第五話:不可視の戦線/第二幕:繰り上げられた計画
荷継ぎ場の裏手では、荷車の往来が途切れない。轍に溜まった砂塵が車輪に巻き上げられ、口の中まで乾いた。
《カギ》は荷役人夫に紛れて麻袋を担ぎ、保管庫の入口を横目で窺った。昨日まで二人だった警備兵が四人に増え、建物の脇にも一人、通る者の顔を一つずつ確かめている。点検口の前では、管理者らしい男が職人たちに指を差し、何事か命じていた。
あそこまで手が回ったか。
肩の荷を担ぎ直し、歩調を変えずに通り過ぎる。警備が厚くなるだけなら、まだ凌げた。出入りの管理まで改められれば、半月かけて積んだ手引きが、揃って紙屑になる。
あの五人が森の広場で何を拾ったのかは知れない。施設の係員を連れて戻り、包みを抱えていたことまでは確かめた。その先は、こちらの手が届かない。
荷役場を抜け、打ち捨てられた小屋の陰へ入る。梁の腐った匂いが籠もる薄暗がりに、三人の男が待っていた。
「予定を繰り上げる」
壁にもたれていた《ハンマー》が、組んだ腕を解いた。
「今夜ではなかったか」
「待てば、使える場所が減る」
「まだ荷は動いてるぞ」
口を挟んだのは、帳面を胸に抱えた痩せた男だった。
「構わん。ネジ、外へ出した分の記録は、辿られぬよう始末しておけ」
《ネジ》は返事の代わりに帳面を閉じ、爪の先で表紙を二度叩いた。
二台目の荷馬車で運んだ道具は、すでに要所へ移してある。移し替えに関わった人夫が当局に呼ばれた以上、悠長に構えてはいられなかった。
「ノコギリ」
小柄な男は、指先に付いた木屑を爪で弾いている。
「補強が、まだ残ってる」
「出来るところまでで構わん。裏の抜け道は、向こうにまだ知られていない。使うなら今だ」
《ノコギリ》は答えず、木屑を払い落として戸口へ向かった。
「ハンマー。邪魔が入ったら、お前が退けろ。深追いはするな」
「手を汚さずに済むなら、それに越したことはないがね」
ハンマーは腰の得物の柄を、親指で一度撫でた。
「俺は外で動きを見る。合図があれば退け。誰が相手でも、追って戦う必要はない」
◇
保管庫の前では、荷を下ろす順を待つ台車が三台、列を作っていた。
「全部は止められんのです」
施設管理者は台車の列を目で追いながら言った。
「回廊が塞がれてから、ここへ来る荷は増える一方でして。保管庫を閉めれば、明日には外の置き場まで溢れます」
シグは、大扉の前を行き交う人夫の背を見ていた。入口の脇には、先ほど運び込まれた木箱が積まれたままだ。
「危ない場所だけ、避けて使うことは」
「搬入口の片側は止めました。両方閉じれば、荷が動かせない」
管理者は図面を広げる。
「警備に助力を願いたい。出入りの管理はこちらでやります。周囲の警戒と、いざというときの作業員の退避を、手伝っていただければ」
エルセリアが図面を覗き込んだ。
「請けたのは輸送上の危険の確認よ。警備となれば別の話になるわね」
「承知しています。報酬は別に」
「なら、兵への指示はそちらから。荷役を止める権限は、私たちにないもの」
管理者が頷くと、エルセリアは連絡役の警備兵の名を書き留め、持ち場を離れず声で知らせるよう、念を押した。
エイリクは図面を一瞥し、建物の裏へ回る通路を顎でしゃくった。
「ここは」
「増員した兵を一人」
「入口から死角になる。声の届く距離まで詰めさせてくれ」
ナイアは建物の角から荷車の列を眺めていた。
「外周は見ます。ただ、荷車が動くたびに死角も動きます。裏までは一度に見渡せません」
「全部を見ようとしなくていい」
シグが言うと、ナイアは小さく頷いた。荷役場の隅には、積み下ろし用の木組みの櫓が立っている。梯子に足を掛け、見通しの利く高さまで登っていった。
キルミは職人の案内で柱の根元まで歩き、拳で軽く叩いては耳を寄せている。念のためにと二本目も叩いた。
「この柱が傷んだら、どこまで響きます」
「上の梁にも荷重がかかる。建物ごと潰れはしないが、搬入口の周りは危ない」
「では、人を逃がすならこちら側ですね」
キルミが指したのは、保管庫から離れた荷役場の空き地だった。
シグはそこへ向かった。通路には麻袋を積んだ台車が一台、道を狭めている。足裏で、砂とは違うざらつきが鳴った。石畳に細かな木屑が散り、新しい木の匂いが鼻先をかすめる。外板を外している職人の仕事だろう。跨いで進んだ。
「これ、動かせますか」
近くの作業員が振り返り、渋い顔をした。
「次の荷を載せるんだが」
「人が走って出てきたら、通れない」
作業員は台車と通路を見比べ、舌打ちを呑み込んだ。
「分かった。向こうへ寄せる」
二人で押す。車輪が石の継ぎ目に噛み、腕に重さが乗った。戻ってきたエイリクが、何も言わずに台車の後ろへ回って肩を入れる。動き出すと、人が並んで通れる幅が空いた。
「裏の兵にも話は通した。異常があれば、入口へ知らせるそうだ。それで、お前はどこに立つ」
シグは搬入口と空き地を交互に見た。
「ここ。中から人が出てきたら誘導できるし、入口にもすぐ戻れる」
「敵が裏へ逃げたら」
返事が、一拍遅れた。
「追わない。まず、ここにいる人を守る」
エイリクは何も言わず、空いた通路へ目をやった。エルセリアは畳んだ図面を脇に挟み、連絡役の兵のもとへ歩いていく。
◇
昼を過ぎても、荷役の音は絶えなかった。
外板を外した搬入口の脇で、職人の一人が梁を見上げたまま動かなくなっている。呼ばれた年嵩の職人が支えの付け根に指を這わせ、眉を寄せた。
「痩せてる。年月でこうなったのか、削られたのか、見ただけじゃ分からん」
管理者のもとへ伝令が走る。シグは入口の脇から、その背を目で追った。足元の木屑が、先ほどより増えている。
エイリクが裏手の通路へ視線を投げ、エルセリアは連絡役の兵に何か囁いた。櫓の上のナイアは、いつの間にか、シグの死角になる搬入口の側面へ位置を移している。
建物の奥で、荷を落としたような鈍い音がした。続いて木材の軋む音が長く尾を引く。
「全員下がってください!」
誰より先に叫んだのはキルミだった。
補強材の一本が傾き、梁から木屑が雨のように降る。足を止めた人夫たちが、警備兵の号令で出口へ流れ始めた。
ただ一人、倒れかけた木材の下で、荷を抱えたまま立ち尽くす男がいる。
シグは駆け寄って男の腕を掴んだ。引いても、体が動かない。荷ごと固まった腕は、地面に打ち込まれた杭のように重かった。
「荷は置け! こっちだ!」
男の指がほどけ、荷が落ちた途端、体が嘘のように軽くなった。引き寄せた背後で、木の裂ける音が弾ける。振り向く間もなく搬入口の一角が崩れ、粉塵が舌のように広がった。
喉が焼けた。男はもう空き地へ這い出しているのに、掴んだ指がすぐにはほどけなかった。
「シグ、奥にも人がいるわ!」
エルセリアの声に顔を上げた。
逃げてくる作業員たちの向こう、粉塵の薄れた先に、二人の男が逆の方向へ進んでいる。一人は支持材の根元にしゃがみ込み、何かを動かしていた。もう一人はその前に立ち、周囲を見渡している。
「おい! そこから離れろ!」
立っていた男がこちらを向いた。返事はない。腰の得物へ手を伸ばし、ゆっくりと構える。
その背後で、しゃがんだ男の手だけが、舞い上がる粉塵の中でも休まず動き続けていた。




