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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第一話:閉ざされた街道/第三幕:見えない気配

 シグが振り返ると、商隊責任者が荷馬車の間を抜けてきた。


「何かあったのですか」


「まだ分からん。だが、勝手に動かすな」


 エイリクは倒木から目を離さずに答えた。


 責任者は道を塞ぐ幹を見つめ、少し考えてからエルセリアへ向き直った。


「魔法で、あれを退けることはできますか」


「できるわよ。石も木も、動かすだけならね」


 エルセリアは枝の隙間から先の道を覗き、肩をすくめた。


「でも、向こうが通れるかは別の話」


「ここまで来た以上、できれば先へ進みたいのですが」


「今は触らん」


 エイリクの声が、責任者の言葉の尻に被さった。


「荷の事情は分かる。だが、四台をこの幅で縦に並べたままだ。何か出れば、後ろの御者は先頭が見えんうちに挟まれる」


「撤去さえできれば、半刻で済む話です」


「その半刻に何が来るか、誰も知らん」


 責任者は口を結んだ。後方では馬が落ち着かず、蹄で地面を掻いている。


 シグは最後尾まで視線を走らせた。幌の列は道幅いっぱいで、御者たちは先頭の様子も見えないまま手綱を握っている。


「ここで荷馬車を止めたままにするのは危ないと思う。いったん、引き返せる場所まで戻そう」


「戻るのはいいけど、この道幅で四台とも後退させるの?」


 エルセリアが列を振り返った。


「途中で襲われたら、身動きが取れなくなるわよ」


 シグは答えかけて、口を閉じた。


 先ほど通った崩れかけの路肩が頭に浮かぶ。あそこを後ろ向きに下がらせれば、車輪の位置は御者にも見えない。急げば、かえって落ちる。


「……後ろから順番に下げるのはどうかな。先に一台分の道を確かめて、空いたところへ次を動かす」


「馬車は人間みたいに真っ直ぐ下がらんぞ」


 エイリクが言った。


「御者に聞け。連中の方が詳しい」


 シグは近くの御者を呼んだ。


「この道で、荷馬車を後ろへ動かせますか」


「できなくはないが、長くは御免だ。馬が嫌がる。さっきの広い場所までなら、少しずつ下げるしかないな」


「途中で向きを変えるのは?」


「無理だ。車体が道からはみ出す」


 ナイアが道の端から戻ってきた。


「この近くに、向きを変えられる幅はありません。私が路肩を見ながら下げます」


「なら、俺は前を見る」


 エイリクは倒木へ顎をしゃくった。


「後ろは任せる。急がせるなよ」


 エルセリアは頷いて、御者たちのほうへ歩き出した。


 責任者は地図を握ったまま、なお倒木を見ていた。


「撤去できるか、試すだけでも」


「戻してからにしましょう」


 シグは言った。


「通れる道なら、俺たちが先に見てきます。それから進めばいい。ここで何か起きたら、四台とも動けなくなる」


 責任者の視線が荷馬車へ移る。御者が馬の首を撫でているが、馬はまだ耳を伏せたままだった。


「……分かりました。いったん戻しましょう」


 ◇


 最初に動かすのは、最後尾の荷馬車だった。


 エイリクは倒木の側に立ったまま、肩越しに後方の声を聞いている。御者たちは声を掛け合いながら手綱を絞り、馬を急に退かせず、一歩ずつ下がらせた。


 シグは車輪の脇を歩き、路面を見た。


「もう少し右です。そこ、轍が深いので」


「右だな。分かった」


 車輪は溝の縁をかすめ、石畳の残る部分へ乗った。荷台が揺れ、括りつけた木箱が鈍く鳴る。数歩進むたびに止め、馬の足場を確かめる。後ろ向きに動く車体は、見ているよりずっと扱いづらかった。


 最後尾が十分に離れると、二台目が動き始めた。


 ところが、その馬が途中で足を止めた。


「ほら、下がれ。もう少しだ」


 御者が手綱を引いても、馬は足を踏み替えるばかりだった。鼻を鳴らし、首を左右へ振る。


 シグは車輪の下を見た。石に乗り上げた様子はない。


「足元は大丈夫です。少し休ませたほうが」


 そのとき、エイリクの耳が動いた。


 狼人は顔を上げ、道の右手に広がる森へ視線を向けた。


 シグもそちらを見る。細い幹と下草が重なるばかりで、風に揺れる枝のほか、動くものはなかった。


「エイリク?」


「……いや、続けろ」


 エイリクは視線を戻した。


 シグは馬の鼻先へ回った。首筋に汗が浮いている。荷が重いだけの汗ではなかった。坂を登ったときの馬の息は、もっと深く、長かった。


「手綱を緩めてください」


 御者が緩めると、馬は少し間を置いてから、ようやく一歩下がった。


「そのまま」


 車輪の位置へ戻る。後方の御者へ手を上げると、向こうも頷いた。もう一度森を見たかったが、今は車輪から目を離せなかった。


「寄ってる。左」


 短く言うと、御者がすぐ修正した。


 残る荷馬車は、ナイアが路肩を確かめ、エルセリアが車列の後方から道を見張る中で、順に下がった。狭い区間を抜けたところで、御者の一人が長く息を吐いた。


 荷馬車はさらに戻り、道幅に余裕のある場所で、一台ずつ向きを変えた。


 ◇


 商隊が落ち着いたのは、旧交易路の入口へ戻る途中にある、開けた草地だった。


 四台を並べても道の邪魔にならない。御者たちは馬に水をやり、商人たちは荷を括った縄と木箱の具合を見て回った。


 シグは最後の車輪を見届けてから腰を伸ばした。


「ここなら、まだましですね」


 キルミは黒杖を突き、木立から離れた側に立って、周囲を一巡するように見回した。


 責任者が五人のもとへ来た。


「先ほどは助かりました」


「まだ何も起きちゃいない」


 エイリクは荷馬車を見渡した。


「問題はあの先だ」


「調べていただけないでしょうか。危険が大きければ、諦めます」


「俺が行く。馬車を連れるより早い」


「俺も行く」


 シグが言うと、エイリクは一度だけこちらを見て、それ以上は訊かなかった。


 エルセリアが木々の上の空を見上げた。


「日が傾く前には戻って。何も見つからなくても、それ以上は進まないで」


「それでいい」


 エイリクが頷く。シグも頷いた。


「調査の分は、別途お支払いします。額は戻られてから」


 責任者の言葉に、エイリクは荷の紐を締め直しながら応じた。


「後でいい」


 シグは剣の位置を確かめ、靴紐を結び直した。


 ナイアが胸へ手を添え、小さく頭を下げた。


「お気をつけて」


 エイリクが先に立った。


 旧交易路へ踏み出す手前で、狼人は一度だけ、道の右手へ顔を向けた。荷馬車を下げている途中、耳を動かしたのと同じ方角だった。


 何も言わず、エイリクは歩き出した。


 シグは、その視線の先を目で追った。


 木々の間は、先ほどと同じに暗かった。

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