らげていた。
隊商主が完了書類に署名を終えると、受付の女が四人分の報酬を卓へ数え並べた。
「確かに。お疲れさまでした」
硬貨を革袋へ落とすと、十一日分の護衛が掌に重みとなって残った。シグがその感触を確かめていると、隣の窓口から声が飛んだ。
「ナイア・ラウフェリアさんはいらっしゃいますか。お預かりしている伝言があります」
「私です」
振り向いたナイアが受け取った紙には、封の裏に署名が滲んでいた。シグの位置からも、キルミ・ニェッカという文字が読める。ナイアの指が、封の上で止まった。
「……キルミ」
エルセリアの手が、数えかけの硬貨の上で止まる。エイリクは革袋の口へ硬貨を落としかけた姿勢のまま、鼻を一度鳴らした。片耳だけが小さく動く。誰なのかと聞き返す者はいなかった。三人の間では、名前だけで足りているらしい。
ナイアは封を切り、目を走らせた。礼を言うときのように、左手が胸元へ寄っている。
「なんて書いてある」
エイリクが、急かすでもなく尋ねた。
「私の伝言は、ちゃんと届いていたそうです。ただ、その頃はアルヴィオに用があって動けなかったので、返事を出して、済み次第セリアへ向かうつもりだった、と」
「その返事は、いつ書かれたものです?」
エルセリアが受付の女へ向き直る。女は帳簿を繰り、日付を指でなぞった。
「十六日前ですね。セリア支部宛てに出されたものが、皆さんの足取りを追って転送されるうちに、ここまで来たようです」
「十六日」
エルセリアは小さく繰り返した。
「その人、まだこの街にいるのか」
シグが尋ねると、ナイアが手紙から顔を上げた。
「調べてもらいましょう」
◇
ほどなく、受付の女に呼ばれた初老の男が、紙片の束を抱えて現れた。工房関係の依頼記録をさらってくれたらしい。
「名前までは確かめていませんが、おそらくその方でしょう。小柄なゴブリンで、魔導士のローブに黒い長杖。値切り方が妙に巧いくせに、支払いはきっちりしていたと、何軒かの親方が言っています」
「キルミね」
エルセリアが即答し、ナイアが静かに頷いた。
「部品や古い製法を、片っ端から訊いて回っていたようです。ただ、どの親方にも同じ問いを重ねていたとか。『それを作った職人は、完成品を手元に残していたか』と。それで、街の外にある旧工房跡について尋ねています」
「旧工房?」
シグが聞き返す。
「今の工房街ができる前に、アルヴィオの職人が使っていた小さな工房ですよ。使われなくなって久しいが、古い部品や製法の控えが残っているという話はあります。街道から外れているので、わざわざ行く者はまずいません」
男は別の紙を指で叩いた。
「北東の門を出たのが三日前です。出入りの記録に、戻った印はまだありません」
エルセリアが地図を頼むと、職員は壁際の棚から巻紙を引き出し、卓へ広げた。エルセリアはそれを少し迷ってから、自分の手元ではなく、シグの前へ押しやった。
「見る?」
「ああ」
シグは、北東の門から延びる細い線を指でたどった。街道を逸れた先で、墨の濃さが変わっている。半日、遅くとも一日。線が街道から外れる辺りに、小さな川の印が寄り添っていた。
顎に手を当てたシグは、その印を指で押さえた。
「水場が近い。補給はここで済ませたはずだ」
職員が帳面から顔を上げた。
「ええ、旧工房の裏に井戸があったと聞きます」
背後からエイリクの声が落ちた。
「三日もあれば、研究の一つや二つは始まってるな」
「始まったら終わるまで出てこないわよ、あの人は」
エルセリアが言った。
「だったら、急いだほうがいい。行き違いになる前に」
そう言ってから、シグは地図に落としていた目を上げた。
「ゴブリンの……魔導士?」
南街道で短槍を構えていた小さな影が、脳裏に浮かぶ。倒木で隊商の足を止め、射手と接近役に分かれ、退くときには倒れた仲間まで担いでいった連中だ。門前では同じ茶褐色の肌の男が、荷札を器用に捌いていた。それでも、魔導具の製法を求めて職人の街を巡り歩く姿は、そのどれにも重ならなかった。
「ゴブリンは、魔法の理屈が不得手だと言われているわ」
エルセリアは地図から目を離さずに言った。
「キルミは、その理屈の側から魔法を組み上げる。魔導士として、私が知る中でも指折りよ」
「研究者の顔をして、一番危ない物へ手を伸ばす奴だがな」
エイリクが耳を伏せた。
「あなたも人のことは言えないでしょう」
エルセリアが横目で返す。
「俺と一緒にするな」
エルセリアは構わずに続けた。
「昔、宿を――」
「その話はいい」
エイリクの低い声が、言葉を断ち切った。エルセリアは何も言わず、目だけをわずかに細める。ナイアが手の甲で口元を隠した。
「キルミって、どんな奴なんだ」
シグは三人の顔を順に見た。
「昔、一緒に旅をした仲間よ」
エルセリアが答える。
「ま、今回も会ってからのお楽しみね」
シグは地図へ目を戻した。北東の門から旧工房まで、指でもう一度道筋をなぞる。
「その旧工房、行ってみないか」
三つの視線が集まった。
「キルミがまだそこにいるなら、会って確かめたい」
エルセリアはナイアを見た。ナイアは手紙を畳み直し、最後の一行の上で親指を止めたまま、わずかの間、動かなかった。それから何も言わずに、手紙を鞄へ収めた。
「私は行きます。もともと、会えればと思って連絡したのですから」
「決まりだな」
エイリクはすでに受付台から身を離していた。爪が、床板を軽く叩く。
エルセリアが巻紙を畳むより先に、シグは門から旧工房への道筋を頭へ写し終えていた。
誰も、シグに理由を訊かなかった。
◇
ギルドを出ると、午後の街路には槌音が満ちていた。軒先には金属の部品や色硝子の細工が並び、煤のついた前掛け姿の職人たちが、肩を擦り合わせるように行き交っている。
行ったことがない、それだけで選んだ街だった。そこで、会ったことのない男の名を聞いた。
北東へ延びる通りの突き当たりに、門の影が見える。その先は、地図の上でも墨の濃さが変わる道だった。
――どんな顔をして、何を探しに行ったんだろう。




