第一話:森王国にて/第一幕:歩く死者
セリア森王国南部。
街道脇の茂みから、死体が飛び出した。
生前は人間だったのだろう。片腕は肘から先がなく、破れた革鎧の下から黒ずんだ肉が覗いている。それでも足取りは鈍らず、前方にいた若い冒険者へ一直線に向かった。
「下がって」
ナイアは弓を引き絞る。
弦が鳴る。矢は冒険者の肩越しを抜け、死体の右膝へ突き刺さった。脚が折れ、その身体が前のめりに倒れる。
「頭を無理に狙わず、まず動きを止めてください!」
声を飛ばしながら、次の矢を番える。
倒れた死体が残った腕で地面を掻いた。痛みなど感じていない。折れた脚を引きずったまま、なお冒険者へ近づこうとする。
横から警備役の男が槍を突き出した。
穂先が首を貫く。それでも止まらない。
「もっと深く!」
男が槍を捻り、そのまま押し倒す。
ナイアはそちらを見届ける前に、森へ顔を向けた。枝が揺れている。一つではない。
「右から来ます」
三体。
朽ちた衣服を纏った人型が二体。その後ろには、肋骨を露出させた鹿らしき死骸が四つ足で駆けてくる。
前衛にいた二人が武器を構えた。
「鹿は私がやります。前の二体を!」
返事を待たず、矢を放つ。
一射目が鹿の前脚を射抜く。身体が傾いたところへ、すぐ二射目。首の付け根へ深く刺さった。死骸は転がったが、脚をばたつかせて再び起き上がろうとする。
「まだ動くのかよ」
近くの冒険者が声を上げる。
ナイアは弓を下ろさない。鎖骨の下が淡く光った。旅装の隙間から、弓を象った紋章《森羅の星弓紋》が浮かび上がる。次に番えた矢の周囲へ、白い光が薄く集まった。
放つ。
光を帯びた矢が鹿の頭部を貫き、地面へ縫い止める。しばらく脚が痙攣していたが、やがて動かなくなった。
正面では二人の前衛が人型のアンデッドと斬り結んでいる。一体が剣を受けても構わず踏み込み、冒険者の肩へ噛みつこうとした。
「左へ!」
ナイアの声に、男が反射的に身体をずらす。空いた横顔へ矢が刺さった。アンデッドがよろめく。その隙にもう一人が剣を振り下ろした。頭蓋を断たれ、ようやく倒れる。
残った一体は警備役の槍へ両手を伸ばしていた。穂先が腹を貫いているのに、構わず柄を伝って前へ進もうとしている。
「一旦離れて!」
警備役がすぐに槍を引いた。ナイアの矢が膝へ入る。崩れたところへ二人が左右から斬り込み、動きを止めた。
静かになった。荒い呼吸がいくつか聞こえる。
「終わった……?」
若い冒険者が剣先を下げかける。
ナイアは返事をしなかった。弓へ新しい矢を番えたまま、森を見渡す。葉が揺れる。風だけだ。さらに待つ。鳥の声が一つ戻った。
「今のところは、大丈夫でしょう」
その言葉で、周囲から息を吐く音が重なった。ナイアはようやく弓を下ろした。
街道の後方では、避難させていた荷車が二台止まっている。御者台に伏せていた商人が恐る恐る顔を上げた。
「もう通っていいのか」
「少し待ってください。道を確認します」
ナイアは倒れたアンデッドへ近づいた。腐臭が鼻を刺す。最初に倒した人型の衣服には土がこびりついていた。泥の色は、この街道周辺のものより黒い。遺跡周辺で何度も見た色だ。
「また、あそこからか」
後ろから声がした。槍を持った警備役が立っている。肩には森王国の警備隊を示す徽章がある。
「そのようですね」
ナイアは立ち上がった。男が街道を見回す。
「ここまで来たのは初めてじゃないか」
ナイアはすぐには答えなかった。最初は入口周辺だけだった。次は森の中。その次は近くの獣道。そして今日は街道まで出た。
「ええ。以前より遠くまで来ていますね」
「数も増えてる」
男が顔をしかめた。ナイアも否定できなかった。
後ろで冒険者の一人が腕を押さえているのに気づき、近寄る。
「傷を見せてください」
「かすっただけだ」
袖が裂け、その下に浅い傷がある。ナイアは手をかざした。淡い光が傷口を包み、滲んでいた血が止まる。
「今日はここまでにしましょう」
「大丈夫、まだ動けます」
「動けることと、続けていいことは別ですよ」
穏やかな声だったが、冒険者は反論しなかった。
「……分かりました」
ナイアは胸元へ軽く手を添えた。
「ありがとうございます」
その時、街道の奥から馬の足音が近づいた。乗っていたのは森王国の役人だった。ナイアを見つけると馬を降り、足早に近寄ってくる。
「ナイア様」
ナイアの指がわずかに止まった。
「今は一介の冒険者の身です。敬称は必要ありません」
「ですが――」
「負傷者が一人います。先にそちらを」
役人は一瞬言葉を詰まらせ、それから頭を下げた。
「……承知しました」
ナイアはそれ以上何も言わなかった。故郷へ戻ってから、何度目か分からないやり取りだった。
弓を背負い直し、森の奥へ目を向ける。木々の向こうに遺跡そのものは見えない。周辺を調べている最中に見つけた、古代イル=ラミナ帝群の遺跡。そこに冒険者たちが踏み込んでから、死者が動き始めた。
原因はまだ分からない。
けれど一つだけ、もう疑いようがなかった。外へ出てきたものを倒すだけでは追いつかない。
ナイアは街道に横たわる死体に目を走らせる。ここまで来る個体は、以前まではいなかった。
森の奥へ視線を戻す。
次に遺跡へ入るなら、入口を覗いて帰るだけでは意味がない。今度は、あの奥にある原因まで辿り着かなければならなかった。




