第五話:届いた名前/第二幕:生け捕りの依頼
ギルドから渡された資料には、対象の人相だけでなく、現れやすい場所や時間帯まで細かく記されていた。
三人は表通りを外れ、倉庫街へ入る。大通りの喧騒は遠のき、代わりに木箱を引きずる音や荷を積み替える掛け声が建物の隙間から断続的に響いていた。
シグは歩きながら資料を開いた。
「灰色の上着。左頬に傷。短く刈った髪」
「場所も合ってるわね」
エルセリアが周囲を警戒しながら答える。
紙には、対象が昼前後にこの一帯へ現れる可能性が高いとあった。
「ずいぶん詳しいな」
エイリクが呟く。
「依頼人、よっぽどよく調べてる」
「そうみたいだな」
シグは紙を畳み、懐へ戻した。誰が調べたのかは分からない。だが、今はその情報が正しいかを確かめる方が先だった。
倉庫の角を曲がったところで、先頭を歩いていたエイリクが足を止めた。
「いたぞ」
二十歩ほど先。短く刈った髪に灰色の上着を着た男が立っていた。横顔を覗かせた左頬には、細い傷が走っている。
依頼書に記された特徴と一致している。
シグはすぐには動かず、背後の壁に身を寄せる。男は周囲を確かめるように一度立ち止まり、そのまま細い路地へ入っていった。
三人は距離を空けて追う。
路地へ入ると、奥から物の落ちる音がした。
男が一人の若者を壁へ押しつけている。荷運びの途中だったのか、足元には木箱が倒れ、中身が石畳へ散らばっていた。
「離せ! 何なんだよ!」
若者が腕を振りほどこうとする。男は構わずその手首を掴み、袖を強引に捲り上げた。
前腕に、小さな紋章があった。
男は紋章を確かめると、もう片方の手で細身の刃物を抜いた。普通の短剣には見えない。刃から柄にかけて細かな術式が刻まれている。
若者の顔色が変わる。
「待て。何する気だ」
「暴れるな。すぐ終わる」
男が紋章へ刃先を近づける。刻まれた術式が、淡い光を帯びた。
そこでシグは路地へ踏み込んだ。
「その手を離せ!」
男が振り向く。その隙に若者は腕を振りほどき、壁際から逃れた。
「走れ!」
シグが叫ぶと、若者は倒れた木箱を跨ぎ、そのまま路地の外へ駆けていった。
男は舌打ちし、シグたちを睨み据えた。
「冒険者か」
エルセリアが一歩前へ出る。
「武器を捨てなさい」
男は答えなかった。
次の瞬間、手にしていた刃物が投擲される。シグは身体を捻った。刃が肩口を掠め、背後の壁深くへ突き刺さる。その隙に男は反転し、走り出した。
「逃がすな!」
シグも追う。男は大通りには出ず、倉庫の間を縫うように複雑に駆ける。
急な曲がり角へ飛び込んだ瞬間、シグは足を止めかけた。
待っていた。
男の短剣が脇腹へ突き出される。シグは無理やり剣を抜き、その刃を受け流した。金属音が狭い路地へ硬く響く。
男は一撃で離れた。深追いせず、こちらの間合いを測っている。すぐに踏み込まず、シグの剣先を見てから左へ回った。魔獣とは違う。相手もこちらを見て思考している。
「邪魔すんなよ」
男が吐き捨てる。視線だけがシグの後ろへ向いた。つられそうになる首を、シグは必死に止めた。
男が動く。フェイントだった。短剣が剣の内側へ滑り込む。
シグは柄を引き、その刃を外へ弾いた。男はそのまま横を抜けようとする。追えば斬れる。だが、背中へ刃を入れれば加減できる保証などない。
捕縛。
その二文字が頭をよぎる。シグは斬らなかった。代わりに剣先を男の進路へ向け、魔力を流す。
《風撃》。
空気が弾けた。風圧は男の身体ではなく、踏み出した足元を横からさらった。
「っ!」
踏み出した足が流れ、バランスが崩れた。男は転ぶまいと壁へ手をつく。そこへエイリクが回り込み、逃げ道を完全に塞いだ。
男は即座に向きを変え、反対側へ走ろうとする。だがシグが前へ出て、剣を構えた。
「もう逃げられない」
「どけ!」
男が短剣を振るう。シグは一歩下がってそれを避け、振るわれた腕へ剣の腹を打ちつけた。
カラン、と短剣が石畳に落ちる。
男はすぐに左手を懐へ入れた。
「まだ持ってる!」
シグが声を上げる。抜かれた二本目の刃が、エイリクへ向かって突き出された。
だがその刃が振るわれる前に、エルセリアが踏み込んだ。振るわれる腕をかわし、剣の腹を男の脇腹へ叩きつける。
刀身に青白い雷が走った。
「ぐぅッ!」
男の身体が大きく強張る。
男は倒れ込み、身体を跳ねさせた。そこへエイリクが覆いかぶさり、背中を膝で押さえ込む。
シグは一度だけ深く息を吐き、自分の手元の剣に目を落とす。刃に血はついていなかった。
◇
指定された引き渡し場所は、倉庫街のさらに奥、人目につかない一角にあった。衛兵の詰所でも、冒険者ギルドの施設でもない。
古い倉庫の前に、数人の男たちが無言で立っている。その中心に、一人だけ雰囲気の違う男がいた。
黒髪を七三に分けた短髪。白い襟付きのシャツに暗色のベスト、細身のズボンと革靴。一見すれば商人か役人にも見える。
だが、周囲の男たちは彼がわずかに動くたび、自然に道を空けた。
男はシグたちを見ると、柔らかな笑みを浮かべる。
「お待ちしていました」
捕らえられた男が顔を上げ、その表情が強張った。
「……ベルフォート」
黒髪の男がそちらに視線を向ける。
「お久しぶりですね。こういう形で再会するとは思いませんでした」
声音はどこまでも穏やかだった。シグは男を凝視する。
「あなたが依頼人ですか?」
「はい。私個人ではありませんが」
男は胸元へ軽く手を添えた。
「トリスタン・ベルフォートと申します。サンゲ・ネーロで、対外的な仕事を任されています」
シグの眉が険しく寄る。
「サンゲ・ネーロ……?」
「ええ」
否定する様子はない。
エイリクが周囲の男たちを見回して言った。
「裏稼業の連中が依頼人だったとはな」
「意外でしたか?」
トリスタンは笑みを崩さない。
「ギルドには我々の身元を伝えています。冒険者の方々へ公開しないという条件で、ですが」
「どうして紋章狩りを追ってるんです?」
シグが尋ねる。トリスタンの視線が、捕らえた男へ静かに移った。
「商売にはルールがあります。裏の商売なら、なおさらです。一般市民を襲い、身体から紋章を奪って商品にする。そこまで許すわけにはいきません」
「なら、自分たちで捕まえればいいのでは?」
「我々が動けば、相手も気づきます。顔も名前も知られている人間が多いので。今回は外から動いてもらった方が都合がよかった」
シグは捕らえた男を見る。
「こいつをどうするんですか?」
「話を聞きます」
「話さなかったら?」
トリスタンの笑みがわずかに薄くなった。
「我々は衛兵ではありませんから。我々のやり方で処理します」
トリスタンは部下から、男が持っていた術式入りの刃物を受け取る。
「この人物は、実行犯の一人でしょう。この男を捕らえただけで、紋章の売買まで止まるとは考えていません」
「じゃあ、紋章狩りはまだ終わってない?」
「ええ」
トリスタンは頷いた。
「ただし、ここから先は今回の依頼には含まれていません」
部下たちが捕らえた男を引き取っていく。トリスタンは依頼完了を証明する書類をシグへ差し出した。
「ご協力に感謝します。今回の仕事は、これで完了です」
シグは書類を受け取りながら、連れていかれる男の背中を見送った。
倉庫の奥へ消える直前、男が一度だけこちらを振り返った。
シグは隣のエルセリアを見る。
彼女は何も言わなかった。
手の中には、依頼完了を証明する書類が残った。




