第五話:届いた名前/第三幕:杯越しの素顔
ギルドで依頼完了の処理を済ませ、報酬を受け取った頃には、外はすっかり夕方になっていた。
そのまま宿へ戻るには少し早い。エイリクの提案で、三人はギルドから二本ほど通りを離れた酒場へ入る。
店内には焼いた肉と酒の匂いが満ち、仕事帰りらしい冒険者たちの声が飛び交っていた。三人は壁際の卓を取り、肉料理と酒を頼む。
シグはエールの入った木杯を持ち上げ、一口飲んだ。苦みが舌に残る。向かいではエイリクがすでに杯の半分ほどを空けていた。
「どうだ?」
「何が?」
「自分で稼いだ金で飲む酒だ」
シグは木杯を見つめる。
「味は変わらないだろ」
「分かってないな」
エイリクは鼻を鳴らし、残りを一気に飲み干した。隣のエルセリアも静かに杯を傾けている。
シグはもう一口飲んだが、昼間の倉庫で見た光景が頭から離れなかった。拘束された男。トリスタンの穏やかな笑み。
――我々のやり方で処理します。
シグは木杯を卓へ戻した。
「なあ、エイリク」
「ん?」
「今日捕まえた奴、このあとどうなると思う?」
肉へ伸びていたエイリクの手が止まる。
「気になってたのか」
「捕まえたことは後悔してない。あいつがやろうとしてたことも見たし」
シグは指先で杯の縁をなぞった。
「俺たちが渡した先も、裏稼業の連中なんだろ」
「そうだな」
「トリスタンが何をするのか、俺たちは知らない」
エイリクは少し考えてから、皿の上の肉を口へ放り込んだ。
「少なくとも、すぐ殺す理由は薄いだろうな。あいつは紋章狩りの先を知りたがってた。捕まえた男が何か知ってるなら、聞き出すまでは生かす方が得だ」
「その後は?」
「知らん」
即答だった。
「俺はトリスタンじゃない。保証なんかできん」
シグは黙り込む。
エイリクは空になった杯へ酒を注いだ。
「衛兵に渡してたって、やったことを考えりゃ軽い罰じゃ済まんだろう。それでも引っ掛かるなら、引っ掛かったままでいい」
「それでいいのか?」
「何でも綺麗に納得できる奴の方が俺は怖い」
エイリクは杯を持ち上げる。
「今回の仕事を後悔する必要はない。だが、次に似た仕事を見つけた時、依頼人が誰で、終わったあと何が起きるかまで気になるなら、それも見て選べばいい」
シグはしばらく考え、酒を一口飲んだ。依頼書には達成条件が書いてある。けれど、その先までは書かれていない。
「次から、依頼人のことも聞くようにする」
「答えてくれるとは限らんぞ」
「その時は、答えてもらえないことも含めて考える」
エイリクが口の端を上げた。
「ああ。それでいい」
話が途切れたところで、店員が焼いた肉の皿を運んできた。エイリクは待っていたかのように手を伸ばす。
「で、仕事の話はもう終わりだ」
「急だな」
「酒場でまで仕事の反省会やってどうする」
「さっきまで自分も話してただろ」
「終わったんだから終わりだ」
エルセリアが小さく笑い、杯を置いた。
「じゃあ、何の話をするの?」
エイリクは肉を噛みながらシグを見る。
「そういやシグ、お前、歳いくつだ?」
シグは眉を寄せた。
「今さら?」
「ああ」
「十七」
「若いとは思ってたが、本当に若いな」
「エイリクは?」
「三十八だ」
シグの視線が上から下まで動いた。
「もっと上かと思ってた」
「喧嘩売ってんのか?」
エイリクの耳がぴくりと動く。エルセリアが吹き出した。
「エルセリアは?」
「二十九よ」
今度はシグが目を見張る。
「二十九?」
「何よ」
「いや、もっと……」
「続けてみなさいよ」
「何でもない」
エイリクが豪快に笑った。酒が回ってきたのか、いつもより明らかに声が大きい。
「そういうお前は、十七で準騎士だったんだろ?」
「なんで知ってる?」
「前に聞いた」
「そこは覚えてるのか」
シグは肉を一切れ取った。
「最初は雑用係だったよ。入団試験には落ちたから」
「そこから準騎士か」
「トーマス隊長が拾ってくれた。最初は掃除とか荷運びばっかりだったけど、訓練には混ぜてもらってた」
「お前らしいな」
「どういう意味だよ」
「落とされても帰らなかったんだろ?」
シグは少し考えた。
「……まあ」
エイリクは笑い、また酒を飲む。今度はシグが尋ねた。
「エイリクはヴァルトの出身だろ? なんで旅してるんだ?」
杯が止まる。エイリクは少しだけ黙ったあと、そのまま酒を飲み干した。
「負けたからだ」
「誰に?」
「ジフレって奴だ。二十五の時、一騎打ちでな」
シグは初めて聞く名前だった。
「そんなに強いのか?」
「強かった。腹が立つくらいこてんぱんにされてな」
エイリクの口調がわずかに熱を帯びる。
「俺は一族の中でも一番強いと思ってた。親父は族長で、俺も兵団の副団長だった。負けるなんて、本気で考えてなかった」
空いた杯へまた酒を注ぐ。
「それで負けた」
「だから旅に?」
「ああ。もっと強くなりたくてな。七年ほど帰らなかった」
シグは少し身を乗り出す。
「帰ったらどうなったんだ?」
エイリクは杯を眺めた。
「親父に勘当された」
「……なんで?」
「七年も音沙汰なしで勝手に飛び出した馬鹿息子だからだろ」
言い方は軽かったが、それ以上のことを笑い話にする気もないらしい。
「それでまた出た。今度は戻る期限も決めずにな」
シグは少し迷ってから尋ねる。
「帰りたいと思わないのか?」
「故郷は嫌いじゃない」
それだけ答えて、肉へ手を伸ばす。シグもそれ以上は聞かなかった。
「エルセリアは?」
矛先を向けると、彼女は涼しい顔で酒を飲んでいる。
「私はセレスティア聖王国の出身よ。色々あってね」
一瞬だけ間が空いた。シグはエルセリアを見る。いつもの柔らかな表情だったが、その先を話す気がないことだけは分かった。
「そっか」
それ以上は突っ込まない。エルセリアが少しだけ目を細めた。
「聞かないの?」
「話したくなったら聞くよ」
今度はエルセリアが杯を持ち上げる。
「そうさせてもらうわ」
その頃には、エイリクの声はさらに大きくなっていた。シグは三杯目を飲んでもほとんど変わらない。エルセリアの前にはそれ以上の空杯が並んでいるのに、頬に赤みすら差していなかった。
「お前ら、なんで平気なんだ?」
エイリクが不満そうに二人を見る。
「エイリクが弱いんじゃない?」
「誰が弱いって?」
「酒の話だよ」
「ああ? 勝負するか?」
「何の勝負だよ」
「私は構わないわよ」
「……なんでお前が乗ってくるんだ」
「勝負するんでしょう?」
エルセリアが楽しそうに笑う。卓の上には空いた皿と杯が増えていった。
その夜はもう、紋章狩りの話には戻らなかった。
三人が店を出る頃には、バルサの通りに夜の灯りが並んでいた。




