第二話:災厄の来訪/第四幕:崩壊
2026/8/24 改稿
トーマスが異変を察し、声を張り上げた。
黒い魔獣の額に刻まれた青黒い紋様が、爆発的な輝きを放つ。大気が軋み、周囲の魔力が一点へ引き寄せられていく。足元を這う青黒い稲妻。砂利が浮き上がり、風もないのに騎士たちの外套が激しくはためいた。
「散れッ!」
トーマスが地を蹴る。
直後、魔獣の顎が開いた。喉の奥で青黒い光が渦を巻き、瞬く間に膨れ上がっていく。
「総員、散開しろォォォッ!!」
号令とほぼ同時に、光が放たれた。
極大の奔流が地表を抉りながら一直線に走る。巨木は触れた瞬間に砕け、その奥の岩壁まで跡形もなく吹き飛んだ。
光はそのままシイバの北西側へ突き刺さった。
轟音。
村の土台そのものが跳ね上がる。
柱が砕け、屋根が宙を舞った。石畳が剥がれ、無数の破片となって降り注ぐ。悲鳴が爆音に呑み込まれ、衝撃波をまともに受けた人々が地面を転がった。繋がれていた馬が狂ったように暴れ、荷車を引きずって逃げ惑う。
北西入口を守っていた盾兵たちも、大盾ごと押し流された。
トーマスは両足を踏ん張り、剣を正面へ掲げた。
《衝撃の紋章》へ残る魔力を一気に流し込む。
「《ブラスト・レイジ》!」
白銀の衝撃波が炸裂した。
環状に広がった圧力が青黒い奔流へ正面からぶつかる。二つの力が噛み合い、弾けた爆風が上空へ突き抜けた。
光軸がわずかに逸れる。
だが、押し返すには至らない。トーマスの靴底が石畳を削り、二本の深い溝を刻んでいく。両腕が激しく震え、刀身を包んでいた白銀の光が揺らいだ。
「くっ……!」
次の瞬間、衝撃が弾けた。
トーマスの身体が吹き飛び、背中から瓦礫へ叩きつけられる。
「隊長!」
「来るな!」
駆け寄ろうとした騎士を怒鳴りつけ、すぐに身体を起こす。右腕の感覚が薄い。息を吸うだけで胸の奥が軋んだ。
それでも、逸らした。
ほんのわずか。
そのわずかな差だけが、背後にいる人間の生死を分けていた。
避難列の最後尾では、シグの背を熱風が殴りつけた。
「伏せて!」
隣にいた老人の肩を掴み、抱え込むように地面へ伏せる。
頭上を荷車が横転しながら飛び、砕けた木片が降り注いだ。
「お母さん!」
声に顔を上げる。
崩れた壁の脇で少女が泣き叫んでいた。その先では、母親の脚が倒れてきた石材の下に挟まれている。
シグはすぐに駆け寄った。
「手を貸してください!」
近くにいた村人二人と角材を差し込み、肩を押し当てる。
「せーのっ!」
石材がわずかに浮いた。
「今です!」
母親の身体を引き抜き、少女の背を押す。
「東へ! 止まらないで!」
親子が避難列へ走り出すのを見届けるより早く、別の叫びが飛んできた。
「火だ!」
北西側の民家から炎が噴き上がっていた。
崩れた木組みに火が走り、強風に煽られた火の粉が隣の屋根へ降り注ぐ。一軒、さらに一軒と赤い光が広がっていく。
魔獣はまだ、本格的に村へ踏み込んですらいない。
たった一撃で、シイバは崩れ始めていた。
◇
重い足音が地表を揺らす。
煙の向こうから黒い影が現れた。
魔獣が村へ踏み入れる。
前脚が石畳へ落ちるたびに亀裂が走り、肩が家屋へ触れれば木組みの壁が崩れた。倒壊した建物から火の粉が舞い上がり、黒煙が朝空を覆っていく。
「ここより先へ通すな!」
トーマスの号令で、生き残った騎士たちが路地を塞いだ。
盾が並ぶ。その隙間から槍が伸びる。
魔獣が歩く。
盾列が激突を受けた。
鈍い衝撃音とともに前列が崩れ、数人の騎士が大盾ごと路上を転がる。
「第二列、前へ! 負傷者を下げろ!」
倒れた者が引きずり出されると同時に、後列が穴を埋めた。
押し返せなくとも、騎士たちは退かなかった。その数秒が、後方の誰かを逃がす時間になる。
炎の上がる路地を、シグは走っていた。
「まだ中に人が!」
泣きじゃくる少女が燃える民家を指差している。
「おばあちゃんが……!」
シグは迷わず敷居を跨いだ。
煙が視界を覆い、熱気が頬を焼く。腰を落とし、袖で口元を覆いながら奥へ進む。
「いますか!」
激しく咳き込む音が返った。
壁際に老婆が蹲っていた。煙を吸ったのか、自力では立ち上がれないようだった。
「背負います。掴まってください」
シグは老婆の腕を肩へ回し、その身体を背負い上げた。
立ち上がった途端、頭上で木材が爆ぜる。
出口へ向かおうとした目の前へ、燃えた梁が落ちた。
火の粉が弾け、炎が進路を塞ぐ。
「くっ……!」
振り返る。
煙の向こうに裏口らしき扉が見えた。
シグは老婆を背負ったまま駆け出す。肩から扉へぶつかると、焼けかけた戸板が外側へ弾けた。
老婆を庇いながら、そのまま外へ飛び出す。
背後で屋根が崩れた。
「医療班!」
駆けつけた衛生兵へ老婆を預ける。
「頼みます!」
返事を待たず、シグは立ち上がった。
また悲鳴が聞こえる。
剣は腰にある。
だが、手は伸びなかった。
代わりに、声のした方角へ走った。
◇
避難誘導を続けるアルベルトは、住民台帳を握り締めていた。
「まだ残っている家は!」
「西通りに三軒!」
若い村人の返答に、アルベルトは即座に頷いた。
「私が行く!」
「父さん!」
ヨハンが腕を掴む。
「おれも行く!」
「駄目だ」
アルベルトはその手を静かに外した。
「アンナ、ヨハンを頼む」
「……分かった」
アンナが息子の肩を抱き寄せる。
「父さん!」
アルベルトは一度だけ振り返った。
ヨハンを見る。
その隣にいるアンナを見る。
わずかに笑って、そのまま煙の奥へ駆けていった。
通りの向こうにいたシグが、その姿を捉えた。
「アルベルト!」
声は炎の轟音に掻き消された。
直後、地面が大きく揺れた。
黒い魔獣がさらに村の中心へ踏み込んでいた。
騎士たちが食い下がるたび、ほんのわずかに進行が鈍る。だが、止まりはしない。
「第二小隊、右翼へ!」
トーマスは剣を振り、声を張った。
「第三小隊は火災地区の避難を援護! 前衛は持ち場を死守しろ!」
「隊長!」
副官が駆け寄る。
「北西住宅地が崩れています!」
トーマスの視線が動いた。
炎と黒煙。その向こうへ、先ほどアルベルトが走っていった。
助けを送る余裕はない。ここで前線が崩れれば、避難中の住民まで魔獣の前へ晒される。
トーマスは剣を握り直した。
「……シグ、頼むぞ」
その直後。
北西住宅地から激しい破壊音が轟く。
数軒の家屋が連鎖するように崩れ、火柱が噴き上がった。炎の壁が路地を塞ぐ。
シグの足が止まった。
「アルベルト!」
返事はない。
熱風が頬を打つ。
「アルベルト!」
もう一度叫ぶ。
煙の向こうから、かすかに声が返った。
「シグ!」
いた。
シグは瓦礫を蹴り越えた。
「シグーーッ!」
続いて聞こえたのは、ヨハンの声だった。
シグは赤く染まった路地へ飛び込む。
その先で何が起きているのか。
まだ、誰にも見えていなかった。




