第二話:新人冒険者シグ・フリューゲン/第三幕:依頼書にない痕跡
ギルド本部を出る前に、シグは広げた地図の上で指を止めた。
「西門から出て、この街道を途中まで。そこから脇道に入る」
依頼書と見比べながら、曲がる場所をもう一度確かめる。旧監視小屋までは片道半日ほど。日が落ちる前に戻るなら、現地で使える時間はそれほど長くない。
「水は?」
エイリクに聞かれ、シグは肩から下ろした荷袋を開いた。
「今日中には戻れると思うけど、余分に入れた。食料も同じくらい」
「それでいい」
短い返事だけだった。
シグは革紐の緩みを締め直し、腰の剣へ手を伸ばす。鞘から少しだけ抜いた刀身に目立った刃こぼれはない。鍔も緩んでいなかった。王国騎士団で使っていた制式剣は、慣れた重さで手の中に収まる。
何度も握ってきた武器だった。
今のところ、替える理由はない。
剣を納めたあと、布、火口、細い縄、携帯灯を確かめる。そこで手が止まった。
「……油」
シグが呟くと、横にいたエルセリアが視線だけを向けた。
「何に使うつもり?」
「暗くなった時のために。戻りが遅れたら困るから」
「なら持っていった方がいいわね」
答えを聞いてから、シグは自分で売店の方角を探した。
必要なものを揃え終える頃には、昼を少し回っていた。
冒険者証と依頼書を一度確かめてから、シグは荷袋の口を締めた。
◇
バルサの西門を抜けると、街の喧騒は背後へ遠ざかっていった。
しばらくは荷車の轍が何本も残る広い街道を進む。商人や旅人と何度かすれ違ったが、依頼書に記されていた分岐を曲がる頃には人影が減った。
シグは先頭を歩いた。
「道、合ってる?」
後ろからエルセリアが尋ねる。
シグは地図を出さず、前方の低い丘と右手の林を見た。
「たぶん。依頼書だと、この先で道が細くなるはず」
少し進むと、草に半ば埋もれた古い道標が現れた。
シグはそこで立ち止まり、刻まれた文字を確認する。
「合ってる」
エイリクが横を通り過ぎながら言った。
「なら進め。日暮れは待ってくれん」
「分かってるよ」
歩きながら、シグは時折街道脇へ目を向けた。
折れた枝や乾きかけた泥、踏み倒された草。魔獣の痕跡らしいものがないかを探したが、すぐには何も見つからなかった。
日は高く、風はほとんどない。荷袋の重さは、歩くうちに肩へ馴染んでいった。
旧監視小屋が見え始めたのは、それからしばらくしてだった。
低い丘の裾に、石造りの小さな建物が傾くように残っている。屋根の一部は落ち、周囲には背の高い草が伸びていた。
「ここか」
シグは歩みを緩めた。
依頼書にあった目撃情報を思い出し、シグはすぐに小屋へ向かわず、道の端で足を止める。
風向きを確かめ、周囲を見回した。
人の声はない。
草の擦れる音と、遠くで鳴く鳥の声だけが聞こえる。
「先に見る?」
エルセリアの問いに、シグは頷いた。
街道から外れ、痕跡を踏み荒らさないよう足場を選びながら進む。
小屋の手前には、荷車のものらしい古い轍が残っていた。片側だけ深く沈み、その先で草が大きく乱れている。踏み込む前に、シグはもう一度周囲へ目をやった。動くものはない。
「荷箱を落としたのは、この辺りか」
地面にしゃがみ込む。
泥の上に足跡があった。
幅の広い、四足獣らしい跡。
大きさから見れば、依頼書にあった獣型魔獣という話にも合う。
シグは周囲を見回した。
少し離れた場所に木箱が横倒しになっている。
壊れてはいない。
「見つけたな」
エイリクが声を落とす。
シグも頷いた。
このまま近づいて、周囲を確認して、箱を持ち帰る。
思っていたより早く終わるかもしれない。
そう考えながら立ち上がりかけた時だった。
視界の端に、別の跡が入った。
シグは動きを止める。
「……待って」
もう一度しゃがみ込み、土の表面を確かめる。
最初に見つけたものより細い。
爪の位置も違う。
数歩先には、さらに別の踏み跡が重なっていた。
シグはゆっくりと顔を上げた。
小屋の周囲だけではない。
草が倒れている範囲が、思っていたより広い。
一本の獣道ができているような荒れ方でもなかった。地面の乱れ方に、規則性が見つからない。
エイリクも気づいたらしく、隣で足を止める。
「一匹じゃないな」
「……ああ」
シグは荷袋から依頼書を取り出した。そこには、旧監視小屋の近くで獣型の魔獣らしきものが目撃された、とだけ書かれている。
地面へ目を戻す。
同じ形の足跡だけなら、群れという可能性もあった。
だが、大きさも形も違う。それが小屋の周囲へ集まるように重なっていた。
シグは依頼書から、少し離れた場所に転がる荷箱へ目を移した。
探していたものは、もう見つかっている。
それでもシグは、荷箱へ近づかなかった。




