第六話:広がる波紋/第二幕:数字が示すもの
西方軍司令部の作戦室には、獣脂の燭台が焦げる匂いが沈んでいた。補給担当の将校が木札を打ち付けるたび、乾いた音が石壁に返る。
ファルム回廊の赤線は封鎖の印に塞がれたまま、南へ逸れる迂回路には、通行数を記した札が幾枚も重なっている。
「荷継ぎ場の搬入口は片側のみです。補修の日取りは、あちらの管理官も示せずにいます」
将校が帳面を繰った。
「回廊を避けた商隊が迂回路へ流れ込み、荷車の列は日ごとに伸びております。従来の量は、受けきれません」
ライナー・フォン・ヴォーゲルは報告書から目を上げず、親指の爪で木札の縁を叩いていた。
「魔石は」
「備蓄で二十日。今の警戒態勢を保てば、です。国境へ再配置した部隊から、紋章設備の稼働を延ばしたいと要請が来ております」
「保留だ。現状で足りない理由を、拠点ごとに書かせろ」
卓上の木箱から、見本の魔石を一つ摘み上げる。掌に載せると、骨まで滲む冷えがあった。
「取引先は」
「二件です。在庫の厚い方は通常の経路で十二日、八日で着く方は量が乏しく」
「八日を先に押さえろ。残りは十二日の経路だ」
将校の筆が止まった。
「八日の便も迂回路を通ります。列がさらに伸びますが」
「承知の上だ」
ライナーは魔石を箱へ戻した。蓋を閉める手が、いつもより少し遅い。
「食糧と医薬品は、優先の要請から外せ。腐る荷を三日止めてまで、予備の資材を前へ出す理由はない。そのかわり、迂回路の通行数と日付は毎日写しを取って王都へ回せ。あちらが損失を切り分けるのに要る」
「軍の判断で生じた分も、含めてですか」
「そう記録しろ。隠す意味がない」
将校は頷き、別の紙を差し出した。輸送施設の件で、現地当局が《フィニス》の名を挙げているという。根拠は協力者の証言と荷札の印で、今回の実行者との繋がりは、まだ確かめられていない。
「どこの手の者だ」
「所属は不明です」
「なら今は要らん。帳簿には、名が挙がったとだけ書け」
ライナーの視線が、地図の西へ滑った。聖王国とカル=ザ=グラの兵は、互いに武器を収めただけで、一歩も退いていない。
「橋と荷継ぎ場の警戒は上げる。ただしエルバ側の施設だ、こちらから踏み込むな。警告は正式な経路で回せ」
将校が退くと、ライナーは十二日と記した札を指で弾き、裏返した。迂回路の先では、国境へ向かう細い道が地図の端に消えている。そこを走る荷車の数までは、この部屋で決められない。
◇
翌朝の王都の執務室には、羊皮紙と墨の匂いが、早くから籠もっていた。
クリストフ・リンデマンは、積まれた陳情書の縁を揃えては、一冊ずつ繰っている。窓の外で昼の鐘が鳴り終えても、手は止まらなかった。
「西方軍から、迂回路の通行数の写しが届いています。商会の申告と照らすと、訴えは増える一方で、どれも軍の規制が原因だと」
若い官吏が束を差し出す。
「すべてが、規制による損失ですか」
「いえ、荷継ぎ場の破壊後に生じた分も混ざっています」
「では三つに分けましょう。規制によるもの。国境が不穏になり、商隊が自ら街道を避けた分。荷継ぎ場の破壊によるもの」
クリストフは銀縁眼鏡を押し上げた。
「この生鮮の荷は、いつ止まっていますか」
官吏が写しと見比べる。
「迂回路の列で三日です。軍の調達便が通り始めた日から、さらに動きが鈍っています」
「それは規制とは別に、軍の調達が列を伸ばした分として数えてください。通達の日付も添えて。あちらは先に、記録を回してくれているのですから」
「こちらの荷は、規制の前から遅れています」
「では、そこは対象外ですね」
クリストフは書類の端に、朱の印を付けた。
次の書類には、荷継ぎ場の捜査情報があった。《カギ》という呼び名。荷札の裏の印。報酬を仲介した両替商。過去の未解決事件に残る《フィニス》の名。
「両替商を挟んで報酬を払うのは、珍しい手口ですか」
「いえ、荷役の裏仕事ではよくあります」
「では、今回と過去の記録で、重なるものは」
「《カギ》という呼び名と、ほかにも道具名を使っていた点です。印も似ていますが、写しでの比較です」
「似ているのと、同じなのは別です」
クリストフの指が、揃えかけた紙の角で止まった。
「《フィニス》の名が過去の資料にあるなら、何を根拠に記録されたのかを。証言だけなのか、物証があるのか」
「二件は証言のみ、一件に印の記録があります」
「その区別を併記してください」
官吏が別の紙を出した。外交担当から、特定の国を疑う意見が寄せられているという。クリストフは受け取らず、視線だけで先を促した。
「出自と取引先が根拠です。命令を示す記録は、ありません」
「国名は、出所の欄に残してください。照会の文面には載せません。エルバ側の管理官には、復旧の見込みと被害記録の共有をお願いする形で」
「注意喚起は」
「王国内の商会と関所には、今日中に。確認された損傷の特徴と、荷札に印のある荷を扱うときの確認事項まで。印の主が誰かは、書きません」
官吏が一礼して去る。クリストフは照会状の署名欄にペンを置き、インクが紙へ吸われる速さをしばらく眺めてから、名を書いた。
◇
夕刻、国境の報告が届いた。聖王国とカル=ザ=グラの部隊は、交戦を止めたまま警備を解いていない。死傷者の責任をめぐる見解は、双方で食い違っていた。
照会への返書は、聖王国から受領の通知が一通。カル=ザ=グラからは、まだ何も届いていない。
クリストフは二通の控えを並べ、西方軍の見直し案の余白に『関係部署との調整を要する』と書き添えた。それから、控えの角をもう一度揃えた。




