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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第四話:境界の綻び/第二幕:行き先のない荷

 轍に重なる靴跡は、曲がり角の先にも続いていた。


 湿った土が靴底に吸いつく。低く張り出した枝は、荷馬車の幌なら擦りそうな高さで道を覆っていた。樹脂と腐葉土の匂いが濃くなるにつれ、街道の喧噪は背後へ遠のき、車輪の跡だけが途切れずに奥へ伸びている。


「この先、開けています」


 ナイアが木々の間を指した。言い終えるより早く、先に立って右手の木立へ回り込み、見通しの利く位置を取っている。


 木立が左右へ退くと、平らに均された地面が現れた。荷馬車を二台、肩を並べて停められる広さだ。切り株が点々と残り、草の生えない場所が斑に広がっている。二本の轍は広場の中央まで伸び、そこで大きな弧を描いていた。曲がり目だけが深く抉れているのは、同じ場所を車輪が何度も踏んだ証拠だった。


「向きを変えたのか。停めたのか」


「停めたのでしょうね」


 エルセリアは経路図から目を上げずに答えた。


「ただ、この場所は図に載っていないわ。分岐の先も、途中で線が切れている」


 広場の端で、四角く草が寝ていた。潰れた茎の上に細かな木屑が散り、隣には浅い窪みが等間隔に並ぶ。シグは膝をつき、掌を土へ押し当てた。冷たく、まだ柔らかい。手を離しても、輪郭は崩れずに残った。


「荷を置いた跡か」


「木箱なら、こう残ります」


 キルミが黒杖の先で木屑を寄せる。


「降ろしただけか、積み替えたのか。跡だけでは、何とも」


 エイリクは地面すれすれまで鼻先を寄せ、すぐに顔を上げた。


「何人いたかまでは読めん。だが、一人でうろついた範囲じゃない」


 足跡には、踵の形も底の幅も違うものが混じっている。荷馬車が着き、数人が荷を降ろした。そこまでは筋が通る。通らないのは、荷がひとつも残っていないことだった。


「街道から、まったく見えません」


 入口まで戻っていたナイアが、木立越しに振り向いた。


「十歩も離れれば、荷馬車が停まっていても気づかないと思います」


 広場の反対側に、草を割る細い切れ目がある。奥にも道が続いているのかと、シグが一歩踏み出したとき、エイリクの左手が上がった。


「待て」


 手の甲で、《狩猟王の刻印》が淡く脈を打った。狼人は木立の奥へ顔を向けたまま、耳だけを前へ倒している。


「……何かいる」


 ナイアの指が弦に掛かった。


「人ですか」


「分からん。反応はあるが、輪郭が出ない」


「こっちに来てる?」


「それも読めん」


 枝の重なる先は暗く、幹と下草のほかに何も見えなかった。遠くで鳥が鳴いている。その声が先刻から同じ調子で続いていることに、シグは今になって気づいた。


 あの切れ目の先に轍が続いているなら、荷の行き先が分かる。数歩、いや十数歩でいい。膝の内側が、勝手に前へ傾いていた。


 エルセリアの視線が、前へ出かけた足へ落ちる。


「先まで見ないなら、報告には分岐先は未確認と書くことになるわ。商会は査定を下げるでしょうし、別の隊へ再調査を回すかもしれない」


 経路図を折り畳む手つきは、帳簿を閉じるのと変わらない。


「それに、日が落ちれば荷継ぎ場の受付が閉まる。使える時間も減るのよ」


 エイリクは口を挟まなかった。耳を木立へ向けたまま、ただこちらを待っている。


 靴底を、地面へ強く押しつけた。


 危ないものを見つけたら、そこで止まる。


 剣帯から手を離すと、指の関節が固まっていて、開くのに一拍かかった。


「戻る」


「いいのか」


「追う仕事じゃない。ここで荷が動いたことは分かった。それを持ち帰るほうが先だ」


 エイリクは短く鼻を鳴らし、踵を返した。


「踏み跡は崩さずに、来た道をそのまま戻ります」


 ナイアが先に立つ。


 シグは最後にもう一度だけ、広場を振り返った。四角い跡と、奥の草の切れ目。喉が乾いている。あの先を見ずに背を向けたことは、掌に残った土の冷たさのように、しばらく取れそうになかった。


 先頭近くを歩くエイリクが、森を抜けるまでに三度、肩越しに木立を振り返った。


 ◇


 荷継ぎ場に着いたのは、日が西へ傾き始めた頃だった。


 荷役場は、馬と人の熱で蒸していた。荷馬車の列は倉庫の前から街道へ溢れ、馬糞と汗と埃の混じった匂いが風に乗って頬を打つ。木箱を引きずる音に嘶きが重なり、荷札を握った商人が作業員へ詰め寄っている。


「昨日から待ってるんだぞ!」


「順番だと言ってるでしょう。置き場が空いてないんです!」


 二人掛かりで担がれた木箱が目の前を横切り、避けた肩を荒縄が擦った。倉庫の軒下には魔石を納めた小箱と、鈍く光る金属筒が山と積まれている。筒の一本ごとに荷札が括られ、作業員が指で数えながら帳面へ印を入れていた。


「回廊を通れない荷が、すべてこちらへ流れているのですね」


 キルミが荷役場を見渡す。


「魔石まで、これほどとは」


 シグは筒の山から目を離せなかった。武具店で見た紋章魔具の部品も、似た金属の筒だった。指先ほどの部品を動かす材料が、ここでは荷車一台分の嵩で積まれている。


 建物の中では、二人の男が机を挟んで帳簿を広げていた。一人が荷札を読み上げ、もう一人の羽根筆が紙を走る。


「アルヴィオの商会から、迂回路の調査を請けた者です」


 エルセリアが依頼書を差し出すと、年配の担当者は目を通して立ち上がった。


「道は、通れましたか」


「荷馬車は通れます。ただ、一箇所だけ狭い。行き違いには気をつけないと」


 シグが答えると、担当者は頷いた。


「そこは以前から問題でして。大きな商隊には、先に知らせています」


「もうひとつ。途中で左へ分かれる道があって、森に荷馬車を停められる広場がありました。あそこは荷役に使っていますか」


 経路図の上で、担当者の指が止まった。


「いいえ。こちらで指定した場所ではありません」


「轍がありました。荷を置いた跡も」


「……そうですか」


 男が隣の机へ顔を向ける。若い係員のほうが先に首を振った。


「聞いていません。通常の搬入先には入っていないはずです」


「念のためだ。ここ数日の荷役を見よう」


 棚から厚い帳簿が引き出された。頁を繰るたび、乾いた紙の音が机に落ちる。窓の外では車輪の軋みが絶えず、その音に紛れて、担当者の指だけが日付の欄を下へ辿っていく。


 指が、止まった。


「おかしいな」


「何か」


「この積荷だ。到着も荷役も記録にあるのに、搬出先が空いている」


 若い係員が身を乗り出し、別の帳簿を引き寄せて照らし合わせる。


「保管場所の欄も空です。同じ時間の荷は、全部埋まっているのに」


「何の荷ですか」


 エルセリアが問う。


「魔石と、紋章設備に使う魔力資材です。ここでは珍しい品じゃありません。この程度なら、よく扱います」


「魔石は武具にも設備にも回りますから、それ自体は不思議ではありません」


 キルミは机の荷札へ視線を落としたまま、穏やかに言った。


「問題は、どこへ行ったか、でしょうね」


「記入漏れかもしれません。ここ数日は積み替え先が何度も変わっていて、確認が追いついていないものもあります」


 担当者は帳簿を閉じかけ、思い直して開き直した。


 シグは開かれた頁を見つめた。ほかの欄には細かな文字がぎっしりと並び、問題の一行だけが、途中から白い。


 森の広場には、荷を降ろした跡があった。ここには、行き先の書かれていない荷がある。二つが同じ荷を指しているとは、どこにも書かれていなかった。


「その日の荷役に入った人には、話を聞けますか」


「こちらで確認します」


 担当者は頷き、若い係員を呼んだ。


「当日の荷役に入った者と、受け取りに来た業者を洗ってくれ。控えが残っていないかも探して」


「分かりました」


 係員が帳簿を抱えたところで、エルセリアが依頼書を畳んだ。


「何か分かったら、商会にも知らせてください。私たちの報告にも載せますので」


「分かり次第、お伝えします」


 表紙へ伸びた手が、帳簿を閉じる前に引かれた。


「……待ってくれ。この荷、到着時の記録は別にあるな」


「はい。搬入の帳簿です」


 奥へ向かいかけていた係員が引き返し、抱えていた一冊を机へ戻した。頁を繰りながら、担当者が読み上げる荷札の番号を、係員が搬入記録から拾っていく。


 シグは口を挟まず、二冊の帳簿が開かれるのを見ていた。


「ありました」


 示された一行と、開いたままの荷役記録。その両方へ目を走らせた担当者の眉間に、浅い皺が寄った。


「この量なら、普段は一台で運ぶ荷だ」


「だが、搬入記録は二台になっている」


 窓の外では、荷役場の怒号が変わらず続いていた。


 シグの掌に、森の土の感触が戻ってきた。

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