第五話:不可視の戦線/第一幕:記録にない傷
商会の応接室には、荷継ぎ場から持ち帰った経路図が広げられていた。窓の下を荷馬車が一台、石畳を軋ませて過ぎていく。その音が遠のくのを待って、シグは報告を締めくくった。
「迂回路は、荷馬車が通れます。ただ、指定外の分岐には荷馬車と複数の人間が出入りした跡があり、荷継ぎ場の控えには、搬出先の書かれていない魔石の荷が残っていました。分岐の先で拾った紙片は、施設の荷札によく似ています。ここまでが、確認できたことです」
商会の男は経路図の端を指で押さえたまま、エルセリアの作成した報告書へ視線を落とした。
「不正な搬出と結ぶ材料は、まだ無い。そういうことですな」
「はい。荷札のほうも、問題の荷に付いていたものとは言い切れません」
男は小さく頷き、報告書の末尾に署名した。
「道の調査は、これで完了です。報酬は約束どおりお支払いします」
エイリクが椅子の背から身を起こしかけたとき、男は経路図を畳まずに言葉を継いだ。
「実は、もう一件、お願いしたい。この道へ商隊を入れてよいかどうか、です。道が通れても、荷継ぎ場で積荷が消えるようでは話になりません」
「施設の帳簿まで、俺たちに洗えと?」
「そこは施設の仕事でしょう。皆さんには、輸送に危険がないかどうかを、分かる範囲で見ていただきたい」
差し出された依頼書を、エルセリアは自分の前で止めた。文面を追い終えると、それをエイリクではなく、シグの手元へ滑らせる。エイリクは腕を組んだまま、何も言わなかった。
森の細道は、まだ奥へ続いている。もう一度入れば、今度こそ何かが見えるかもしれない。窓へ流れかけた視線を、シグは依頼書の上へ引き戻した。
「施設が協力してくれるなら、受けます。許可のない保管庫へ入るような仕事は、お断りします」
「管理者には、こちらから話を通しておきましょう」
◇
荷継ぎ場の事務室には、古い紙と膠の匂いが染みついていた。年配の担当者は帳簿の山を脇へ寄せ、保管してあった紙片を見本の荷札と並べる。
「紙質も罫線も、うちの荷札とほぼ同じです。ただ、荷を特定する番号が欠けている。例の魔石の荷に付いていたものかどうかは、これでは決められません」
「搬入の控えのほうは」
エルセリアが問う。
「量は荷馬車一台分です。それが二台で入ったことになっていて、搬出先と保管場所の欄は抜け落ちています」
キルミが帳簿の余白を覗き込み、頁の端を指で弾いた。
「二台に分けただけなら、珍しくもないですよね」
「分けたのなら、二台目の荷札にも控えが残るはずです」
担当者は首を振った。
「二台と書いてあっても、二台目に何を積んでいたかまでは分かりません。輸送業者にも問い合わせています」
窓の外で荷役の鐘が鳴り、担当者は一拍おいてから声を落とした。
「その日の荷役にいた作業員のひとりが、金を受け取って、外へ情報を流していました。治安当局の聞き取りで、本人も認めています」
「誰に」
エイリクが短く問う。
「本人も知りません。名乗られた名は、おそらく偽名でしょう。何のためかも、聞かされていなかった」
差し出された書付には、荷の到着予定と積み替えの刻限、それに続けて、保管庫の警備の配置、搬入口の使用が集中する時間帯、設備点検の日程が並んでいた。
エルセリアの指が、警備の一行で止まる。
「輸送の手配に要る、と言われたそうです」
「荷を預ける段取りを訊く商人なら、いるでしょうね」
書付から目を上げないまま、エルセリアは淡々と継いだ。
「警備兵の交代刻まで知りたがる商人が、どれだけいるかしら」
担当者は応えず、別の帳簿を開いた。
「点検の日程は、作業場に貼り出されます。作業員なら誰でも目にできる。流れた筋道は説明がつきます。ただ、それだけで済ませてよいのかどうか、私には判断がつきません。点検の控えも、いま洗い直しています」
シグは書付の行を目で追った。森の轍まで繋ぐ材料は、まだない。
◇
保管庫は荷役場の奥にあり、厚い石壁に木組みの屋根を載せていた。入口では警備兵が出入りする者の名を改めている。管理者の許可状を示すと、五人は担当者に導かれて建物の外周へ回った。
「魔石と紋章設備の資材を、一時的に預かる場所です。搬入口が使えなくなれば、荷の出し入れが止まります」
担当者の示した先に、大扉を左右から支える太い支柱があった。根元には補強材が組まれ、荷車がぶつかっても石の縁が受けるようになっている。
キルミは支柱の前に立つと、掌を押し当て、拳の側面で軽く叩いた。鈍い音が返る。
「外側は、どこも傷んでいませんね。丁寧に使われてきた柱です」
「手入れは欠かしていませんから」
担当者の声には、わずかな誇らしさが混じっていた。
エイリクは入口の幅を歩数で測り、警備兵の立ち位置へ目を移す。
「裏へ回る道は」
「建物の脇を通れます。普段は作業員だけです」
壁沿いの角には、ナイアが先に立っていた。荷役場を振り返り、矢筒の位置を直しながら、顎で積み上がった木箱を示す。シグが口を開くより早かった。
「荷車が並ぶと、入口の警備の足元は隠れます。ここからだと、脇へ入る人影は見えません」
シグも同じ場所に立ち、木箱の列が警備兵の腰から下を隠していることを確かめた。
「荷役の最中は、見通しが利きません」
担当者は渋い顔で認めた。
「配置を変えたほうがいい」
エイリクの一言に、担当者は手帳へ書き付けた。
支柱のすぐ脇、壁の低い位置に、小さな点検口が口を開けていた。担当者が手元の控えを繰り、指で一行をなぞる。
「ここは点検済みとなっています。ただ、作業した者に確かめたところ、手順にある確認の一部はおこなっていないそうで」
「書き落としではなく?」
「済んだと書いて、やっていない。理由は、まだ聞けていません」
エルセリアが先の書付と見比べ、小さく息を吐く。
「この日程も、外へ出ていたのね」
「はい」
「偶然かもしれない。けれど、調べ直す価値はあるわ」
シグは点検口の縁に指を這わせた。石は冷たく、継ぎ目に欠けはない。森の轍も、最初は何の変哲もない車輪の跡だった。
「ここを、もう一度調べてもらえますか。全部でなくていい。誰かが触れたかもしれない場所を、先に」
「管理者に上げます。ただ、すぐに手が回るかどうか」
エイリクは口を挟まず、シグの隣に立ったまま、点検口を見ていた。
◇
事務室へ戻ると、施設管理者は報告を聞き終え、保管庫の出入りを絞るよう命じた。警備の配置も組み替え、点検の控えと食い違う箇所から調べ直すという。
「商会へも、この状況は伝えます」
エルセリアが報告書を畳んだ。
「ただ、何かが仕掛けられたと決まったわけではありません」
「承知している」
そう応えながら、管理者は警備表を机から離さなかった。
扉が叩かれ、保管庫へ向かっていた係員が駆け込んでくる。息が上がっていた。
「搬入口脇の点検口の件です。控えには、外板を外して内側まで見たとあります。ですが現物の外板は、釘穴がどれも新しいままで、外した跡が見当たりません」
「見ていないのか。見たうえで、丁寧に戻したのか」
管理者の問いに、係員は首を振った。
「私には判別がつきません。開けて、中を直に確かめます」
「今すぐやってくれ」
係員が廊下へ消えたあと、事務室には誰も座ろうとしなかった。エイリクは窓際に寄り、ナイアは矢筒の紐を締め直している。膠の匂いの底から、荷役の鐘が一度だけ響いた。
戻ってきた係員は、戸口で足を止めた。
「外板の内側、支柱の芯に、工具で削った痕があります。点検では触れない深さです」
「控えには」
「ありません。どの日の、誰の作業としても」
係員は汚れた手を開いた。掌には、削れた木の細片が数本残っている。
「古い傷ではないと思います。削れた面が、まだ白いんです」
その白さを見た途端、点検口の石の冷たさが、シグの指先に戻ってきた。触れたときには何も語らなかった石だった。
椅子の背に掛けていた剣帯を取り上げる。留め金の鳴る音がやけに大きく、気づけばエイリクがすでに窓際を離れていた。
窓の外では荷車が一台、保管庫の前を昼と変わらぬ速さで通り過ぎていく。
誰が、いつ、どこまで削ったのか。
それを知る記録は、どこにもなかった。




