第一話:旅の続き/第一幕:事件のあと
遺跡から戻って数日、森王国の兵士たちは冒険者の手も借りて周辺に散ったアンデッドの掃討を続けていたが、新手の報せは途絶えていた。古代イル=ラミナ帝群の遺跡には封が打たれ、調査は森王国の管理へ移っている。ラッサンとフリスカも、床を離れられるほどには戻った。
ナイアは冒険者ギルドの伝手で、奪われた秘宝の行方を各地の支部へ回した。当てのない相手を追って街道を歩くより、情報の集まる場所で待つ。そう聞かされたエイリクは「お前が待つ方を選ぶとはな」と目を丸くし、無言の肘を脇腹に食らった。
そうして四人には、初めて、急いで向かうべき場所がなくなった。
シグはその日々の大半を、町外れの草地で費やしている。
右足へ魔力を流すと、靴底で淡い光が瞬いた。土を蹴り、空へ踏み出す。爪先が何もない場所を捉え、硬い板を踏んだような反発が踵まで返ってきた。身体が半歩ぶん持ち上がる。
「……ここだ」
続けて左。足場は思い描いた位置より拳二つ下に生まれた。踏み下ろすはずの足が想定より早く板に当たり、膝が詰まる。上体だけが前へ流れた。蹴り直そうとした右の足場は、とうに消えていた。
着地は間に合ったが、姿勢までは守れなかった。突いた掌の下で草が潰れ、湿った土の匂いが鼻先まで立ち上る。
「昨日よりは転がらなくなったな」
エイリクが鼻を鳴らした。腕は組んだままだが、立つ位置はシグが崩れる側へ寄っていた。
「そこを基準にしないでくれ」
膝の草を払って立つと、木陰でエルセリアがこちらを見ていた。ナイアは白銀の弓を膝に載せ、弦の張りを確かめながら、ときおりこちらへ目を向けている。
「もう一回」
「その前に聞くけど、今どれくらい流したの」
「さっきより少し多く」
「少し?」
「……たぶん」
「休憩」
即答だった。反論を探して口を開きかけ、エルセリアの目が靴から動かないのを見て、押し黙った。
シグは木陰へ移りながら、踏み外した位置をもう一度目で測った。
「魔力を増やせば安定すると思ったんだ」
「安定した?」
「足場は、早く出た」
「場所は」
「ずれた」
「なら、今足すのは量じゃないわね。使えるのと、戦えるのは別よ」
それきりエルセリアは口を噤んだ。丘を渡ってきた風が、汗に濡れた襟足を冷やした。シグは木の根に腰を下ろして水筒の栓を抜く。水は生ぬるく、喉を通ると、汗の塩気が唇に残った。
《風撃の剣》も、初めから思い通りに振れたわけではない。それでも風圧の出る先は目で追えたし、しくじれば身体がどちらへ崩れるかも読めた。この靴には、その足がかりがない。魔力の量か、足の置き場か。どちらかがずれるだけで、足場は平然と裏切ってくる。
腰の剣へ伸びた手を、シグは途中で引いた。空中で《風撃》まで重ねるのは、まだ早い。
丘の向こうを、荷馬車が一台、街道を東へ登っていく。幌が稜線に隠れたあとも、シグは轍の続く先から目を離さなかった。水筒の栓を閉める手が、途中で止まっている。
視線を戻すと、右腕が目に入った。
袖をまくった肌に、あの黒い紋様は残っていない。
右手を握る。指の腹に、あの時の感触が蘇った。自分の内側へ足を伸ばし、暗い水の底を探る。触れた途端、黒は逆らわずに水位を上げた。狙った先へ流れ、敵を巡る魔力の流れにも届いた。だがその先で、水は堰を越えて溢れた。エルセリアの魔法が抑えてくれなければ、どこまで広がったか分からない。最後に閉じたのは自分だ。それでも、もう一度できる保証はなかった。
指が袖の上から、紋様の浮かんでいた場所をなぞりかけて、止まった。
試そうとは思わない。
シイバで初めて現れたあと、考えたのは二度と出さずに済む方法ばかりだった。あの力が何であるかは、考えないようにしていた。今は、その問いだけが避けきれずに残っている。
視線を感じて顔を上げると、エルセリアがシグの右腕を見ていた。目が合うと、彼女は黙って視線を外した。
シグはもう一度、何も浮かんでいない右腕を見下ろした。
――あれは、いったい何なのだろう。




