第三話:それでも、この手で/第四幕:剣はまだ、この手に
街道に残ったのは、倒れた荷車と散らばった荷、それに二体のハリアージャッカルの死骸だった。
逃げていった個体の姿は、もう疎林の向こうに見えない。エイリクはしばらくその方向を見ていたが、追う気配がないことを確かめると斧を下ろした。
「負傷者から見るぞ」
護衛の一人が左脚から血を流していた。エルセリアが膝をつき、傷の具合を確かめる。その脇では、無事だった護衛が倒れた荷車から布と水を探していた。
シグは剣を鞘へ戻したまま、先ほど助けた男の足元へしゃがんだ。木箱を退けると、挟まれていた脚が見える。酷く腫れてはいるが、骨が皮膚を破っている様子はない。
「立てそうか?」
「やってみる」
男が地面へ手をついた。シグが肩を貸すと、どうにか片脚で身体を起こす。
「助かったよ」
男は息を整えながら、シグを見た。
「もう駄目だと思った。あんたが来なかったら、今頃……」
「いや」
咄嗟に否定しかけて、シグは言葉を止めた。
男は何も知らない。シイバのことも、帝国兵のことも、王国が自分を探していることも。
ただ、魔獣に襲われたところを助けられた。それだけだ。
「……無事なら、それでいい」
シグがそう返すと、男はもう一度深く頭を下げた。
その様子を少し離れたところから見ていたエイリクが、鼻を鳴らした。
「ずいぶん騎士らしい返しだな」
「悪いかよ」
「別に」
エイリクは死骸のそばへしゃがみ込み、斧の刃を布で拭った。
「戦い方も騎士だったしな」
シグは眉を寄せる。
「それ、褒めてる?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「悪い癖だ」
即答だった。シグは思わずエイリクを見る。
「どこが?」
「まず、正面から受けすぎる。相手が飛びかかってくるたびに、ぎりぎりまで引きつけてから剣で対処してるだろ」
「見ないでどう戦うんだよ」
「そういう意味じゃねえ」
エイリクは立ち上がり、横倒しになった荷車を顎で示した。
「使えるもんが周りにあるのに、自分と敵だけで戦おうとする。あの荷車も木箱も、敵の踏み込みを殺す壁になるし、足場にもなる。お前、最初から最後まで自分の剣だけで何とかしようとしてたぞ」
シグはさっきの戦いを思い返す。
否定できない。
「それに、追撃できる時に止まった」
「それは……」
右腕へ視線が落ちる。エイリクはそこには触れなかった。
「理由があるのは分かる。ただ、止まるなら止まるので、その次を考えろ。相手は待ってくれん」
「でも、結果的には倒せただろ」
「今回はな」
言い方が気に障った。
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」
エイリクは少しだけ笑った。
「その顔ができるなら、朝よりマシだな」
「話そらすなよ」
「そらしてねえ。技術はあるって言ってる」
その言葉には、からかう調子がなかった。
「足運びも受けも悪くない。あの飛び掛かりを流したのも基本通りだ。ちゃんと教えられてる」
シグは少しだけ肩の力を抜いた。
「トーマス隊長に教わった」
「だろうな」
エイリクは斧を背へ戻した。
「でも、お前は騎士団で戦う前提の癖が強い。周りに味方がいる。装備も揃ってる。正面から敵を止めれば誰かが横を取ってくれる。そういう戦い方だ」
「……それじゃ駄目なのか?」
「駄目じゃない。ただ、いつでもその条件が揃うと思うなって話だ」
エルセリアが負傷者の応急処置を終え、立ち上がった。
「その辺りは、後でゆっくり話した方がよさそうね」
「そうだな」
エイリクはシグへ目を向ける。
「お前は『死なない戦い方』を覚えた方がいい」
シグは意味を測りかねた。
「どういう意味だ」
「明日、暇なら剣持って来い。身体で覚えた方が早い」
「今説明してくれないのか?」
「今は負傷者を街へ戻す方が先だろう」
もっともだった。シグは口を閉ざした。
◇
サヴァールへ戻った頃には、空が赤みを帯び始めていた。
荷車の護衛たちを門の衛兵へ引き渡し、事情を説明した後、三人はいったん宿へ戻った。
夕食まで少し時間がある。シグは一人で裏庭へ出た。
朝と同じ場所だった。石壁の向こうから荷車の音が聞こえる。
剣を抜く。刀身には、落とし切れなかったハリアージャッカルの血が薄く残っていた。
右腕を見る。黒い紋章は服の下で沈黙している。
安全だとは思わない。次に何が起きるのかも分からない。
それでも、街道で魔獣へ踏み込んだ時の感触は残っていた。
自分で間合いを測り、自分で剣を振った。
命令されたわけでも、騎士団の任務でもない。
あの男を助けなければならない義務など、シグにはなかったが、それでも身体は動いた。
シグは剣を構えた。
朝と同じ型。
一歩踏み込む。肩を入れ、腰を回す。
剣が空気を切る。最後まで振り抜いても、右腕の紋章は静かなままだった。
シグはゆっくり構えを戻す。
恐怖が消えたわけではない。
それでも、もう一度振ることはできた。
「……まだ、戦える」
小さく呟いてから、シグは剣を鞘へ収めた。




