第一話:森王国にて/第三幕:眠りを破ったもの
翌朝、ナイアは二人の冒険者を伴ってセリア森王国の外縁へと足を向けていた。
集落を離れると、森はすぐに深くなった。頭上を幾重にも交錯する枝葉が陽光を遮り、足元には昨晩の雨を含んだ湿った落ち葉が重く沈んでいる。細い獣道をさらに奥へ進むにつれ、辺りは静まり返り、冷気だけが肌に残った。
「この辺りで合ってますか?」
先を歩く男が、振り返りもせずに声を落とした。
「もう少し先です」
ナイアは短く答え、足音を殺して木立の間を縫う。
セリア森王国での手掛かりが途絶え、あてどなく周辺を歩き回っていたのが数ヶ月前。崩れた斜面の向こうに、不自然な石材の断面が覗いているのを見つけたのが始まりだった。
当時は森の泥土と深い蔦に覆われ、入口の半分は完全に埋もれていた。近くまで寄らなければ、ただの風化した岩壁にしか見えない。
視界が開け、木々の向こうに黒灰色の石壁が姿を現した。
同行していた冒険者の一人が、思わず足を止めて息を呑む。
「何度見ても、気味の悪い造りだな」
ナイアもまた、同じ壁面を見据えた。
現代の建築物には見られない特徴がある。石を積み上げた痕跡が一切ない。巨大な一枚岩を削り出したかのような滑らかな表面には、意味を持たない細い溝が幾何学模様のように這っていた。
発見当時、ナイアにはそれが何を意味するのか皆目見当もつかなかった。ただ、少なくともナイアが知るどの建築様式とも異なっていた。
そのため自身の判断で深入りせず、現地の冒険者ギルドへ遺跡を見つけたことを報告した。
その後に発令された調査依頼を受け、最初に内部へ踏み込んだのは四人組のパーティーだった。
そして、戻ってきたのは三人。
「生き残った方から聞いた話、もう一度確認してよろしいですか」
ナイアの問いに、先頭の男が渋面を作って頷く。
「俺が聞いた範囲なら。最初は入口からそんなに奥まで入ってないらしい。途中で大きな扉を見つけて、それを開けたって話だ」
「そのあとは?」
「壁の溝が光り始めたらしい。それから、奥の方で何かが動く音がしたって」
「何か、というのは」
「分からねえよ。見に行く前に、仲間の一人がやられたんだからな」
もう一人の男が、わずかに震える声を挟む。
「最初に出たのもアンデッドらしいぜ。新しく死んだ奴じゃなくて、もっと古い、骨と乾いた皮だけの死体だったとか」
ナイアは無言のまま、黒灰色の入口を見据えた。
証言だけでは、扉を開けたことが直接的な原因なのかは判然としない。何かがすでに動き始めていたところへ、彼らが偶然踏み込んだだけという可能性もある。
近づくにつれ、ナイアの足が自然と遅くなった。
「……光ってますね」
壁面を走る細い溝の一部が、冷ややかな青白さを帯びて明滅していた。
最初に見つけた時には、こんな光はなかった。
「前からでした?」
「いいえ」
ナイアは一定の距離を保ったまま、目だけで光の軌跡を追う。
淡い光は入口から暗い内部へと、規則正しい間隔で途切れなく続いていた。まるで奥へ何かを運んでいるようにも見えるが、ナイアには仕組みまでは分からない。
「中まで入ります?」
「今日は奥まで入りません。まず、アンデッドがどこから出ているのかだけ確かめましょう」
ナイアは弓を手に取り、呼吸を整えた。
三人は一定の間隔を保ちながら、遺跡の内部へと足を踏み入れた。
数歩進んだだけで森の湿った匂いが消え失せ、代わりに古びた石の粉と埃、そして隠しきれない強い腐敗臭が鼻腔を突く。
床面に刻まれた幾何学的な溝も、壁と同様に一部が微弱な光を放っていた。
「ここ、前の連中が通った場所ですよね」
「ええ」
足元に残る靴跡を確かめながら、さらに奥へ進む。
ほどなくして、床の隅に割れたランタンが転がっているのが目に入った。そのすぐ先には、重厚な造りの巨大な扉が口を開けている。片側だけが奇妙な角度で開いたまま固定されていた。
「これか」
冒険者の一人が呟いた声が、冷えた石壁に低く反響する。
扉の向こうは暗い。
目を凝らすと、奥の壁面に走る溝にも同じ青白い光が点々と灯っているのが見える。
その時、暗闇から音がした。
床を硬いものが引きずるような、乾いた擦過音。
三人は同時に武器を構える。
「来ます」
ナイアが一歩下がる。
扉の向こうから影が現れた。
腐敗して変色した皮膚。破れた衣類。片脚を引きずっている。一体ではない。その後方からも複数の影が見える。
「三体」
ナイアは矢を番える。
「倒すことより、どこから出てきたのかを見てください」
一射。
先頭のアンデッドの膝を射抜く。崩れたところへ同行者の剣が入る。
二体目が脇を抜けようとする。ナイアは足元へ矢を送り、進路を変えさせる。
「右へ!」
冒険者が回り込み、肩から斬り倒した。
残る一体へナイアはすぐに矢を放たなかった。
どこから来た。
視線をその背後へ向ける。
開いた扉のさらに奥、細い通路。そこから来ている。
アンデッドが迫る。十分に近づいたところで矢を放ち、脚を止める。
「今です」
最後の一体が倒れ、一帯は静かになった。
三人ともすぐには武器を下ろさない。
ナイアは開いた扉へ近づき、矢を番えたまま奥を見る。
腐敗臭は消えない。むしろ、さっきより濃い。
「まだいますね」
同行者が声を落とす。
ナイアも聞いていた。奥で何かが擦れる音がする。遠いが、一つではない。
「ここから出てきていますね」
ナイアは床を見る。
古い汚れの上に、いくつもの足跡が残されていた。どれもが外へ、つまり入口の方へ、森の方へと向かっている。
ナイアはゆっくりと顔を上げた。
通路の奥には、青白い光が一定の間隔で明滅している。
そのさらに向こうから、また何かを引きずる音がした。
それも一つではない。
「戻りましょう」
ナイアはそう告げて、扉から離れようとした。
その時だった。
遺跡のさらに奥から、低い音が響いた。
アンデッドの足音とは違う。何か重いものを動かしたような音だった。
ナイアは振り返った。
青白い光だけが、変わらぬ間隔で奥へ続いている。
「……今のは」
誰も答えなかった。
ナイアは青白い光の続く先を見据えたまま、数秒待った。
「すぐに出ましょう」
今度は、誰も異論を挟まなかった。




