幕間:追う者たち
ゼルヴェナ帝国第七紋章騎士団の前線拠点へ戻った分隊は、出発した時よりも会話が少なかった。
足を引きずる者、担架に乗せられていく者。薬草と血の混じった臭いが、石造りの廊下に居座っていた。分隊長は自分の外套に染みついた泥の重さを、まだ拭えずにいた。
報告室に入ると、ガイゼン・ローディスが机の向こうで直立していた。その半歩後ろにルーベン・ケラーが控えている。窓から差す光は乏しく、羊皮紙の上に落ちる影だけが妙に濃かった。
「紋章が現れたのは、交戦の前か後か」
ガイゼンの声には抑揚がなかった。
「後です。拘束術式を展開し、腰まで進んだ直後でした」
「その時、少年はどこにいた」
「包囲の中央です。剣を構えてはいましたが、まだ攻撃は受けていません」
分隊長は、右腕の包帯へ無意識に指を這わせながら、記憶をひとつずつ引き出した。
分隊長は、右腕の包帯へ無意識に指を這わせながら、記憶をひとつずつ引き出した。黒い紋章が右上腕へ浮かび、巻き込まれた兵が装備ごと消えたこと。あの時の悲鳴は、まだ耳に残っている。
ガイゼンは聞き終えるまで一度も口を挟まなかった。机の上には帰還者の名簿が広げられ、死亡の文字にはすでに確認の印がついている。
ルーベンが一歩前へ出た。声の高さは変わらないが、言葉の選び方が分隊長にはわずかに柔らかく感じられた。
「その少年に、自分の意思で発動したと判断できる言動はありましたか」
「……ありません」
「発現の前後で、様子に変化は」
「紋章が現れてからは、こちらの声が届いていないようでした。何かを狙っていたようにも見えません」
ガイゼンが顔を上げる。
「少年の名は」
「シグ・フリューゲンと名乗りました」
羽根筆が動き、名が書き留められる。
「撤退の判断は」
「私です」
「継続できたか」
分隊長は一拍、息を止めた。
「……できませんでした」
「ならばいい。下がれ。負傷者の処置を優先しろ」
分隊長は一礼した。顔を上げる直前、視線がわずかにガイゼンの手元の名簿の上で止まった。
それから部屋を出た。
ルーベンもそこへ目を落とした。
「生存者の中には、少年を処罰すべきだという声もあります」
「当然だ。仲間を失った者に、それを抱くなとは言わない」
ガイゼンは名簿を閉じた。
「だが、法は感情を許さない」
死者の名はすべて別紙に記した。だからこそ、そこに書かれていない罪まで付け足すことはしない。
◇
数日後、本国の封蝋が押された命令書がガイゼンの執務室に届いた。
蝋の縁は幾度も検分された指の跡で、角がわずかに丸くなっていた。
ルーベンがそれを開き、文字を追ったまま止まった。
「所在確認と、生存状態での確保。事情聴取と、未知の紋章についての調査――」
「従来の追跡任務は」
「別部隊へ引き継ぐ、とあります」
ガイゼンは椅子を立ち、剣帯を締め直した。窓の外では相変わらず剣同士の打ち合う音が響いている。
「現時点では、少年本人の意思までは確認できていません」
ルーベンは命令書に目を落としたまま言った。咎める響きはなく、ただ確かめる調子だった。
「だから確かめる」
「確保した後に、ですか」
「そうだ。我々の仕事は、確認されていない罪を作ることではない」
ルーベンは短く頷き、命令書を畳んだ。反論はしなかった。ただ、畳んだ紙の角を指で押さえる時間が、いつもより少しだけ長かった。
廊下へ出ると、各隊の指揮官が集められた。シイバから戻った者の顔もある。仲間を失った者の顔もある。ガイゼンはそのどの顔にも視線を留めなかった。
「以後、第七紋章騎士団の最優先任務を変更する」
室内から物音が消えた。
「シグ・フリューゲンを追う」




