第二話:追われる少年/第一幕:祖国の視線
サヴァールへ着いてから、三日が経った。
その間、シグたちは三人で決めた通り、この街で流れているシイバについての情報を集めていた。
とはいえ、シグが自分から聞き回ることはほとんどない。事件について詳しく尋ねれば、それだけで素性を疑われる危険性がある。エルセリアも目立つ動きは避け、主にエイリクが傭兵ギルドで得られる情報を拾っていた。
その日の夕方、宿へ戻ってきたエイリクは、扉を閉めるなり腰の剣を壁へ立てかけた。
「少し面倒なことになってるぞ」
いつもの軽さが、声になかった。
窓際にいたシグが振り返る。卓上で書物を読んでいたエルセリアも顔を上げた。
「シイバのこと?」
「ああ。噂じゃない。王国が正式に調査を始めてる」
シグは椅子から身を起こした。
「王国が?」
「東から来た連中に確認した。王国騎士団がシイバ周辺に入って、生存者への聞き取りと現場の調査をやってる。死者と行方不明者も洗い直してるらしい」
シグは黙って続きを待った。
王国が動くこと自体は不思議ではない。村が一つ壊滅し、西方軍にも大きな被害が出た。そこへ帝国兵まで現れている。何も調べない方がおかしい。
むしろ、胸の奥に僅かな安堵さえあった。
酒場で聞いた根拠のない話とは違う。王国が正式に調べているなら、いつか本当のことが明らかになるかもしれない。
「誰から聞いたの?」
エルセリアが尋ねた。
「リューン方面から来た護衛屋と商人だ。別々に聞いたが、話は大体一致してる。少なくとも調査が入ったのは間違いないだろうな」
エイリクはそう言ってから、シグへ目を向けた。
「それと、もう一つある」
その声で、先ほどまでとは話が違うのだと分かった。
「何だ?」
「王国は事件の後、所在が分からなくなった人間も調べてる」
シグの指が膝の上で止まった。
エイリクは一拍置いた。
「その中に、お前の名前もあった」
「……俺の?」
「ああ。シイバにいた十七歳の準騎士。そこまで揃ってりゃ、お前だろ」
否定できなかった。
これまで聞いた噂では、まだ名前までは知られていなかった。「若い男」「黒い力」「右腕の黒い紋章」。どれだけ特徴が近づいても、そこに自分の名前はなかった。
だが、王国は違う。
当然なのだ。
シグは王国騎士団西方軍にいた。準騎士としての記録も残っている。シイバで育ったことも、事件の後に姿が見つかっていないことも、調べればすぐに分かる。
「どういう扱いになってるの?」
エルセリアが聞く。
「そこまでは掴めなかった」
エイリクは椅子を引いて座った。
「行方不明者として探してるのか、事件について話を聞きたいのか、それとも別の理由なのか。俺が聞けた範囲じゃ分からん」
「手配書は?」
「少なくともサヴァールじゃ見てない。捕縛命令が出てるって話も聞かなかった」
エルセリアは書物を閉じた。
「なら、現時点で分かっているのは、王国がシグの所在を確認しようとしていることだけね」
「そういうことだ」
二人はそれ以上、推測で話を広げなかった。
服の下には、あの黒い紋章が隠れている。皮膚の奥には、かすかな冷たさが残っている気がした。
王国は、どこまで知っているのだろう。
セグラヴァスのこと。黒い紋章が発現したこと。帝国兵と遭遇したこと。その後に何が起きたのか。
帝国兵の生存者が王国へ何かを伝えている可能性もある。
それでも、相手はリューン王国だった。
生まれ育った国だ。
西方軍にはトーマスがいる。シイバで共に戦った騎士たちにも、生き残った者がいるかもしれない。少なくとも、シグが突然村へ現れた正体不明の人間ではないことを知っている者はいる。
自分は何かを企んで、王国から逃げているわけではない。
「だったら……」
考えているうちに、言葉が口から出ていた。
エルセリアがシグを見る。
「俺が戻ればいいんじゃないか?」
エイリクの眉が僅かに動いた。
「王国に?」
「ああ」
シグは身体ごと二人へ向き直った。
「俺が知ってることを全部話す。セグラヴァスが先にシイバを襲ったことも、あの紋章が勝手に出たことも、帝国兵を殺そうとして使ったわけじゃないことも」
言葉にするほど、それが一番簡単な方法に思えた。
噂が間違っているなら、知っている者が訂正すればいい。
自分が疑われているのなら、自分で説明すればいい。
「俺は王国の人間だ。西方軍にもいた。トーマス隊長だって俺のことを知ってる。俺がセグラヴァスを呼んだわけじゃないって、調べれば――」
「シグ」
エルセリアの声に遮られた。
否定するような強い調子ではなかった。
「王国へ戻るという選択肢そのものが間違っているとは言わない」
シグは黙る。
「でも、今はまだ早い」
「どうして?」
「王国が何のために君を探しているのか分からないから」
エルセリアの視線が、シグの右腕へ向いた。
「あなた自身の説明と、《ヴォイド・コード》を王国がどう扱うかは別の問題よ。あれが再び暴走しないということを、まだ誰も保証できない」
シグは反論しかけて、口を閉じた。
それは自分でも分かっていた。
「だからといって、王国が君を敵と見ているとも限らない。今はどちらも決めつけるべきじゃないわ」
エイリクも卓へ肘をついた。
「探してるってだけじゃ、何も分からんからな。保護したいのかもしれんし、話を聞きたいだけかもしれん」
そこで一度言葉を切る。
「逆もある」
シグはエイリクを見る。
「帰れば捕まるかもしれないってことか?」
「可能性の話だ。今ある情報だけで決めるなってことだ」
もっともだった。
それでも、シグの中には引っ掛かるものが残った。
帝国とは違う。
自分はリューン王国で生まれ、そこで育った。騎士になるために剣を学び、王国騎士団の一員として働いていた。
その国が、自分の話さえ聞かずに敵として扱うとは思えなかった。
いや、そう思いたくなかったのかもしれない。
窓の外では日が落ち始めていた。通りを行き交う人々の声に混じって、遠くから鍛冶場の槌音が聞こえてくる。
シグは自分の掌を見つめた。
噂の中では、名前のなかった黒い紋章使い。
王国にとっては、もう違う。
シグ・フリューゲン。
自分の名前で探されている。
「……だったら、俺から話せばいいんじゃないか」
先ほどより小さな声で、シグはもう一度そう言った。
今度は誰も、すぐには答えなかった。




