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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第五話:不可視の戦線/第一幕:記録にない傷

 商会の応接室には、荷継ぎ場から持ち帰った経路図が広げられていた。窓の下を荷馬車が一台、石畳を軋ませて過ぎていく。その音が遠のくのを待って、シグは報告を締めくくった。


「迂回路は、荷馬車が通れます。ただ、指定外の分岐には荷馬車と複数の人間が出入りした跡があり、荷継ぎ場の控えには、搬出先の書かれていない魔石の荷が残っていました。分岐の先で拾った紙片は、施設の荷札によく似ています。ここまでが、確認できたことです」


 商会の男は経路図の端を指で押さえたまま、エルセリアの作成した報告書へ視線を落とした。


「不正な搬出と結ぶ材料は、まだ無い。そういうことですな」


「はい。荷札のほうも、問題の荷に付いていたものとは言い切れません」


 男は小さく頷き、報告書の末尾に署名した。


「道の調査は、これで完了です。報酬は約束どおりお支払いします」


 エイリクが椅子の背から身を起こしかけたとき、男は経路図を畳まずに言葉を継いだ。


「実は、もう一件、お願いしたい。この道へ商隊を入れてよいかどうか、です。道が通れても、荷継ぎ場で積荷が消えるようでは話になりません」


「施設の帳簿まで、俺たちに洗えと?」


「そこは施設の仕事でしょう。皆さんには、輸送に危険がないかどうかを、分かる範囲で見ていただきたい」


 差し出された依頼書を、エルセリアは自分の前で止めた。文面を追い終えると、それをエイリクではなく、シグの手元へ滑らせる。エイリクは腕を組んだまま、何も言わなかった。


 森の細道は、まだ奥へ続いている。もう一度入れば、今度こそ何かが見えるかもしれない。窓へ流れかけた視線を、シグは依頼書の上へ引き戻した。


「施設が協力してくれるなら、受けます。許可のない保管庫へ入るような仕事は、お断りします」


「管理者には、こちらから話を通しておきましょう」


 ◇


 荷継ぎ場の事務室には、古い紙と膠の匂いが染みついていた。年配の担当者は帳簿の山を脇へ寄せ、保管してあった紙片を見本の荷札と並べる。


「紙質も罫線も、うちの荷札とほぼ同じです。ただ、荷を特定する番号が欠けている。例の魔石の荷に付いていたものかどうかは、これでは決められません」


「搬入の控えのほうは」


 エルセリアが問う。


「量は荷馬車一台分です。それが二台で入ったことになっていて、搬出先と保管場所の欄は抜け落ちています」


 キルミが帳簿の余白を覗き込み、頁の端を指で弾いた。


「二台に分けただけなら、珍しくもないですよね」


「分けたのなら、二台目の荷札にも控えが残るはずです」


 担当者は首を振った。


「二台と書いてあっても、二台目に何を積んでいたかまでは分かりません。輸送業者にも問い合わせています」


 窓の外で荷役の鐘が鳴り、担当者は一拍おいてから声を落とした。


「その日の荷役にいた作業員のひとりが、金を受け取って、外へ情報を流していました。治安当局の聞き取りで、本人も認めています」


「誰に」


 エイリクが短く問う。


「本人も知りません。名乗られた名は、おそらく偽名でしょう。何のためかも、聞かされていなかった」


 差し出された書付には、荷の到着予定と積み替えの刻限、それに続けて、保管庫の警備の配置、搬入口の使用が集中する時間帯、設備点検の日程が並んでいた。


 エルセリアの指が、警備の一行で止まる。


「輸送の手配に要る、と言われたそうです」


「荷を預ける段取りを訊く商人なら、いるでしょうね」


 書付から目を上げないまま、エルセリアは淡々と継いだ。


「警備兵の交代刻まで知りたがる商人が、どれだけいるかしら」


 担当者は応えず、別の帳簿を開いた。


「点検の日程は、作業場に貼り出されます。作業員なら誰でも目にできる。流れた筋道は説明がつきます。ただ、それだけで済ませてよいのかどうか、私には判断がつきません。点検の控えも、いま洗い直しています」


 シグは書付の行を目で追った。森の轍まで繋ぐ材料は、まだない。


 ◇


 保管庫は荷役場の奥にあり、厚い石壁に木組みの屋根を載せていた。入口では警備兵が出入りする者の名を改めている。管理者の許可状を示すと、五人は担当者に導かれて建物の外周へ回った。


「魔石と紋章設備の資材を、一時的に預かる場所です。搬入口が使えなくなれば、荷の出し入れが止まります」


 担当者の示した先に、大扉を左右から支える太い支柱があった。根元には補強材が組まれ、荷車がぶつかっても石の縁が受けるようになっている。


 キルミは支柱の前に立つと、掌を押し当て、拳の側面で軽く叩いた。鈍い音が返る。


「外側は、どこも傷んでいませんね。丁寧に使われてきた柱です」


「手入れは欠かしていませんから」


 担当者の声には、わずかな誇らしさが混じっていた。


 エイリクは入口の幅を歩数で測り、警備兵の立ち位置へ目を移す。


「裏へ回る道は」


「建物の脇を通れます。普段は作業員だけです」


 壁沿いの角には、ナイアが先に立っていた。荷役場を振り返り、矢筒の位置を直しながら、顎で積み上がった木箱を示す。シグが口を開くより早かった。


「荷車が並ぶと、入口の警備の足元は隠れます。ここからだと、脇へ入る人影は見えません」


 シグも同じ場所に立ち、木箱の列が警備兵の腰から下を隠していることを確かめた。


「荷役の最中は、見通しが利きません」


 担当者は渋い顔で認めた。


「配置を変えたほうがいい」


 エイリクの一言に、担当者は手帳へ書き付けた。


 支柱のすぐ脇、壁の低い位置に、小さな点検口が口を開けていた。担当者が手元の控えを繰り、指で一行をなぞる。


「ここは点検済みとなっています。ただ、作業した者に確かめたところ、手順にある確認の一部はおこなっていないそうで」


「書き落としではなく?」


「済んだと書いて、やっていない。理由は、まだ聞けていません」


 エルセリアが先の書付と見比べ、小さく息を吐く。


「この日程も、外へ出ていたのね」


「はい」


「偶然かもしれない。けれど、調べ直す価値はあるわ」


 シグは点検口の縁に指を這わせた。石は冷たく、継ぎ目に欠けはない。森の轍も、最初は何の変哲もない車輪の跡だった。


「ここを、もう一度調べてもらえますか。全部でなくていい。誰かが触れたかもしれない場所を、先に」


「管理者に上げます。ただ、すぐに手が回るかどうか」


 エイリクは口を挟まず、シグの隣に立ったまま、点検口を見ていた。


 ◇


 事務室へ戻ると、施設管理者は報告を聞き終え、保管庫の出入りを絞るよう命じた。警備の配置も組み替え、点検の控えと食い違う箇所から調べ直すという。


「商会へも、この状況は伝えます」


 エルセリアが報告書を畳んだ。


「ただ、何かが仕掛けられたと決まったわけではありません」


「承知している」


 そう応えながら、管理者は警備表を机から離さなかった。


 扉が叩かれ、保管庫へ向かっていた係員が駆け込んでくる。息が上がっていた。


「搬入口脇の点検口の件です。控えには、外板を外して内側まで見たとあります。ですが現物の外板は、釘穴がどれも新しいままで、外した跡が見当たりません」


「見ていないのか。見たうえで、丁寧に戻したのか」


 管理者の問いに、係員は首を振った。


「私には判別がつきません。開けて、中を直に確かめます」


「今すぐやってくれ」


 係員が廊下へ消えたあと、事務室には誰も座ろうとしなかった。エイリクは窓際に寄り、ナイアは矢筒の紐を締め直している。膠の匂いの底から、荷役の鐘が一度だけ響いた。


 戻ってきた係員は、戸口で足を止めた。


「外板の内側、支柱の芯に、工具で削った痕があります。点検では触れない深さです」


「控えには」


「ありません。どの日の、誰の作業としても」


 係員は汚れた手を開いた。掌には、削れた木の細片が数本残っている。


「古い傷ではないと思います。削れた面が、まだ白いんです」


 その白さを見た途端、点検口の石の冷たさが、シグの指先に戻ってきた。触れたときには何も語らなかった石だった。


 椅子の背に掛けていた剣帯を取り上げる。留め金の鳴る音がやけに大きく、気づけばエイリクがすでに窓際を離れていた。


 窓の外では荷車が一台、保管庫の前を昼と変わらぬ速さで通り過ぎていく。


 誰が、いつ、どこまで削ったのか。


 それを知る記録は、どこにもなかった。

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