第六話:広がる波紋/第一幕:事件のあとに残るもの
荷車の列が動いたのは、昼を少し回ってからだった。
もっとも、進んだのは先頭の二台きりである。搬入口の手前では新しい梁を担いだ職人たちが列を断ち切り、その脇を、空箱を抱えた人夫が駆け抜けていく。削りたての木肌が放つ樹脂の匂いと、荷から立つ麻の埃っぽさが、日向の熱でひとつに煮えていた。
「そっちはまだ通すな! 先に空箱を退けろ!」
管理者の怒声に、積荷を下ろしかけた人夫の手が止まる。その鼻先で、木材を肩にした職人と空箱の男が真正面からぶつかった。
「だから、ここを空けろと言っただろうが!」
「梁を入れなきゃ仕事にならん!」
管理者は二人の間へ割って入り、短く思案してから職人を先に通した。御者が手綱を握ったまま舌を打つ。
保管庫の外壁沿いの通路から、シグはその一部始終を見ていた。数日前まで荷車が絶えず出入りしていた搬入口は、今は片側を縄で塞がれ、荷を下ろす場所そのものが順番待ちになっている。
「今日の分も捌ききれないわね」
エルセリアは袖口の埃を払いながら言った。手つきは落ち着いているのに、目は列の最後尾を追っている。
「ファルム回廊が開かない限り、荷は増える一方よ」
人夫たちの足元では、魔石の木箱が一つずつ開けられていた。割れた石を除き、残りを数えて帳面へ書き写していく。二台分の搬入記録は、まだ数が合わないらしい。
汗を拭いながら、管理者が寄ってきた。
「商会へ向かわれるのでしたね」
「調査の報告が残ってる」
「ご覧のとおり、今日は梁を先に入れました。外の荷は傷みやすい物から抜いて、残りは三日待ってもらいます」
通りの向こうに連なる荷車へ、管理者は目をやった。
「恨み言を聞くのは私の役目です。支えが落ちてからでは遅い。持ち出された分は、当局が帳簿を洗っています。《フィニス》の件も同じで、名前が出たというだけですから」
呼び止める声が飛び、管理者は返事も待たずに戻っていった。
「道具の名前で呼び合う連中、か」
シグが呟くと、エイリクは左腕を押さえたまま鼻を鳴らした。
「名乗りたくない奴には都合がいいんだろ」
それきり話を打ち切り、足元の荷袋へ手を伸ばす。左手を添えた途端、肘から先が止まった。
「エイリク」
その手首を、エルセリアが先に押さえていた。
「まだ治ってないでしょう」
「荷物くらい持てる」
「なら、腕を出して」
有無を言わせず袖をまくり、指輪を嵌めた手を前腕の傷へ当てる。淡い光が肌を這い、エルセリアはしばらく魔力を流し続けた。
「回復が早まるだけ。元どおりになるわけじゃないから」
「分かっている」
「本当に?」
答えるまでに、間があった。
「……荷物は右で持つ」
ようやく手を離したエルセリアの横で、シグが荷袋を拾い上げる。エイリクは一度だけ視線を寄越したが、取り返そうとはしなかった。
◇
商会の応接室には、迂回路の経路図が広げられていた。
担当の男は報告書をめくり、森へ入る分岐の位置で指を止める。
「この区間は、荷馬車の通行自体に問題はない、と」
「道幅はあります」
シグは経路図に指を置いた。
「ただ、狭い所ではすれ違えない。大きな荷車同士なら、どちらかが戻ることになる。路肩も、場所によっては柔らかかった」
担当者は頷き、余白に書き込んだ。
「こちらの分岐は?」
「奥までは見てない。轍があったから入って、広場まで行った。靴跡と、荷を置いたような跡が残ってた」
「その先にも道があったと、報告書にはありますが」
「あった。どこへ出るかは分からない」
「通れそうですか」
細い線の上で、シグの指が止まった。頷けば、この場は丸く収まる。
「人の通った跡はある。荷車が通れるかは、確かめてない」
「轍があったのなら」
「轍を確認したのは広場までだ。その先は見てない」
担当者がわずかに身を乗り出す。
「荷継ぎ場へ通じているなら、別の搬入路になり得ます。今は一本でも欲しいんですよ」
「そうかもしれない。でも、今のまま荷車を入れろとは言えない」
「理由を伺っても?」
「先が分からないのと、森に誰かいたかもしれない。エイリクが気配を感じたけど、確かめる前に戻った」
担当者の視線がエイリクへ流れた。エイリクは腕を組んだまま、何も言わなかった。
「魔獣ではなく、人間ですか」
「分からない」
担当者は書きかけた文字を線で消し、別の欄に書き直す。
「では、安全確認済みとは扱えませんね」
「はい」
「ただ、荷継ぎ場までの正規経路は実際に通行して確認されている。こちらは輸送計画に使えます」
エルセリアが経路図の端を押さえた。
「報告書では、通行を確認した区間と、痕跡だけを調べた区間を分けてあります。保管庫の損傷による荷役の制限は、道そのものとは別に記しました」
「助かります。道が通れても、荷を下ろせなければ意味がない」
窓の外では、商会の前にも荷車が停まっていた。御者が荷札を握って出入りしている。
「当面は送る量を絞って、別の保管場所を探すことになります。森の分岐は、必要になれば改めて。通れる道が増えても、受け入れられる荷が増えるとは限りませんから」
担当者は報告書を揃え、一枚の書類を差し出した。
「今回の依頼は、これで完了です。調査範囲と結果は確認できました」
報告欄には、未確認と記された行が残っている。シグはペンを取り、署名の位置へ筆先を下ろした。インクが紙に染み、線の端がわずかに滲む。
「保管庫での警備と退避支援は、施設側から別件で報告を受けています。報酬もそちらで処理されるそうです」
「分かった。ありがとう」
部屋を出る間際、エイリクが経路図へ一度だけ目を向けた。
「次に調べる奴がいるなら、森の奥は慎重に行かせろ」
担当者は顔を上げ、黙って頷いた。
◇
荷継ぎ場の門前では、詰所の脇で当局の担当者が書付を整えていた。
「先日の証言は、こちらで記録しています。追加が要るときは、商会を通して連絡します」
「分かった」
短いやり取りで済み、五人は荷を担ぎ直して門をくぐった。
広場では、行き先を変えようという商人が御者と話し込んでいる。
「三日待っても積み替えられないなら、別の場所へ回すしかない」
「そこへ行く道だって混んでるぞ」
「分かってる。だが、ここに置いておくわけにもいかん」
空になった荷車が軋みながら脇を抜け、入れ違いに、荷を満載した一台が入ってくる。先に並んでいた車が、ようやく車輪半分ほど前へ進んだ。
そのとき、ナイアが門の外を目線で示した。
石畳を蹄が割ってくる。馬上の男は外套の裾を翻して駆け込み、荷車の列の鼻先で手綱を絞った。外套の胸には、王国軍の徽章が縫い取られている。
男が突き出した封書を、管理者は人夫を押しのけて受け取った。封を切って一読し、眉を寄せたまま、もう一度頭から目を走らせる。
「掲示板へ出せ。写しは三枚でいい」
声は低かった。書記が駆け出し、板に紙を打ちつけた音を聞きつけて、商人と御者が群がる。人垣の後ろで背伸びをした男が、読み上げた。
「『王国軍補給隊の荷を最優先とし、民間の荷は、順次』」
「順次って、何日だ!」
「さっき三日と言ったろうが!」
出口へ向きかけていたエイリクが、肩越しに言った。
「俺たちの仕事じゃない」
シグは足を止めたまま、人垣の隙間を見ていた。管理者は返事をしなかった。板の前に立ち、打ちつけられた紙の端を、親指で何度もなぞっている。




