第五話:自分の意思で/第三幕:眠りの底で
中枢を離れても、青白い光は戻らなかった。
壁際の装置は沈黙し、通路を横切るたびに身構えていた発射音もない。遺跡そのものが、深い眠りへ落ちたようだった。
進む前に、ナイアが輪の中央へ立った。指先に淡い光が灯り、エイリク、エルセリア、シグの順に触れていく。
《フェアリーヒール》
淡い光が触れた場所から、背中と胸に居座っていた鈍い痛みが少しずつ遠のいていく。エルセリアも指輪へ魔力を通し、擦り傷の残る腕へかざした。
痛みはかなり引いた。それでも、身体の芯に溜まった重さまでは消えない。
右腕に触れる番になると、ナイアの指先はそこだけ一瞬迷うように止まり、すぐに離れた。シグも、そこには何も言わなかった。
一巡り終えると、ナイアは小さく息を吐いた。膝に手をついたのは一瞬だけで、すぐに立ち上がる。誰も、それ以上は聞かなかった。
四人は奥へ進みすぎなかった。先頭を歩くエイリクの足取りは来た時より重く、大斧の切っ先も心なしか下がっている。それでも先を確かめる足は止めない。エルセリアは壁の刻印へ指を這わせながら、閉ざされていた区画を覗く。合間に挟む息はまだ浅い。シグも歩くたびに、身体の奥に残る重さを感じていた。
今なら進める場所は増えている。それと、進むべき場所が増えたことは同じではない。
帰る前に、中枢の周囲だけを調べる。
やがて見つけた一室には、武具らしいものがいくつも残されていた。刃の欠けた剣、原形を失った金属片、蓋の割れた細長い容器。その中で、一つだけ月光を削り出したような白銀の弓が横たわっている。
ナイアが足を止めた。
「触っても?」
問いかけられたエルセリアは、弓と周囲の床をしばらく見比べてから頷く。
ナイアが持ち上げる。細身の外見に反して、軋み一つない。
指先から魔力を流した瞬間、白銀の表面に淡い光が走った。ナイアの襟元、その下にある《森羅の星弓紋》も同時に輝く。
「……繋がった?」
エルセリアの声に、ナイアはすぐ答えなかった。弓を握ったまま、自分の紋章へ流していた魔力を少しずつ動かしていく。
「矢を一本」
エイリクが黙って矢筒から抜き、渡した。
ナイアは木製の矢を番え、部屋の奥に転がる壊れた保存容器へ向ける。弦を引いた途端、矢柄へ緑色の光が絡んだ。
《ヴェルダントスパイク》
放たれた矢が宙を裂く。
途中で木の矢柄が膨れた。鏃を呑み込むように木質が伸び、一本の鋭い杭へ姿を変える。肥大した先端が容器を穿ち、破片が床へ散った。
「おお」
エイリクが声を漏らす。
ナイアは返事もせず、もう一本を手に取った。今度は少し離れた床へ矢を突き立てる。石からは何も生えない。だが、刺さった矢柄から細い根が這い出し、幾筋にも分かれて壊れた容器へ絡みついた。
根が軋み、残骸を締め上げる。
「……同じ魔法なのに」
シグは矢を見つめた。森も土もない石室で、ナイアの魔法が伸びている。何もなかった場所から生まれたわけではない。一本の矢が、魔法が発動する基点になっていた。
ナイアは根が消えるまで見届けると、白銀の弓を裏返した。
「まだ、できることがありそうです」
「今日はそこまで」
エルセリアに遮られ、ナイアは一拍置いて弓を下ろした。
「……はい」
名残惜しそうに弦を指でなぞるのを見て、エイリクが笑った。
◇
もう一つの発見は、武具の保管区画から離れた通路だった。
壁際に倒れた棚の奥から、一対の靴が出てきた。古びてはいるが、触れたエルセリアが眉を寄せる。
「魔力が残ってる」
「また武器か?」
「靴でどう戦うのよ」
「蹴る」
即答したエイリクを無視し、エルセリアは靴の内側を確かめた。
「術式が入ってる。何をするものかは分からないけど」
大きさが合ったのはシグだった。
履いて歩く。何もない。少し走る。やはり変わらない。
「跳んでみろ」
「普通に?」
「まずはな」
エイリクに言われるまま跳んで着地する。当然、何も起こらなかった。
シグはしゃがみ込み、靴へ手を触れた。
「魔力を流したら?」
エルセリアが止めなかったので、立ち上がる。
足先へ魔力を送る。剣へ流す時より感覚が遠く、余計なところへ散りそうになるのを押さえながら床を蹴った。
身体が浮く。
着地しようと右足を下ろした瞬間、まだ床まで半歩以上あるところで靴底が何かを踏んだ。
「え?」
硬い。足だけが空中で止まり、身体は止まらない。
「うわっ!」
前につんのめり、肩から石床へ転がった。
一瞬の沈黙のあと、エイリクが吹き出した。
「お前、何もないところで転ぶ才能まであったのか」
「違う! 今、何か踏んだ!」
起き上がったシグが振り返る。何もない。
ナイアは口元へ手を添えていた。目が合うと、すっと視線を逸らされる。
「ナイアまで笑ってるだろ」
「笑ってません」
声が少し震えていた。
エルセリアだけはシグが転んだ場所を見ていた。
「もう一度。今度は魔力を少なくして」
二度目は足場が横へずれ、空を踏み抜いた。三度目は触れる前に消えた。
四度目。
右足を下ろした先に、薄い光の面が生まれる。足元に幾何学の紋様が一瞬だけ浮かび、すぐに輪郭を失った。
今度は見えた。
靴底に硬さが返る。シグは膝を曲げて勢いを殺した。ほんの一瞬、床のない高さに立っている。
次の瞬間には光が砕け、慌てて床へ降りた。
「……これ、走れるようになったら」
そこまで口にして、シグはやめた。
一歩作るだけでこれだ。《風撃》まで同時に使えば、敵より先に自分が地面へ転がる。
エイリクが肩を揺らしたのが見えた。
「今、また転ぶと思っただろ」
「思ってねえよ」
返事が早すぎた。
◇
それ以上、四人は奥へ進まなかった。
白銀の弓と靴型の魔具を持ち出し、来た道を戻る。沈黙した通路には、まだ開けていない扉がいくつも残っていた。
シグはその一つの前で足を緩めた。
何が眠っているのかは分からない。
右腕には、先ほどまで黒い力を吐き出していた感覚がまだ微かに残っている。自分で使い、自分で止めた。それでも、あの力について分かったことはほとんど増えていなかった。
床の奥から、低い震えが一度だけ伝わってきた。遺跡はまだどこかで息をしている。その震えに応えるように、右腕の奥が微かに疼いた。
「シグ」
先を歩いていたエルセリアが呼ぶ。
「今行く」
閉ざされた扉から目を離し、三人の背中を追った。




