第五話:自分の意思で/第四幕:同じ場所から
遺跡を出た四人を迎えたのは、数日ぶりの陽光だった。
集落に着くと、井戸端で水を汲んでいた女が手を止め、四人を二度見した。装置停止の一報はすでに兵士たちの耳へ届いており、すぐに斥候が出された。三日のうちに新たなアンデッドの発生は確認されず、外に残っていた個体も日ごとに数を減らしているという。
未調査区画をどう扱うかは、森王国側へ委ねられることになった。まだ開けていない扉がいくつも残っている、とだけ聞かされ、シグは少しだけ気にかかった。自分たちが見た場所より、見なかった場所の方がずっと広い。
ラッサンとフリスカは、まだ寝台から起き上がれずにいた。ナイアが様子を見に行くと、包帯だらけの腕を持ち上げ、ラッサンが先に口を開いた。
「なら、こいつも無駄じゃなかったな」
二人が倒れた探索の先に、実際にアンデッドの根を断つ装置があった。それを伝えると、ラッサンは満足そうに笑い、フリスカは小さく頷いただけだった。ナイアは長く言葉を継がず、「はい」とだけ返して部屋を出た。
◇
ギルドへの正式な報告では、持ち帰った遺物も申告した。《エーテルアイギス》は遺跡内で名を確認していたため、そのまま記録される。白銀の弓と靴形の魔具は、古代の正式名称が残っていない。
「発見者が名を付けられます」
受付の説明に、ナイアは弓を一撫でしてから《白月の霊弓》と書いた。次いで紙がシグへ回る。足元の靴を見下ろし、少し迷ってから羽根筆を取った書記へ告げる。
「《空歩の靴》で」
紙面に自分の言葉が刻まれていくのを、シグはそのまま眺めた。シイバで雑用をしていた頃には、遺跡の遺物へ自分が名を付ける日など考えたこともない。受けた依頼はまだ数えるほどだ。それでも、ここまでは自分の足で来た。紙を返す時、指先が名残惜しく紙面から離れた。
◇
宿へ戻る道すがら、雑踏の声が急に近づいた。祭りでもないのに、通りは遺跡帰りの噂で沸いている。人混みを避けて路地へ折れた拍子に、後ろからエルセリアが袖を引いた。
「右腕」
短い問いに、シグは袖の上から触れて答える。
「今は何ともない」
「今回、自分で流れは作れた。エーテルアウトも狙った場所へ届いた」
「けど途中から、思ったより奥まで食い込もうとしてた。止めたのは最後の一瞬だった」
「私が抑えなければ、装置ごと巻き込んでいたわね」
エルセリアは前を向いたまま言った。感情の色はなく、事実だけを置くような声だった。それでいて、話し終えるまでシグの右腕から目を離さなかった。
「次は」
「私なしで、出す量まで決めて、自分で止めるのよ」
シグは頷いた。使えた。けれど、使いこなせたわけではない。今はまだ、そのくらいしか分からない。
◇
夜、宿の食堂で四人は隅の卓を囲んだ。煮込みの湯気の向こうで、話はいつしか三人が旅をしていた頃へ流れていた。
「お前が空中で転んだ話、俺は笑えるが、笑えない話もあったよな」
エイリクが言ったところで、ナイアが匙を止めずに続ける。
「崖を近道した時の話ですか」
「あれは落ちたんじゃねえ。下に道が見えたんだよ」
「途中から斜面ごと崩れました」
「荷物を背負ったままで」
エルセリアが杯の縁を指でなぞりながら付け足すと、エイリクは唸って肉を口に放り込んだ。地名も人の名も知らないものが混ざり、シグには繋がらない部分もあったが、誰もそこを埋めようとはしなかった。
ふと、ナイアが「その頃はまだ」と口にしたのが引っかかった。
「ナイアって、今いくつなんだ」
「七十一です」
シグは匙を止めた。エルフが長命だと知っていたことと、目の前の年月が重なることは、まるで違った。
誰も何も言わなかった。煮込みの湯気だけが、卓の上でゆっくり形を変えていた。
「……本当に?」
「聞き直すことですか、それ」
ナイアの眉がわずかに寄る。エイリクが笑い、エルセリアは何も言わず杯を傾けた。
話はやがて今日の遺跡に戻った。ナイアの矢が初めて根を這わせたこと、エイリクが広げた障壁でレヴァナントの一撃を受け止めたこと、シグが黒い力を自分の意思で止めたこと。誰かが口にすれば、シグもその場面を知っている。訂正できるし、付け足せる。三人の昔話では聞く側だったが、この話では違った。
笑いがひとしきり収まると、卓の上の空になった皿を、エイリクが端へ寄せた。食べ終えた者から、自然と手が止まっていく。
「これから、どうする」
ナイアが匙を置いて向き直る。シグはナイアへ聞き返した。
「秘宝の手がかりは?」
「途切れています。今は追えません」
悔しさを見せず、ナイアは煮込みを匙でかき混ぜた。
「だから、動きながら探します。依頼で各地を回っていれば、また手がかりに出会うかもしれません」
「俺は賛成だ」
即答したエイリクが、シグを見る。エイリクの耳がわずかに動いていた。考え事をする時や、反応を見る時の癖だと、シグは今日までに知っていた。
「お前は?」
以前なら、三人が決めた道をなぞればよかった。
「俺も」
言いかけて、シグは自分の身体を見た。まだ半歩も思い通りに扱えない靴と、右腕の紋章。
「行きたい。靴もまだ使いこなせてないし、紋章のことも、知らないままにはしたくない」
「なら、すぐ発つ必要はないわね」
エルセリアの言葉に、ナイアが顔を上げた。
「キルミさんにも便りは出しています。届いていれば、こちらへ来るかもしれません」
また知らない名だった。それでも、今度は遠く感じなかった。
「なら待とう」
シグが言うと、誰も聞き返さなかった。
三人が積んできた年月に、後から入ることはできない。けれど今日のことなら、四人とも知っている。次にどこへ向かうのかは、まだ誰も知らない。
これから先なら、同じ場所から始められる。
ナイアは食事を終えると、荷物から古い紙を一枚取り出した。ランプの下で目を落とすと、すぐにまた丁寧に折り畳んでしまう。
シグはそれを尋ねなかった。ただ、その紙がどの荷物よりも先に、ナイアの懐へしまわれるのは見ていた。




