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【第一章完結】Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第二章:「追われる少年」

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第三話:それでも、この手で/第三幕:積み上げてきたもの

 南門を抜けると、エイリクは街道脇に残る(わだち)を追って走った。


 サヴァールの城壁が背後へ遠ざかり、街道の両側には陽に乾いた低い草原と疎らな木々が広がっていく。南東へ延びる街道には、こちらへ逃げてくる旅人が何人か見えた。


「魔獣だ! 先へ行くな!」


 すれ違いざまに男が叫ぶ。


「何匹いた?」


 エイリクは足を止めずに聞いた。


「五、六……もっといたかもしれん!」


 この辺りで複数現れる魔獣なら、シグにも心当たりがあった。


 ――ハリアージャッカル。


 リューンとエルバの一帯にも生息する獣型の魔獣。単体なら訓練を受けた兵士でも倒せるが、群れで獲物を囲み、死角から襲う習性を持つ。


 シグの知る限り、決して一体一体が手に負えない相手ではない。


 ほどなくして、川に架かる古い石橋が見えてきた。


 その手前で荷車が一台横倒しになっている。


 地面には割れた木箱や布袋が散乱し、二頭いたらしい馬のうち一頭は倒れ、もう一頭は手綱を引き千切って逃げたらしい。


 そして、その周囲を灰褐色の獣が動いていた。


「六体」


 エルセリアが数える。


 護衛らしい男が二人、荷車を背にして剣を構えていた。一人は左脚から血を流している。その後ろには商人らしい男女が身を寄せ合っていた。


 三体のハリアージャッカルが正面にいる。


 残る三体は距離を取り、左右へ散っていた。


「囲んでやがるな」


 エイリクが斧を抜いた。


 一体が護衛へ飛び掛かる。


 男が剣を振るうと、魔獣は地面を蹴って横へ逃れた。


 直後、死角へ回っていた別の一体が走る。


 狙いは負傷した護衛だった。


「伏せろ!」


 エイリクが駆け込んだ。


 横倒しになった木箱の角へ片足を掛け、そのまま身体を跳ね上げる。騎士団で教わるような整った踏み込みではない。振り下ろした斧の腹が、飛び掛かろうとしていた魔獣の頭部を横から殴りつけた。


 鈍い音が響く。


 魔獣が地面を転がった。


 エイリクはそのまま荷車と護衛の間へ入り、斧を構えた。


「動ける奴は荷車の後ろへ回れ!」


 護衛が負傷した仲間へ肩を貸す。


 残る魔獣たちが散った。


 逃げたのではない。


 エイリクを避けるように左右へ広がっている。


「来るわ」


 エルセリアが杖を向けた。


 右側から二体。


 左から一体。


 同時だった。


 光が走る。


 先頭の一体が地面を蹴った瞬間、その足元で白い光が弾けた。魔獣が体勢を崩し、草地を滑る。


 もう一体は止まらない。


 エイリクへ向かうと見せて、途中で進路を変えた。


 荷車の裏へ回ろうとしている。


 シグは剣へ手を掛けた。


 抜いた。


 そこまではできた。


 魔獣が走る。


 身体は細い。あの日対峙したセグラヴァスとは比べものにならない。


 倒せる。


 そう分かっている。


 踏み込めばいい。


 間合いへ入った瞬間、首か前脚を狙う。


 何度も教わった。


 それなのに、足が出ない。


 右腕が熱を持った気がした。


 ――もし、また。


「シグ!」


 エルセリアの声。


 魔獣が目の前にいた。


 反応が遅れた。


 牙が迫る。


 横から斧の柄が突き出された。


 魔獣の脇腹を打ち、軌道を逸らす。


「戦うなら周りを見ろ!」


 エイリクだった。


「悪い!」


 謝りながら剣を構え直す。


 その間にも、別の一体が動いていた。


 二体の視線がシグへ向く。


 一体が正面から唸り、もう一体が左へ回る。


 狙われている。


 それでも剣を握る手に力が入らない。


 正面の一体が飛び掛かった。


 シグは反射的に横へ退いた。


 剣は振らない。


 牙を避けるだけ。


 着地した魔獣が振り向く。


 その瞬間、左へ回っていた個体が走った。


 シグではない。


 荷車の向こうだった。


「――っ!」


 そこに、一人取り残されていた。


 横倒しになった荷車から少し離れた場所で、若い商人が倒れている。散乱した木箱と布袋に足を挟まれ、動けずにいた。


 ハリアージャッカルは負傷者へ向かう。


 エルセリアは反対側の二体を押さえている。


 エイリクの前にも一体。


 一番近いのはシグだった。


 逃げられる。


 魔獣の狙いは自分ではない。


 朝は、剣を振り抜けなかった。


 今も怖い。


 それでも、シグは走った。


「こっちだ!」


 魔獣が振り向く。


 商人へ飛び掛かる直前、その進路へ身体を滑り込ませた。


 剣を両手で構える。


 右腕は熱い。


 紋章が暴れるかもしれない。


 それでも今、剣を止めれば後ろの男が死ぬ。


 魔獣が地面を蹴った。


 速い。


 だが、直線だ。


 シグは逃げなかった。


 半歩だけ左へずれる。


 牙が肩を狙って伸びる。


 剣を斜めに合わせた。力で受け止めず、刃の腹で頭を外へ流す。トーマスに何度も叩き込まれた受け方だった。


 魔獣の身体が横を抜けた。


 シグは振り向く。


 着地と同時に、四肢が沈む。


 次に跳ぶための動き。


 見える。


 今度は迷わず、踏み込んだ。


 魔獣が跳ぶより早く間合いを潰す。


 剣を振る。


 刃が首筋へ入り、肉を断つ感触が両手へ伝わる。


 魔獣は二歩ほど進み、崩れ落ちた。


 剣から一滴、二滴と血が落ちる。


 右腕を見るが、黒い紋様は広がっていない。


 地面も消えていない。


 後ろから、荒い呼吸が聞こえた。


 助けた商人が生きている。


 何も起きなかった。


 自分が剣を振った。


 ただ、それだけだった。


「シグ、右!」


 エイリクの声が飛ぶ。


 考えるより先に振り向いた。


 別の一体が迫っている。


 今度は足が止まらなかった。


 飛び掛ってきたハリアージャッカルを剣で逸らす。


 着地した魔獣へ追撃しようとして、一瞬だけ迷う。


 そこへエイリクが入った。


 斧が地面すれすれを走り、魔獣の前脚を薙ぐ。


 体勢が崩れた。


「今だ!」


 シグは踏み込み、剣を突き入れた。


 短い断末魔。


 魔獣が動かなくなる。


 残った個体が距離を取った。


 エルセリアの光を避け、さらに後退する。


 一体が低く鳴いた。


 それを合図にしたように、二体が草原へ走り出す。


「追うな」


 エイリクが言った。


 シグは剣を下ろした。


 追う必要はない。


 魔獣たちは何度か振り返りながら疎林の向こうへ消えていった。


 街道に静けさが戻る。草原を渡る風が、血の匂いを薄く運んでいく。


 荒い呼吸だけが耳に残った。


 シグは自分の剣を見る。


 刃には魔獣の血が付いている。


 右腕を見る。


 《ヴォイド・コード》は今も沈黙していた。


 次も同じとは限らない。


 また恐怖に反応するかもしれない。


 何も分かっていないことは変わらない。


 それでも、自分にはこれがある。


 トーマスに教わり、何度も振り、準騎士になるまで積み上げてきたもの。


 シグは剣についた血を払い落とした。


 鞘へ収める。


 今度は、手が震えていなかった。

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