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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第五話:不可視の戦線/第三幕:止まらなかった腕

 粉塵の向こうで、木を削る乾いた音が続いていた。崩落の余韻に混じって、規則正しく、迷いなく。


「そこから離れろ!」


 返事の代わりに、盾を構えた男が踏み込んでくる。右手には戦槌。シグが剣を抜くより早く、横合いから黒鋼の大斧が割り込み、搬入口の天井が重い金属音に震えた。


「シグ、奥へ行け」


 エイリクは相手の盾を肩で押し返し、退避路から引き剥がすように間合いを詰める。男は退かなかった。斧の柄を腋に抱え込み、足を払う。巨体が傾き、石畳が靴底で削られ、それでも倒れない。


「面白いな」


「こっちは面白くねえ」


 返答を背に、シグは崩れた木材を跳び越えた。


 柱の根元で、工具を握った男が顔を上げる。短い刃が木目へ食い込み、足元には白い削り屑が積もっていた。シグを認めると、男は工具を引き抜いて柱の裏へ回り込む。木組みの残骸が邪魔をして、地を走っては追いつけない。


 踏み切った。《空歩の靴》が宙に足場を結び、足裏に硬い抵抗が一瞬だけ生まれる。瓦礫の上へ持ち上げられた身体が男の頭上を越え、進路の前へ降りた。


「退け!」


 男は短剣を抜き、身を屈めて突っ込んでくる。受け流した刃が鍔元を擦り、手首に鈍い痺れが残った。だが男は斬り合いに付き合わず、身を引いて別の柱へ走る。


 その柱の脇では、警備兵が負傷した作業員を担ぎ出している。シグは剣へ魔力を通し、《風撃》を放った。刃先から押し出された風圧が男の腕を打ち、工具が石畳を跳ねる。男は顔をしかめながらも、柱の陰へ潜り込んだ。


 背後で、梁が大きく軋んだ。


「シグさん、その柱から離れてください! 上の梁が傾いています。これ以上傷めたら、隣の荷置き場まで巻き込みます!」


 キルミが職人を連れて駆け寄ってくる。職人は梁を仰ぎ、顔色を変えた。


「仮支えを入れる! そこの荷を退かしてくれ!」


 柱の向こうには、荷を抱えた人夫たちの列が詰まっている。あの男に柱へ取りつかれれば、梁ごと列の上へ落ちる。シグは柱の前へ踏み込み、剣を構えた。


「キルミ、こっちを頼む!」


「はい!」


 男は拾い上げた工具を逆手に握り、左へ回り込もうとする。その進路へ、銀色の刃が滑り込んだ。


「そこまでよ」


 エルセリアの剣に青白い雷が走る。


 男は肩口へ一撃を受けながらも、止まらなかった。半ばまで削られた柱へ、全身で体当たりをかける。


 乾いた破裂音。柱の肩が裂け、折れた木の腕が人夫たちの頭上へ倒れてくる。


 考えるより先に、シグは跳んでいた。宙を蹴り、落ちてくる材木と人夫たちの間へ身体をねじ込む。剣から叩きつけた風圧が材木の軌道を逸らし、石畳に重い音が弾けた。飛び散った木片がエルセリアの頬を掠め、赤い筋が走る。


「怪我は!」


「かすり傷よ。それより、まだ動くわ」


 男は柱にもたれたまま、工具を握り直していた。雷に灼かれた衣が肩から煙を上げているのに、手だけがやけに確かだ。最後の一刺しを、根元へ入れるつもりでいる。


 シグは踏み込んだ。足裏を宙に結び、斜めに降りる。刃は鎖骨の下へ潜り、肋の縁を撫でて抜けた。深く入った手応えがあった。なのに男の腕は止まらず、工具は柱の根元へ吸い込まれて乾いた音を立てた。


 そこでようやく、男の身体から力が抜けた。柱を滑り、笑うでも呻くでもなく事切れる。


 剣を引いても、シグの指は柄から剥がれなかった。斬ったのに止まらなかった。その事実だけが、掌に居座っている。


「シグ、外だ!」


 エイリクの声に弾かれて搬入口を出ると、戦槌の男はまだ立っていた。盾の縁は欠け、片腕を庇っている。それでも避難の列へ向かって横へ回り込もうとしていた。


「そっちは通さん」


 エイリクが進路を塞ぐ。男は斧を潜り、盾ごと体当たりして足を絡めた。巨体が傾いた、その脇へ。


 弦音が走り、白い矢が石畳に突き立って男の踏み込みを止める。シグが搬入口の脇へ出た瞬間、ナイアの矢はその反対側を埋めていた。声をかけた覚えはない。


 男は舌打ちし、戦槌を振り上げて強引に懐へ入る。《エーテルアイギス》の半透明の壁が槌を受け止め、砕けるように揺らいだ。その揺らぎが戻るより先に、エイリクは障壁ごと前へ出ていた。


 大斧が横薙ぎに走る。盾が割れ、刃が胴を深く捉えた。男は戦槌を取り落として膝をつき、そのまま石畳へ倒れて動かなくなった。


 エイリクは斧を引き抜き、左腕を押さえて息を吐く。肘から先が、思うように曲がらないらしい。


「裏手です!」


 ナイアが弓を下ろさずに叫んだ。


 荷役人夫のような服装の男が、建物の脇を足早に抜けていく。警備兵の立つ通路を避け、荷置き場の陰へ。振り返りもしなかった。


 シグは爪先を石畳に押し当てた。《空歩の靴》なら、積荷を越えて先回りができる。だが背後では、職人たちが仮支えを抱えたまま積荷に阻まれ、傾いた梁はまだ軋んでいる。警備兵は負傷者の搬出で手一杯だった。倒した二人で終わりなのか、あれが最後の一人なのか、シグには判らない。判らないまま人を割けば、この搬入口はもう一度削られる。


 エイリクは何も言わず、シグを見ていた。


「追わない」


 声が思ったより乾いていた。


「ここを守る。まだ人がいる」


「分かった」


 エイリクは斧を肩へ担ぎ直す。


「戻るぞ」


 ナイアは男の消えた方角を見据えたまま言った。


「裏の通路とは別の方へ行きました。あちらに、荷役用の出入口はありません」


「場所だけ覚えておいて。今は中を」


 ◇


 夕刻近く、搬入口にようやく仮支えが据えられた。損傷した一角は立ち入りを禁じられ、保管庫の奥では職員たちが、棚から落ちた魔石や魔力資材を拾い集めている。砕けて光を失ったものが、籠の底に目立った。


「他に傷んだ場所は」


「調べている最中です。外から見えない箇所もありますので」


 施設管理者の返答に頷く。警備兵は倒れた男たちの持ち物を改めていたが、手がかりになりそうなものは出ないらしい。


 シグは剣を鞘へ戻そうとして、右手が開かないことに気づいた。指を一本ずつ剥がす。刃を通した感触は、まだ掌の内側に残っている。最後まで工具を離さなかった、あの男の腕。


 あの腕は、いつ死んだのだろう。

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