第一話:新たな同行者/第一幕:傭兵と要塞の都
シグの身に何が起きようと、知らない街の朝は変わらず始まる。
宿を出た途端、通りの向こうから金属を打つ音が聞こえてきた。
一定の間隔で繰り返される槌音に、荷車の車輪が石畳を削る音、馬の嘶き、客を呼び込む商人の声が重なる。朝から人通りは多く、道沿いの店ではすでに職人たちが仕事を始めていた。
シグはエルセリアの半歩後ろを歩きながら、改めて周囲を見渡した。
昨日、サヴァールへ入った時にも大きな街だとは思った。だが、宿を探している間は身体の疲れもあり、街そのものを見る余裕はほとんどなかった。
こうして歩いてみると、シイバとは何もかもが違う。
大通りの両側には石造りの建物が並び、その合間に鍛冶場や武具店が軒を連ねている。開け放たれた工房から熱気が流れ出し、焼けた鉄と油、革をなめす薬品の臭いが鼻についた。軒先には剣や槍だけでなく、弩や大型の盾、シグには用途の分からない金属器具まで吊るされている。
建物の向こうには、街を囲む城壁が見えた。街路の先には物資を積んだ荷車が列を作り、その横を武装した男たちが通り過ぎていく。
軍事拠点。
最初に浮かんだのは、その言葉だった。
西方軍の駐屯地にも似た空気がある。武器があり、防具があり、それを整備する職人がいて、大量の物資が動いている。
しかし、少し歩くだけで違和感が積み重なっていった。
「……変な感じだな」
前を歩いていたエルセリアが振り返る。
「何が?」
「兵士だらけなのに、兵営みたいに見えない」
通りの端では、長槍を背負った男が露店で干し肉の値段を巡って店主と言い争っている。その隣を、背丈ほどもある斧を担いだドワーフが歩いていった。反対側から来た狐の耳を持つ獣人は弓を背負い、二人の人間と何か話しながら笑っている。
装備に統一性がない。
王国騎士なら、軍装を見れば所属がおおよそ分かる。部隊ごとに細かな違いはあっても、同じ軍の人間であることは一目で判断できた。
ここでは、それができない。
革鎧だけの者もいれば、全身を金属鎧で覆った者もいる。剣、槍、斧、弓、杖。身につけている徽章もばらばらで、そもそも何も付けていない者の方が多い。
「誰が指揮官なのか全然分からない」
「指揮官なんていないわよ」
「いない?」
「少なくとも、この通りを歩いている人たち全員を指揮する人間はいない」
エルセリアは前へ向き直った。
「ほとんど傭兵だから」
シグはもう一度、通りを見る。
「これが?」
「サヴァールは『傭兵と要塞の都』と呼ばれている。仕事を求めて来る者もいれば、ここを拠点にしている者もいる。護衛、魔獣討伐、紛争への参加。契約次第で仕事は変わるわ」
ちょうどその時、前方から五人ほどの一団が歩いてきた。
全員がひどく汚れていた。一人は額に包帯を巻き、別の男は肩を貸されて脚を引きずっている。先頭を歩く女が後ろの男へ何か怒鳴っていた。
「だから割に合わねえって言ったんだよ! 帰ったら追加分を請求するからな」
「俺に言うな。依頼主に言え」
「言って払う奴なら最初から揉めてねえよ」
その後ろでは、別の二人が今夜どこの酒場へ行くか話している。
シグは道を空けながら、一団を目で追った。
「……金を貰って戦うのか」
「そうね」
「誰のためでも?」
「契約するかどうかは本人たちが決める」
シグには、すぐには馴染めなかった。
剣を握り始めた頃から、目指していたのは騎士だった。騎士になって、人を守る。そのために剣を振るうのだと教わってきたし、自分でもそうありたいと思っていた。
報酬を提示され、その額によって戦う相手を決める。
それを同じものとして考えることは難しい。
「嫌い?」
エルセリアが不意に聞いた。
「いや……」
シグは少し考えた。
「分からない。ただ、俺が知ってるのとは違う」
「それなら、今はそれでいいんじゃない?」
エルセリアは歩調を変えない。
「金で戦うから信用できない人間だとは限らない。家族を食べさせるために傭兵をしている人もいる。逆に、騎士の中にも地位や金のために剣を振るう人間はいるでしょう」
否定できなかった。
「何のために剣を持つかは、肩書だけでは決まらないわ」
シグは答えず、先ほどの傭兵たちへもう一度目を向けた。
負傷した男を支えていた仲間が、通りの向こうで足を止めている。何か悪態をつきながら、背負い直していた。
騎士ではない。
それでも、置いていくつもりはないらしい。
視線を戻した時、前方から三人の武装した男たちが歩いてきた。
シグの足が僅かに鈍った。
黒い外套。その下から覗く白い胸当て。
帝国兵。
そう思った瞬間、無意識に男たちの腰へ目が向く。剣は抜かれていない。こちらを見てもいない。それでも身体が強張り、右腕の紋章が服の下で熱を持ったような錯覚が走った。
男たちはそのまま近づいてくる。
「シグ」
エルセリアの声は小さかった。
「見すぎ」
シグは我に返り、慌てて前を向いた。
三人が横を通り過ぎる。
何も起こらなかった。
数歩離れてから、もう一度だけ横目で確認する。胸当てに帝国章はない。外套の留め具には、見たことのない鳥の意匠が刻まれていた。
「……帝国兵かと思った」
「違うわ。装備が似ていただけ」
シグは息を吐いた。気付かないうちに握っていた左手を開くと、掌に汗が滲んでいる。
「でも、確認しないわけにもいかないだろ」
「確認するなとは言ってない」
エルセリアは人の流れを避けながら歩き続ける。
「相手を見る時に顔まで向けない。足を止めない。武器にも触らない。警戒していることを悟られる方が目立つわ」
「……難しいな」
「森より簡単よ。木は歩かないもの」
冗談なのか本気なのか判断できず、シグはエルセリアの横顔を見た。
彼女はすでに別の方向を見ていた。
ただ歩いているようにしか見えない。それでも、交差する街路へ入るたびに一度だけ左右へ目を走らせ、巡回する衛兵とすれ違えば装備を確認している。袋小路へ繋がる細道には入らず、人通りのある道を選びながらも、大通りの中央は避けていた。
警戒していないのではない。
警戒しているように見えないだけだ。
シグは歩きながら、自分も周囲を見る。今度は首を動かさず、視線だけで。
上手くできている自信はなかった。
宿へ戻る前に、二人は厩へ寄った。エルセリアは馬の状態を確かめ、数日預けるための料金を支払う。続いて食料と包帯を買い足し、宿の主人には部屋を数日延長するとだけ伝えた。
必要なことを一つずつ片づけていく彼女を見ていると、ようやくシグにも実感が湧いてきた。
ここで暮らすのだ。
いつまでかは分からない。それでも今日は野営地を探さなくていい。明日の朝、追手より先に森を出る必要もない。
その事実に安堵した自分へ気づき、同時に胸の奥が重くなった。
シイバには戻れない。
その現実まで変わったわけではなかった。
「次は?」
荷物を置いて再び外へ出たところで、シグが尋ねた。
「エイリクを探す」
エルセリアはそう答え、通りの西側へ歩き出した。
「傭兵ギルドに行けば、居場所くらいは分かるはずよ」
「仕事を受けてるって言ったっけ」
「私と別れている間はね。旅を続けるにもお金は要るもの」
「……普通に働いてるんだな」
「私たちを何だと思ってるの?」
「……分からないから聞いてるんだけど」
エルセリアは答えず、前へ向き直った。
やがて通りを行き交う武装者の数が目に見えて増えてきた。
酒場の前では、壁へ貼られた紙を数人の男たちが覗き込んでいる。別の場所では三人組が報酬について話し、そのすぐ横では大盾を背負った男が「前衛一人、三日で銀貨十二枚」と声を張り上げて仲間を募っていた。
その先に、大きな石造りの建物が見えてくる。
入口の上には剣と硬貨を組み合わせた意匠の看板が掲げられ、扉からは絶えず人が出入りしていた。鎧姿の男、弓を背負った女、杖を持った魔術師。建物の脇には馬を繋ぐ場所まで設けられている。
シグは足を止めた。
ここまで来れば、看板を読まなくても分かる。
傭兵ギルド。
エルセリアは迷わず入口へ向かった。
「なあ」
シグが呼び止める。
彼女が振り返った。
「そのエイリクって、どんな人なんだ?」
「昨日も聞いたでしょう」
「結局教えてくれなかっただろ」
「だから、会って確かめなさいと言ったの」
「……ますます不安になってきた」
「そっちの方が面白くていいじゃない」
そう言って、エルセリアは先に扉を開けた。
中から酒と汗、それに油の混じった空気が流れ出してくる。何人もの男たちの声が重なり、その奥で誰かが大声で笑っていた。
シグは開いた扉の向こうを見た。
なぜだろう。
少しだけ、入るのをためらった。
それでもエルセリアの背中を追って、シグは初めて傭兵ギルドへ足を踏み入れた。




