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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第三話:選ばれなかった道/第一幕:知らない相手

 最後尾の荷馬車が轍を踏むたび、積荷の木箱が低く軋んだ。


 目的地へ続く街道は塞がれ、迂回に選んだ旧交易路も使えない。四台の荷馬車は積荷を抱えたまま来た道を戻り、御者たちは雨水の穿った溝を避けて、車輪の位置を手綱越しに確かめている。


 車列の外側を歩くシグの左肩で、鈍い痛みが脈を打っていた。大柄な男に体当たりを受けた場所だ。剣を抜くのに支障はないが、荷台の縁を押す段になると、鎧の下で筋が軋む。森からは腐葉土の湿った匂いが這い出していた。


 前方では、エイリクがときおり耳を森へ傾けている。草地を離れる間際、狼人が顔を向けたのは、逃げた三人とは別の方角だった。何か掴んだなら、あの男は黙っていない。そう思いながらも、シグの目は枝葉の暗がりをなぞるのをやめなかった。


「後ろは私が見ます」


 ナイアの声がして、振り向いたときには、弓を提げた背がもう最後尾へ向かっていた。


 ◇


 捕虜の男は、エイリクの二歩後ろを歩かされていた。両手は前で縛られ、腰の縄は狼人の拳の中にある。手首を擦り合わせる乾いた音が、やけに耳に残った。


「なあ、いつまで歩かせる気だ」


「アルヴィオまでだ」


「そいつは聞いたよ。休ませろって言ってんだ」


「馬を休めるときにな」


 エイリクは振り向きもしない。その横へ、エルセリアが歩調を合わせて並んだ。男には目もくれず、視線は道の先に据えたままだ。


「退屈でしょう。少し付き合って」


「まだ何かあんのかよ。さっき全部話したろ」


「旧交易路で待っていた理由を、もう一度だけ」


「街道が塞がりゃ、商隊はほかの道を探す。誰だって考えることだ」


「それはそうね」


 あっさり頷かれ、男は拍子抜けしたように口を開けた。


「でも、あの辺りに詳しい人がいたそうね。逃げた三人のうちの誰か」


「……ああ」


「その人は、荷馬車が通れるかどうかを知らなかったの? 四台まとめて案内できると言ったのに」


 男の喉が上下した。


「詳しいってのは、昔あの辺に住んでたってだけだ。通れるかなんざ、行ってみなきゃ分からねえ。案内すると言やあ、金は取れる」


「口実ね」


「……商売だ」


 エルセリアはそれ以上突かず、車輪が石を噛んで跳ねるのを待った。縄を握るエイリクが歩みを緩めると、男もつられて足を落とす。


「案内料を払わなかった商隊もいたでしょう」


「いたさ。そういう連中は先に行かせた。どうせ石の前で立ち往生して、引き返すのが落ちだ」


「引き返した先は、どっちだったの?」


「街道のほうへ――」


 言いかけて、男は口を閉じた。縄が張る。


「覚えとけって言われてたんだ。金を払わねえ奴でも、何台で来て、どっちへ抜けたか。荷馬車の数なんざ、金の勘定より念入りに数えさせられた。間違えると、仲間が妙にぴりついてな」


「誰に覚えておけと言われたの?」


「逃げた三人の一人だよ。そいつが、外の奴から話を聞いてた。街道の規制がどうなるとか、商隊がどの辺に流れそうだとか」


「外の人。商人かしら」


「知らねえ。俺は顔も見てねえし、名前も、どこの者かも知らねえ。聞いたのは仲間からだ」


「草地に踏み跡があった」


 シグが口を挟むと、男の視線がこちらへ流れた。


「商隊が待機していた場所のすぐ脇だ。あれは」


「知らねえよ。石を置いたのは認めたろ。倒木も、踏み跡も、俺じゃねえ」


 エルセリアが、ようやく男の顔を見た。


「アルヴィオで役人に話すときも、今の話をしてね」


「なんで俺が。会ってもねえんだぞ」


「会っていないと、そのまま言えばいいわ。誰から何を聞いたかは、あなたの話でしょう」


 男は唸ったが、証言を引っ込めはしなかった。


 ◇


 捕虜から少し離れたところで、エルセリアが言った。


「金目当てなら、払わなかった商隊の行き先は要らないわ」


「客を探すためじゃないのか。次に来る奴を先回りして待つとか」


「そう取れなくもない。でも、数を違えると苛立つほど念を入れるのは、稼ぎの勘定にしては行き過ぎよ」


「あいつらは金を欲しがった。その外の相手は、別のものを欲しがってたってことか」


「かもしれない、というだけ。本人たちも、はっきりとは知らないでしょうね」


 シグは前を行く狼人の背を見た。


「その相手が、森にいたのか」


 エイリクは荷馬車が狭い轍を抜けるのを待ってから、口を開いた。


「分からん。木立の奥で音がした気がしただけだ。人とも限らん」


「なら、調べに――」


「商隊を置いてか」


 横目で射抜かれ、言葉が喉で止まった。戻れば、あの草地の踏み跡の続きが見えるかもしれない。そう思う一方で、見逃したものがあるなら、自分は先刻あの場所で何を見ていたのかという疑いが、肩の痛みよりしつこく居座った。


「……いや。戻らない」


「なら前を見ろ。この先は道が狭い」


 シグは頷いて足を速めた。曲がり角の手前で、二台目が路肩へ寄りすぎている。


「もう少し左へ。そこから先は道が細くなります」


 御者が手綱を引き、車輪が溝の縁を離れた。荷台の脇を抜けると、左肩の奥で鈍い痛みが返った。


 後方では、キルミが三台目の御者と並び、車軸の軋みに耳を寄せている。最後尾のナイアは弓を提げたまま、森側の路肩を歩いていた。


 曲がり角の先で、木々がまばらになる。そこを抜ければ、荷馬車がすれ違える道幅が戻るはずだった。


 先頭の馬が弧を描き始める。


 そのとき、エイリクの耳が一瞬だけ右手の木立へ向いた。足は止まらず、振り返りもしない。耳はすぐ前へ戻り、狼人は縄を握ったまま、何も言わずに曲がり角へ入っていった。

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