第三話:選ばれなかった道/第三幕:迂回路の異変
「話を聞くだけなら、構わないんじゃない?」
エルセリアは肩をすくめてみせたが、視線は使者の抱えた帳面から動いていない。エイリクは何も言わず、顎でシグを促した。
「……話だけなら」
「ありがとうございます。事務所はすぐそこです」
使者が先に立ったのは、倉庫街の奥へ続く通りだった。両側に積まれた麻袋が湿った藁と干魚の臭いを吐き、荷運びたちの怒鳴り声が石壁に跳ね返る。二つ目の角を折れた先の建物では、戸口で帳面と木札が手から手へ渡り、奥から秤の皿の触れ合う硬い音が漏れていた。
通された部屋には、紙と膠とインクの臭いが澱んでいた。壁際の棚は帳簿の重みで撓み、窓辺の燭台は継ぎ足された蝋が受け皿から白く溢れている。勧められるまま腰を下ろすと、机の天板は荷札の角に削られて、掌の下でざらついた。
「先ほどの商隊のほかにも、予定どおり戻らない荷がありまして」
使者は帳簿を繰りながら続けた。
「街道の規制が始まってから、問い合わせが絶えません。旧交易路で、武装した者たちに遭われたとか」
「ああ。一人は衛兵に引き渡した」
エイリクの声は低い。
「三人は逃げた。道を塞いでいた物も、連中がすべて用意したとは限らん」
使者は頷き、机いっぱいに地図を広げた。主要街道から枝分かれして、周囲の山と森を縫うように走る細い線が、何本も引かれている。
「似た話が、ほかの道からも届いています。北の山裾を回る道では、通れると聞いて出た荷馬車が、途中で進めなくなりました。荷継ぎ場を挟んでリューン王国方面へ抜ける道では、道案内を名乗る男が現れ、相場の数倍を求めたそうです」
「雨で崩れただけ、という線は」
エルセリアが地図へ目を落としたまま訊いた。
「あります。崩れた箇所があるのは確かです」
使者は帳簿の余白に指を置いた。
「ただ、通れないと商人たちに知らせた出所が、どの件も『街道筋に詳しい男』なのです。名を覚えている者はおりません」
「案内料を吹っかけるのは、旧交易路の連中と同じだ」
シグが言うと、使者が帳簿から顔を上げた。
「同じ相手がここにも出ている、と?」
「そこまでは言ってない」
エルセリアは地図から目を上げた。
「ただ、捕まえた男が欲しがっていたのは金だけだった。外の相手は、通った商隊の数と行き先を知りたがっていたの。欲しいものが違うのよ」
「ここの連中が旧交易路と繋がっているとも限らん」
エイリクが鼻を鳴らす。
「協力者がいたところで、何が狙いかも分からんしな」
シグは地図に引かれた細い道をしばらく見てから、問いを変えた。
「止まってる荷は、何なんだ」
「食料に、工房向けの資材。それに魔鉱石と魔力資材です。紋章魔具を扱う工房からは、材料が届かないと催促が来ていますし、リューン王国向けの便がいくつも止まっています」
騎士団にいた頃、装備の整備や施設の術式に使う資材が届くと、兵たちが荷下ろしに駆り出された。蝋で封をされた、あの木箱と同じものが、今も王国へ向かう荷に混じっているのかもしれない。
「軍に納めるものもあるのか」
「用途によっては、そうなるでしょう。ただ、私どもが把握しているのは納品先と数量まで。その先は存じません」
「届かなきゃ、工房は困るでしょうねえ」
キルミが帳簿へ目を向けた。
「止まっているのは、どういう種類です? 大きさとか、純度とか」
「まちまちです。灯火用の小粒もあれば、純度の高い大粒もあります」
「……そうですか」
キルミはそれ以上、何も訊かなかった。
使者は帳簿を閉じ、地図を五人のほうへ押し出した。
「そこで、調査をお願いできないかと考えています。調べていただきたいのは、二本のうちどちらか一本です。北の山裾の道か、荷継ぎ場を挟む道か」
◇
「摘発や、誰かの素性を探るところまでは求めません。道が使えるのか、塞いでいる物があるのか、不審な動きはないか。見たものと聞いたものを、持ち帰っていただければ」
「危ない橋だぞ」
エイリクが腕を組んだ。
「また武装した連中に出くわす」
「承知しております」
シグは机に置いた左手を、ゆっくりと握り込んだ。左肩の奥に、まだ鈍い痛みが残っている。あの道では、退く理由を探し始めたのが、剣を抜いたあとだった。
「確認したい。調べる範囲は、どこまでだ」
「指定の道と、沿道の輸送拠点です」
「道が押さえられていて、通るには戦うしかない場合は?」
「引き返してください。危険が大きければ、その場で中断して構いません」
「通れない理由を確認できた時点で、切り上げていいんだな」
「はい」
「聞いた話だけで、通れないと決めつけるのはなしだ。現地で見て、行けるか判断する。駄目なら戻る。それが依頼の範囲に収まるなら、受けたい」
エイリクは口を挟まなかった。代わりに、地図の端をシグのほうへ半寸ほど押しやった。
「現地で得られるものは、少ないかもしれないわね」
エルセリアが言う。
「それでも構いません。何が見えなかったか、が分かるだけでも」
「では、道を選びましょう」
ナイアが地図の上に身を乗り出した。一拍だけ、シグへ視線を投げる。
「山裾の道は、森が深く、枝道が地図にありません。荷馬車が止まった場所で何かあれば、退路は来た道一本です。荷継ぎ場のある道なら、そこまでは補給も引き返しも利きます」
「人がいる分、話も聞ける」
シグが続けた。
「案内を名乗った男の顔を覚えている者が、いるかもしれない」
「決まりだな」
エイリクが地図の一点を叩いた。
「荷継ぎ場の道だ。報酬と範囲は、依頼書に書いてもらう。ギルドを通すぞ」
「もちろんです。正式な依頼として提出します」
エルセリアが「私はいいわ」と手をひらつかせ、ナイアは「異存ありません」と頷く。キルミは閉じられた帳簿をもう一度見た。
「では、私もご一緒します」
使者は立ち上がり、地図を丁寧に畳んだ。
◇
商会を出ると、倉庫街にはまだ荷車の列が続いていた。
エイリクは「ギルドへ行く」と言い置いて、先に歩き出す。ナイアとエルセリアは、道中の地形を確かめる算段を始めていた。シグがその後ろに続こうとしたとき、背後の足音がひとつ、途切れた。
振り返ると、キルミが積み上げられた木箱の前に立っていた。リューン向けと焼き印のある一箱へ、掌を載せている。ほんの一息ぶん。それから何事もなかったように黒杖を持ち直し、こちらへ歩いてきた。
シグは何も訊かなかった。




