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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第五章:「知らない世界へ」

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第一話:旅の続き/第四幕:黒杖の足取り

 アルヴィオの冒険者ギルドは、セリア森王国の支部よりも騒がしかった。


 開け放たれた窓から、槌が鉄を打つ音が途切れなく流れ込んでくる。油と炭の匂いが街路の熱気と一緒に入り込み、掲示板の前では革袋を提げた職人が、冒険者を相手に声を荒らげていた。


 隊商主が完了書類に署名を終えると、受付の女が四人分の報酬を卓へ数え並べた。


「確かに。お疲れさまでした」


 硬貨を革袋へ落とすと、十一日分の護衛が掌に重みとなって残った。シグがその感触を確かめていると、隣の窓口から声が飛んだ。


「ナイア・ラウフェリアさんはいらっしゃいますか。お預かりしている伝言があります」


「私です」


 振り向いたナイアが受け取った紙には、封の裏に署名が滲んでいた。シグの位置からも、キルミ・ニェッカという文字が読める。ナイアの指が、封の上で止まった。


「……キルミ」


 エルセリアの手が、数えかけの硬貨の上で止まる。エイリクは革袋の口へ硬貨を落としかけた姿勢のまま、鼻を一度鳴らした。片耳だけが小さく動く。誰なのかと聞き返す者はいなかった。三人の間では、名前だけで足りているらしい。


 ナイアは封を切り、目を走らせた。礼を言うときのように、左手が胸元へ寄っている。


「なんて書いてある」


 エイリクが、急かすでもなく尋ねた。


「私の伝言は、ちゃんと届いていたそうです。ただ、その頃はアルヴィオに用があって動けなかったので、返事を出して、済み次第セリアへ向かうつもりだった、と」


「その返事は、いつ書かれたものです?」


 エルセリアが受付の女へ向き直る。女は帳簿を繰り、日付を指でなぞった。


「十六日前ですね。セリア支部宛てに出されたものが、皆さんの足取りを追って転送されるうちに、ここまで来たようです」


「十六日」


 エルセリアは小さく繰り返した。


「その人、まだこの街にいるのか」


 シグが尋ねると、ナイアが手紙から顔を上げた。


「調べてもらいましょう」


 ◇


 ほどなく、受付の女に呼ばれた初老の男が、紙片の束を抱えて現れた。工房関係の依頼記録をさらってくれたらしい。


「名前までは確かめていませんが、おそらくその方でしょう。小柄なゴブリンで、魔導士のローブに黒い長杖。値切り方が妙に巧いくせに、支払いはきっちりしていたと、何軒かの親方が言っています」


「キルミね」


 エルセリアが即答し、ナイアが静かに頷いた。


「部品や古い製法を、片っ端から訊いて回っていたようです。ただ、どの親方にも同じ問いを重ねていたとか。『それを作った職人は、完成品を手元に残していたか』と。それで、街の外にある旧工房跡について尋ねています」


「旧工房?」


 シグが聞き返す。


「今の工房街ができる前に、アルヴィオの職人が使っていた小さな工房ですよ。使われなくなって久しいが、古い部品や製法の控えが残っているという話はあります。街道から外れているので、わざわざ行く者はまずいません」


 男は別の紙を指で叩いた。


「北東の門を出たのが三日前です。出入りの記録に、戻った印はまだありません」


 エルセリアが地図を頼むと、職員は壁際の棚から巻紙を引き出し、卓へ広げた。エルセリアはそれを少し迷ってから、自分の手元ではなく、シグの前へ押しやった。


「見る?」


「ああ」


 シグは、北東の門から延びる細い線を指でたどった。街道を逸れた先で、墨の濃さが変わっている。半日、遅くとも一日。線が街道から外れる辺りに、小さな川の印が寄り添っていた。


 顎に手を当てたシグは、その印を指で押さえた。

「水場が近い。補給はここで済ませたはずだ」


 職員が帳面から顔を上げた。


「ええ、旧工房の裏に井戸があったと聞きます」


 背後からエイリクの声が落ちた。


「三日もあれば、研究の一つや二つは始まってるな」


「始まったら終わるまで出てこないわよ、あの人は」


 エルセリアが言った。


「だったら、急いだほうがいい。行き違いになる前に」


 そう言ってから、シグは地図に落としていた目を上げた。


「ゴブリンの……魔導士?」


 南街道で短槍を構えていた小さな影が、脳裏に浮かぶ。倒木で隊商の足を止め、射手と接近役に分かれ、退くときには倒れた仲間まで担いでいった連中だ。門前では同じ茶褐色の肌の男が、荷札を器用に捌いていた。それでも、魔導具の製法を求めて職人の街を巡り歩く姿は、そのどれにも重ならなかった。


「ゴブリンは、魔法の理屈が不得手だと言われているわ」


 エルセリアは地図から目を離さずに言った。


「キルミは、その理屈の側から魔法を組み上げる。魔導士として、私が知る中でも指折りよ」


「研究者の顔をして、一番危ない物へ手を伸ばす奴だがな」


 エイリクが耳を伏せた。


「あなたも人のことは言えないでしょう」


 エルセリアが横目で返す。


「俺と一緒にするな」


 エルセリアは構わずに続けた。


「昔、宿を――」


「その話はいい」


 エイリクの低い声が、言葉を断ち切った。エルセリアは何も言わず、目だけをわずかに細める。ナイアが手の甲で口元を隠した。


「キルミって、どんな奴なんだ」


 シグは三人の顔を順に見た。


「昔、一緒に旅をした仲間よ」


 エルセリアが答える。


「ま、今回も会ってからのお楽しみね」


 シグは地図へ目を戻した。北東の門から旧工房まで、指でもう一度道筋をなぞる。


「その旧工房、行ってみないか」


 三つの視線が集まった。


「キルミがまだそこにいるなら、会って確かめたい」


 エルセリアはナイアを見た。ナイアは手紙を畳み直し、最後の一行の上で親指を止めたまま、わずかの間、動かなかった。それから何も言わずに、手紙を鞄へ収めた。


「私は行きます。もともと、会えればと思って連絡したのですから」


「決まりだな」


 エイリクはすでに受付台から身を離していた。爪が、床板を軽く叩く。


 エルセリアが巻紙を畳むより先に、シグは門から旧工房への道筋を頭へ写し終えていた。


 誰も、シグに理由を訊かなかった。


 ◇


 ギルドを出ると、午後の街路には槌音が満ちていた。軒先には金属の部品や色硝子の細工が並び、煤のついた前掛け姿の職人たちが、肩を擦り合わせるように行き交っている。


 行ったことがない、それだけで選んだ街だった。そこで、会ったことのない男の名を聞いた。


 北東へ延びる通りの突き当たりに、門の影が見える。その先は、地図の上でも墨の濃さが変わる道だった。


 ――どんな顔をして、何を探しに行ったんだろう。

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