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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第四章:「森王国の古代遺跡」

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第五話:自分の意思で/第一幕:黒を向ける先

 紋章(ヴォイド・コード)から滲んだ黒が、指の隙間からこぼれ落ちた。


 石床に触れた途端、闇そのものを流したように広がっていく。


 違う。


 止めたいのはそこじゃない。


「離れて!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。エルセリアが振り向く。視線が一瞬シグの右腕へ落ちて、すぐに逸れた。


「エイリク、ナイア! シグから離れて!」


 理由を問う声はなかった。エイリクは振り向きもせず《エーテルアイギス》を解くと、答えより先に動き出していた。大斧を担ぎ直しながら、斜め前へ踏み込む。ナイアは矢筒へ手をやりながら反対側へ跳び、二人が開いた隙間へレヴァナントの意識を引きずり込んでいった。


 黒はなお広がる。床を這い、左へも枝分かれしていく。伸びる先にエルセリアがいる。


「くそ……!」


 シイバでも見た光景だ。何に触れ、どこまで広がるのかも分からないまま、周囲のものを呑み込んでいった。


 今度は違うはずだった。使うと決めたのは自分だ。消したいものも分かっている。


 なのに、力は言うことを聞かない。


 床を這う先端がまた伸びる。


 止めろ。


 念じても変わらない。力任せに押さえ込もうとして、奥歯が軋んだ。右腕の内側を何かが際限なく抜けていく。握った指が震え、足元の影だけが増えていく。


 ――違う。


 エルセリアとの訓練で、何度も同じ失敗をした。一度に全部を動かそうとして、何も掴めなくなる。


 黒そのものを見るのをやめ、自分の内側へ意識を向ける。


 魔力の流れがある。腕の奥から紋章を通り、何か別のものへ変わって溢れ出している。


 止めるな。まず一つ。左へ伸びる流れだけを意識する。


 戻れ。


 先端が震えた。ほんの僅かだったが、広がりが止まる。


「……できる」


 次は足元だ。右腕から床へ落ちる流れを、指の力加減を探るように細くしていく。汗が顎から落ちて石を叩いた。広がっていた黒が揺らぎ、後退していく。


 やがて右腕の先へ、一本の濁流となって集まった。


 その向こうでは、大斧と長剣がぶつかり合い、金属音よりも重い音が響いた。魔力供給を受け続けるレヴァナントに押され、エイリクの足が石を削った。


「こっちに構うな、シグ!」


 エイリクが吠えた直後、狙いすましたナイアの一矢が、寸分違わずレヴァナントの膝裏を射抜いた。


 シグはそちらを見なかった。床を走る青白い光だけを追う。


 あれだ。


 消すものを選ぶんじゃない。向ける先を選ぶだけでいい。


 右腕を突き出す。


「行け……!」


 収束した黒い筋が伸びていく。青白い流れに触れた瞬間、音が消えた。


 ぶつかったのでも、押し返したのでもない。光が、そこから先へ進めなくなった。


 《エーテルアウト》


 名を教えられたわけではない。それでも、その言葉が頭の奥から浮かび上がった。


 黒い筋が影のように拡がり、レヴァナントへ流れ込む奔流を端から呑み込んでいった。


 床を走る筋が途中で断たれ、壁際の設備が一つ、また一つと暗転する。レヴァナントの正面を歪めていた熱気がほどけ、焼けつくようだった空気が急速に冷えていく。身体を覆っていた膜が薄れ、振り上げられた長剣が目に見えて鈍った。崩れかけた肉体を無理やり支えていた力そのものが緩み、レヴァナントの膝が浅く沈む。


 できた。


 そう思った直後、右腕が引かれた。


 黒の流れが止まらない。断ち切った地点を越え、供給経路の奥へ潜り込んでいく。床の溝から光が次々と失われ、遠くの設備まで明滅を始めた。


「止まれ!」


 腕を引いても、先端は伸び続ける。方向は分かる。だが、どれだけ出せばいいのかが分からない。


 内側から力を吸い出される感覚に膝が沈む。視界の端が滲み、耳の奥で自分の脈だけが大きく鳴った。


「シグ!」


 駆け寄ったエルセリアが右腕へ手を伸ばしかけ、触れる寸前で止める。


「向きは変えないで」


「でも、止まらない!」


「それでいい。向きだけ保って」


 エルセリアが紋章へ左手をかざす。


 《クレド・ジャッジメント》


 淡い光が右腕を包んだ。途端に、勢いが落ちる。堰を下ろされた奔流のように出力だけが絞られ、それでも消えず、シグが定めた方向へ伸びたままだった。


「出力はこちらで抑える。あなたは流れを離さないで」


「……分かった」


 レヴァナントがこちらへ顔を向ける。踏み出した足へ、また矢が突き立った。体勢を崩したところへ大斧が叩き込まれ、巨体が軋みながら押し戻される。


 シグは右腕へ意識を戻した。


 絞られた流れなら、もう追える。腕の奥から紋章を通り、黒へ変わる。その流れを、今度は自分で閉じていく。


 訓練でやったように、少しずつ。


 抜けていく感覚が細くなる。


「もう少し……」


 黒い筋が縮む。床を這っていた最後の一筋が右腕へ引き戻され、消えた。


 静かになる。


 荒い息のまま、シグは自分の右腕を見た。《ヴォイド・コード》は黙っていた。


 顔を上げると、すぐ隣にエルセリアがいた。少し離れた場所でエイリクが歯を見せて大斧を構え直し、その向こうでナイアは表情も変えず、次の矢を番えていた。


 全員いる。


 指先から、ようやく余計な力が抜けた。


 正面から、長剣が石床を擦る音がした。


 魔力の供給を断たれても、レヴァナントは倒れていない。崩れた肉体を軋ませながら、それでも剣を持ち上げる。力を失ってなお動くその姿は、魔力に守られていたときよりも、ずっと剥き出しに見えた。


 シグは《風撃の剣》を握り直す。


 ここから先は、四人で終わらせる。

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