第二話:進めない理由/第三幕:この背にあるもの
大柄な男の剣が、鞘を離れた。
斜めに落ちてくる刃へ、半歩踏み込んで剣を合わせる。側面で滑らせると、金属が噛み合い、手首が沈んだ。見た目よりずっと重い。逸れた切っ先は車輪を掠め、木片が弾けた。
「邪魔すんじゃねえ!」
力任せに引き戻される剣を、追わなかった。背には車輪。打ち合いが長引けば、次に裂かれるのは荷台だ。
再び踏み込んできた男の剣を外へ流す。そのまま懐へ入り、肩を胸元へぶつけた。
「ぐっ!」
巨躯がたたらを踏む。倒せはしない。それでも、荷馬車との間に一歩ぶんの隙間が空いた。
「荷馬車から離れろ!」
横から剣を押し、男を草地の開けた側へ追いやる。二歩退いた男は踏みとどまり、振り回した刃で袖を裂いた。皮膚には届かなかった。あと指一本ぶん深ければ、腕ごと持っていかれていた。
「やめろ! 剣を収めろ!」
先頭の男の怒声が飛ぶ。大柄な男の耳には、入っていない。
◇
木立の方で、足音が重なった。
「おい、待てって!」
痩せた男が外套を掴もうとして、振り払われる。短槍を握った男が草地へ踏み出していた。
「仲間が抜いたんだ、放っとけるかよ!」
向かう先は、隣の荷馬車だった。
その進路へ、狼人が入った。肩から下ろした黒鋼の大斧の石突きが、草地に突き立つ。
「そこまでだ」
突き出された穂先は、傾けた斧身に受けられ、横へ弾かれた。一歩踏み込まれただけで、短槍の男は後ずさる。エイリクは追わない。木立と荷馬車のあいだに立ったまま、大斧を構え直した。
「エルセリア、右だ!」
「見えてる!」
荷馬車の反対側から声が返る。
「馬は離さないで! 手綱を持ったまま、車列の内側へ!」
甲高い嘶き。御者が馬を車輪の陰へ引き込む。
短槍の男が、エイリクの正面を避けて回り込もうとした。その爪先の前に、矢が一本突き立つ。
「それ以上は、近づかないでください」
弓を引き絞ったまま、ナイアは次の矢を番えていた。
「脅しかよ!」
「次は、足を狙います」
静かな声だった。男は槍を握り直したが、動かない。
こちらでは、受けた刃が靴底ごと草を削っていた。腕力では向こうが上だ。押し合えば、体ごと持っていかれる。剣を引くと、前へ流れた巨躯の足が乱れた。
「ちくしょう!」
顔を歪めても、男は剣を離さなかった。
草地へ、先頭の男が出てきた。腰の剣は鞘に収めたままだ。
「もうやめろ! 引くぞ!」
「うるせえ! こんなガキに好き勝手されてたまるか!」
振り下ろされた刃は、受け流した先で地面を抉った。
背後を窺う。車列の内側から、御者が一人、顔を覗かせていた。
「下がってください!」
引っ込んだ顔に気を取られた、その一瞬だった。肩が脇腹にぶつかり、体が二歩ぶん弾かれる。男の向きが、荷馬車へ変わった。
追う足が、湿った草に滑る。
右足へ魔力を流した。《空歩の靴》が応える。蹴った爪先の先に見えない足場が生まれ、靴底に硬い抵抗が返った。そこから斜めに跳ぶ。男の肩越しに、荷台が見えた。
着地で膝が沈む。それでも、男より先に荷馬車との間へ入った。
「何っ!?」
横へ払った刃が、振り上げられた剣とぶつかる。踏ん張りの利かない足では、腕ごと押し戻された。受け止めるのをやめ、刃を滑らせて逸らす。空を切った剣の下、無防備な腹へ、短く風を叩き込んだ。
「ぐあっ!」
後ずさる男を、深追いはしなかった。荷馬車の前へ、立ち直る。
◇
木立側で、土塊が跳ねた。エイリクの斧が地を打ったのだ。短槍の男は槍を落としかけ、後ろへ退いた。
「もう無理だ! 引こうぜ!」
痩せた男の手には弓があった。矢は、最後まで番えられていない。
エルセリアが、車列の外側に立っていた。抜いた銀の剣には、青白い雷が細く絡んでいる。短槍の男と目が合うと、彼女が一歩進んだ。
「まだ続ける?」
答えはない。
「撤退だ! 全員、森へ戻れ!」
先頭の男の号令に、痩せた男が真っ先に駆け出した。短槍の男も続く。
大柄な男だけが、動かなかった。
「ふざけんな! 何も取ってねえだろうが!」
低い位置から、突き上げが来る。身を捻ると、切っ先が脇腹の際を通り、服の裾を裂いた。
さらに踏み込んでくる男を見て、キルミの声が飛んだ。
「シグさん、右です」
半歩ずれる。男の踏み込んだ足が湿った草を滑り、巨躯が傾いた。
「うおっ!?」
シグは開いた手元へ剣を打ち込んだ。金属音を立てて、男の剣が手を離れた。拾おうと伸びた腕の先で、胸元に切っ先が止まる。
「動くな」
男の動きが止まった。膝をつき、両手が地面に下りる。
「そいつを見てろ」
エイリクは男の剣を足で遠ざけ、木立へ向かった。
逃げた三人の背は、まだ木々の向こうに見えていた。距離なら追えるが、動かなかった。捕らえた男と荷馬車のあいだに、立ったまま。追わなくていい。
◇
大柄な男の両手を縄で縛り、車列から離れた草地に座らせた。見張りは、エイリクが代わった。
車列の内側では、商人が荷台へ背を預けていた。
「怪我は」
「だ、大丈夫です。荷も、無事です」
車輪には剣が掠めた傷が残り、削れた木の縁がささくれていた。
「こっちは怪我人なし。荷も確認してるわ」
剣を収めながら、エルセリアが近づいてくる。袖と裾の裂け目を見せると、彼女は傷のないことを確かめ、小さく頷いた。
木立の際では、ナイアが弓を下ろさずに森を見ている。
「礼は後だ」
責任者の口が開くより先に、エイリクが言った。
「森には三人いる。ほかにもいないとは限らん」
剣を鞘へ戻し、木立を見る。逃げた三人の気配は、もうなかった。草地には踏み荒らされた跡が残り、倒れた茎が風に揺れている。
エイリクの耳は、まだ立っていた。三人が消えたのとは、別の方角を向いたまま。




