第四話:新たな武器、新たな一歩/第一幕:届かない一手
翌朝、シグは宿の一階で剣の手入れをしていた。準騎士となってから愛用してきた騎士団の制式剣だ。
布で刀身を拭い、刃を光へかざす。ブルータルウルサスを何度も斬りつけたが、大きな刃こぼれはない。柄の巻きにも緩みはなく、鍔も問題なく固定されている。
使えなくなったわけではない。
むしろ昨日、この剣が兵災級の魔獣にも通じることは自分の手で確かめた。
シグは刃を鞘へ収めた。
金属同士が擦れる乾いた音を聞いた途端、別の光景が浮かんだ。
地面が跳ね、三人の位置が大きく離れた。赤黒い魔力を纏ったブルータルウルサスが、エルセリアへ向かって走る。
何をすればいいかは分かっていた。
それでも、自分は走ることしかできなかった。
代わりに届いたのは、青白い雷だった。
「エルセリア」
少し離れた卓で地図を見ていたエルセリアが顔を上げた。
「なに?」
「紋章剣って、どれくらい種類がある?」
向かいで朝食を食べていたエイリクも視線を上げた。
「急にどうした」
シグは腰の剣を軽く叩いた。
「こいつが駄目なわけじゃない。でも、昨日みたいに離された時、俺には何もできなかった」
エルセリアは何も挟まず聞いている。
「大きな魔法じゃなくていいんだ。少し離れたところへ何かできればいい。相手を倒せなくても、踏み込みをずらすとか、一瞬止めるとか」
「それで十分な時もある、か」
エルセリアが言う。
「そういうこと」
シグは頷いた。
「剣を使うのは変えたくない。今まで体に叩き込んだ型まで捨てる必要はないと思うから。でも、剣だけじゃ届かないところを何とかできる武器があるなら、見てみたい」
エイリクがパンを飲み込む。
「じゃあ武具屋だな」
「あるのか?」
「この街でなかったら、どこで探すんだよ」
エイリクが椅子を引いた。
「ただし買うものは自分で決めろ」
「そのつもりだよ」
◇
昼前、三人は冒険者ギルド本部から少し離れた武具店へ入った。
店内には油と革、それに研磨剤の匂いがこもっている。壁には剣、槍、斧が隙間なく並び、その一角だけ、柄や鍔に細かな紋様を刻んだ武器がまとめられていた。
シグは真っ直ぐそこへ向かった。
「剣を探してるのか?」
奥から出てきた店主が尋ねる。
「はい。片手剣で、普通の剣としても使えて、少し離れた相手に何かできるやつはあります?」
「何か、じゃ広すぎるな」
店主は棚から一本抜いた。
「火ならある。刀身の先から火炎を出せる」
値札を見て、シグはすぐ戻した。
「高い」
「まともな紋章剣だからな」
次は雷属性だった。刀身が触れた相手へ弱い電撃を流すという。
「これは?」
「今のより安い」
「でも離れた相手には届かないよな」
「基本は接触だ」
それも戻した。
他にも数本見せてもらったが、値札を見るたび財布の中身が頭に浮かぶ。初依頼の報酬を全部使っても足りないものが多い。
エルセリアは何も言わない。
金を貸すとも、別のものにしろとも言わなかった。
シグは棚の端まで歩き、そこで一本の剣に目を止めた。
他の紋章剣とは違い、乱雑に隅へ立てかけられている。形は普通の片手剣に近い。派手な装飾もない。鍔の近くに、風を表しているらしい細い紋様が刻まれていた。
そして値札が妙に安い。
「これ、なんでこんな値段なんだ?」
店主が「ああ」と声を漏らした。
「あれか。勧めないぞ」
「壊れてる?」
「剣としては使える」
店主はシグから剣を受け取り、刀身を軽く叩いた。
澄んだ金属音が返る。
「問題はこっちだ」
指先が鍔の紋様を示した。
「風属性の術式が入ってる。魔力を流せば、刀身から風圧を飛ばす。《風撃》ってやつだ」
シグの目が止まった。
「どのくらい飛ぶ?」
「せいぜい十歩先だ。人を吹き飛ばすほどじゃない。足を止めたり、軽い物を飛ばしたり、小型の魔獣を牽制する程度だな」
「飛び掛かってくる相手の軌道もずらせるか?」
「当て方次第じゃ軌道くらいはずらせるだろう」
シグは剣を見た。
「じゃあ、なんで売れないんだ?」
店主は肩をすくめる。
「燃費が最悪なんだよ」
「燃費?」
「作る時に術式をしくじったらしい。同じ《風撃》を出すのに、普通の紋章剣よりずっと魔力を食う。しかも多く流したからって、そのぶん強くなるわけでもない。余った魔力はほとんど消える。使う側からすれば、同じことをするために余計に疲れるだけだ」
「……それで安いのか」
「不良品だからな」
シグはもう一度剣を受け取った。
重さは制式剣と大きく変わらない。
握りも悪くない。
十歩先。
相手を倒せなくてもいい。
昨日、自分が走っても間に合わなかった距離へ、一瞬だけでも何かを届かせられる。
「これ、試せる?」
店主が眉を上げる。
「本気か?」
シグは柄を握り直した。
高性能な剣には見えない。
店では売れ残った不良品だ。
それでもシグは柄から手を離さなかった。
十歩先まで届く。今の自分が欲しいのは、それだった。




