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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第一話:閉ざされた街道/第四幕:道を塞いだ手

 旧交易路へ戻ると、二人の靴音だけが石畳に響いた。


 荷馬車が残した轍には、湿った土が押し固められている。シグは溝を避けながら、思っていた以上に傾いた道の端を進んだ。石畳の継ぎ目からは根が伸び、ところどころ足元を持ち上げている。


 馬車を下げたときには、車輪の位置ばかり見ていた。同じ道でも、歩いてみると気になる場所が違う。


 先を行くエイリクの左手が淡く光った。狼人は時折足を緩め、木立へ耳を向けたが、道を外れることはなかった。


 シグは右手の森を見た。馬が後退を嫌がった場所は、もう少し先だ。あのとき何を感じたのか、エイリクにはまだ訊いていない。


 風が枝を揺らし、乾いた葉が足元へ落ちた。


 やがて、倒木が見えてきた。


「まず、あれを調べる」


 エイリクは道の左右を見渡し、シグへ顎をしゃくった。


「俺は周りを見ている。気になるものがあれば呼べ」


「分かった」


 シグは倒木の根元へ向かった。


 先ほど見つけた土の乱れは、そのまま残っていた。根が地面を抉った跡にも見える。指で触れると、表面は乾き始めているのに、少し掘れば湿った土が出てきた。


 幹に沿って反対側へ回る。折れた枝が幾本も重なり、その下で樹皮が剥がれていた。シグは屈み込んだ。


 木肌が、妙に平らだった。


 枝が折れた跡なら、繊維が裂けて不揃いになる。ところがそこには斜めに削ぎ落とされた面があり、細い筋が同じ向きに走っている。


 指を伸ばしかけて、止めた。


「エイリク、ここを見てくれ」


 狼人が近づき、身を屈めて木肌を確かめた。爪の先で樹皮の端を押し、それから周りの石へ目を移す。


「ほかにもないか、見てみろ」


 シグは頷き、幹の先へ回った。


 大きな石が二つ、枝の間に押し込まれている。片方の下から、荷馬車の轍がわずかに覗いていた。しゃがんで石の脇へ指を入れると、下の土は固く締まっているのに、周りには崩れた土が寄っている。轍は石の手前で途切れ、向こう側へは続いていなかった。


「こっちも、変だ」


 エイリクは石の位置を見てから、幹の反対側へ回り、地面の窪みを見た。戻ってくるまで、少しかかった。


「……人の手だな」


「やっぱり、誰かが倒したのか」


「倒したところまでは分からん。だが、刃物を入れた跡がある。石も、後から動かしたと見るのが自然だ」


 エイリクは幹を跨いで、道の向こう側へ降りた。


「先も見ておく」


 障害物の先にも、古い石畳が続いていた。土砂が流れ込み、路肩の石組みがところどころ崩れている。歩く分には支障がない。ただ、荷馬車の車輪が通る位置を思うと、簡単には進めそうになかった。


 シグは道幅を目で測った。頭の中に、検問所で見た古い地図の細い線を重ねる。あの線がこの道なら、橋は丘の向こうの谷にあるはずだった。


 四台を連れてここまで来て、また同じように下げられるだろうか。


「橋まで見に行く?」


「まだだ。この辺りを確かめてからにする」


 エイリクはそう答えて、森へ顔を向けた。


 ◇


 倒木から少し戻ったところで、シグは道端の草に目を留めた。


 周りの草は好き勝手な向きに伸びている。ところが木立へ続く一筋だけ、茎が揃って倒れていた。


「ここ、誰か通ったのかな」


 エイリクが草の間を覗いた。柔らかな土に浅い窪みが幾つか残っている。足跡のようだったが、縁は崩れ、形までは読めない。


 狼人は鼻を鳴らした。


「少しだけ見る。道から離れすぎるな」


 二人は草を分け、木立へ入った。


 枝葉が頭上を覆い、足元の明るさが変わる。細い枝が袖に引っかかって、乾いた音を立てた。


 それほど歩かないうちに、木々の間が開けた。


 膝ほどの草が茂る中で、その一角だけ土がむき出しになっている。地面は踏み固められ、端には折れた細枝が幾本か落ちていた。


 シグは足を止めた。


「ここだけ、草がない」


 足を置こうとして、やめた。


 エイリクは土の上を避けて回り込み、枝の折れ口を確かめた。


「古い跡じゃないな」


「ここに、誰かいたってことか」


「ああ。少なくとも、最近ここに人がいたのは間違いなさそうだ」


 周りを見回すと、木々の隙間から旧交易路の石畳が少しだけ見えた。倒木の場所までは見通せないが、道を行く者がいれば、ここから気づける。


 馬が足を止めたときにエイリクが顔を向けたのは、この辺りの方角だった。


 シグは踏み固められた土へ目を落とした。


「道を塞いだのも、ここにいた奴なのかな」


「分からん」


 エイリクは即座に言った。


「同じかどうかは、地面に訊いても出てこん」


 狼人は奥へ視線を投げたが、足は進めなかった。


「戻るぞ。追いかける仕事じゃない」


「ああ」


 ◇


 旧交易路へ戻り、障害物の先をもう一度確かめた。


 道は丘の向こうへ続いている。遠く、木々の間に低い尾根が覗くが、橋のある場所までは見通せなかった。


「もう少し進めば、何か分かるかもしれない」


 シグが言うと、エイリクは空を見上げた。


「その先でまた何か見つかれば、さらに進むことになる。きりがない。持ち帰るぞ」


 シグは倒木を振り返った。


「……ああ。戻ろう」


 二人は来た道を引き返した。


 途中、シグは右手の森を一度だけ見た。調べた場所は、もう木々に遮られていた。


 ◇


 商隊の待機場所へ戻ったとき、日はまだ高さを残していた。


 荷台から離れて歩いてきたエルセリアが、空を一瞥した。


「約束の内ね。それで?」


 責任者も近づいてくる。エイリクが答えた。


「障害物は人が動かしたものだ。木には刃物の跡がある。石も後から置かれていた。近くの森には、人が留まっていた跡もあった。同じ奴らかどうかは分からん」


 責任者の表情が変わった。


「障害物だけでも退ければ、通れるのでは」


「退けることはできるだろうな」


 エイリクは否定しなかった。


「だが、誰が何のために塞いだのか分からん。橋も見ていない。俺は、このまま商隊を進ませるのには反対だ」


 責任者は地図に目を落とした。エルセリアが、シグを見る。


「あなたはどう思うの」


 旧交易路へ入る前に、自分が口にした条件が頭に浮かんだ。


 危ないと分かったら、無理に進まない。口にしたのは自分だ。


「通れるかどうかは、まだ分からない。でも、あの道は誰かが塞いでいた。今、荷馬車を入れるべきじゃないと思う」


 エイリクは口を挟まなかった。責任者の返事を待っている。


「……主要街道は軍に閉ざされ、こちらも駄目だと」


 責任者は地図を畳みかけ、手を止めた。


「納期のある荷もあります。待つ間の損失は、馬鹿になりません」


 シグは答えなかった。責任者は長く息を吐いた。


「……分かりました。旧交易路は諦めます」


 そう言って御者たちのもとへ歩いていった。間もなく、荷馬車の間で声が上がり始める。納期を気にする商人が責任者に詰め寄り、別の男は積荷を指して何かを訴えている。責任者は一人ずつ聞いたが、次にどちらへ進むかは告げなかった。


「さて、どうする」


 エイリクが声をかけた。責任者は地図を開き直したものの、すぐには答えない。


 シグは旧交易路の入口へ目を向けた。草地の向こうで旧交易路は木立に隠れている。その奥には、人の手が入った倒木が残されたままだ。


 視線を戻しかけて、草地の端で止まった。


 踏み分けられた草の筋が、木立の際から、荷馬車の並ぶ方角へ向かって、ほんの数歩だけ続いている。


 先ほど見たものと、同じ向きに倒れた草だった。

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