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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第一話:閉ざされた街道/第二幕:旧交易路へ

 アルヴィオ側から来た責任者が天幕へ入っていくのを見送るうち、木柵の手前で声が上がった。


「頼むよ。俺の馬車だけでも通してくれないか」


 商人らしい男が、西方軍の兵士に食い下がっている。


「明後日までに届けなきゃ、代金を減らされるんだ。運び賃も護衛の金も、もう払っちまってる。ここで引き返したら、何が残るっていうんだ」


 兵士は命令書の端を親指でなぞり、顔を上げた。


「事情は分かりました。ですが、許可のない通行は認められません」


「一台だけだぞ。荷を届けたら、すぐ戻る」


「申し訳ありません。私の判断では、通せません」


 男は後ろを振り返った。少し離れた場所に停めた馬車で、御者が手綱を握ったままこちらを見ている。


「……じゃあ、誰に頼めばいい」


 兵士は言葉を探すように口を閉じ、命令書を畳んだ。


「解除については、上からの指示を待つことになります」


 男はしばらく立ち尽くしてから、肩を落として馬車へ戻っていった。


 シグは荷馬車の脇から、その背を見送った。兵士はもう次の商人を呼んでいる。声の高さも、書類を畳む手つきも、訓練場で教わった手順とほとんど変わらない。自分があの位置に立っていたとして、別の答えを返せただろうか。


 やがて責任者が戻ってきて、五人を寄せて声を落とした。


「この先は規制の対象だそうです。目的地が王国領内であっても関係ない、と。解除の見込みは未定です」


「聖王国とカル=ザ=グラの件か」


 エイリクが低く言うと、責任者は首を振った。


「そうだろうとは思いますが、理由までは聞けませんでした」


「規制の範囲を、もう少し確かめたいです」


 シグが言うと、エイリクは黙って一歩寄り、シグの左に並んだ。


 天幕の前では、担当の兵士が卓に地図を広げていた。胸甲に刻まれた紋章が目に入り、背筋が伸びかけて、途中で肩の力を抜く。


「どうして、ここを通っちゃいけないんですか?」


 兵士の視線が、一拍だけシグの顔に留まった。


「命令では、国境付近の情勢を踏まえた警戒強化、とだけ伝えられています。この先で何かあった場合、通行者を安全に退避させられる保証がありません」


「戦になるのか」


 エイリクが尋ねた。


「そこまでは聞いておりません。我々に伝えられているのは、規制の範囲と条件だけです」


 兵士は地図の上へ指を置き、規制の線をなぞった。


「主要街道のこの区間が対象です。対象外の道もありますが、そちらが安全かどうかまでは、私には保証できません」


 シグが礼を言って下がると、兵士は視線を戻し、次の馬車へ声をかけた。


 ◇


 商隊は検問所から離れた空き地へ移された。


 責任者が他の商人から聞き集めた話をもとに、古い地図を広げる。主要街道が整う前、丘陵を抜けて交易拠点へ通じていた道があるらしい。


「今も通れるかは分かりませんが、方角は合っています」


 シグは地図を覗き込み、気づけば顎に手を当てて細い線を追っていた。線は丘の襞を縫い、途中で一度、川を示す青に触れている。


 顔を上げた先に、一台の馬車が停まっていた。車輪の外縁から車体の下まで、乾きかけた泥が厚くこびりつき、荷台の片側には斜めに補強板が打たれている。


 昨日、分岐から出てきた馬車だ。


 シグは責任者に一声かけ、御者のもとへ向かった。


「少し聞いてもいいですか。その馬車、昨日も街道を走ってましたよね。旧交易路から戻ってきたんですか」


 男の手が、手綱の上で止まった。


「……ああ。途中までな」


「道は通れそうでしたか」


「狭いし、荒れてる。橋も傷んでたな。車輪を取られたら厄介だ」


「橋は、渡れなかったんですか」


「渡ってはいない。見て引き返した」


 御者は荷台の縄を引き直し、それきりシグと目を合わせなかった。


「ほかを当たった方がいいぞ。俺はもう行く」


 軋む音を残して、馬車は街道を引き返していった。


 話を聞いた責任者は、地図を前に腕を組んだ。


「橋が傷んでいるとなると、四台とも渡れるかどうか……」


「確かめずに進ませるわけにはいかん」


 エイリクが言った。


「だが、入口から通れんと決まったわけでもない」


「一度、行けるところまで進みたいと思います。ここで待ち続けるのも、アルヴィオへ戻るのも、荷主への説明がつきません」


「行けるところまでなら、俺も賛成です」


 シグが言うと、エイリクはシグを見て、それから責任者へ向き直った。


「無理だと分かったら、すぐ戻るぞ」


「承知しました。日数が延びる分の報酬も、お支払いします」


「金の話は後でいい。まず道だ」


 エイリクが地図を畳むと、責任者は御者たちを呼び集めた。


 ◇


 四台の荷馬車が向きを変え、旧交易路へ入った。


 入口には低い石柱が立っていた。かつては道標だったのだろう、刻まれた文字は苔に覆われ、行き先の半分が読めない。石畳もところどころ土に埋もれ、残った継ぎ目だけが先へ続いていた。


 キルミが石柱の前で足を止めた。苔の下の文字へ指先を伸ばし、触れる寸前で止める。黒杖の石突が、地を一度だけ叩いた。


「……古い書体ですね。実に興味深い」


「キルミ」


 エルセリアが名を呼ぶと、老魔導士は指を引っ込め、杖を持ち直した。


「承知していますよ、エルセリアさん。荷馬車を待たせて払う授業料は、高くつきますから」


 キルミは聞こえなかったふりで、列の後ろへ歩いていった。


 道幅は狭かったが、荷馬車一台なら通れる。土に半ば埋もれた石畳の上には、新しい轍が残っていた。車輪の幅は、今の商隊と大きく変わらない。


 先頭の馬が足を取られ、深い轍に車輪が落ちて荷台が傾いだ。


「シグ、荷台の左を支えてください。右は、私が石を見ます」


 ナイアの声に、シグは荷台の後ろへ回った。御者と並んで車輪の縁を押すと、木が泥を噛み、掌にざらついた抵抗が残る。靴底が滑り、踏み直した拍子に、車輪がゆっくりと溝を抜けた。


「助かります」


 ナイアが胸へ手を添え、小さく頭を下げた。


「この調子じゃ、日暮れまでにどこまで行けるか」


 御者が手綱を握り直す。


「待て。先を探る」


 エイリクが左手を上げた。手の甲の紋章が淡く光る。狼の耳が前へ傾き、しばらくそのまま動かなかった。


「……進める。だが、速度は落とせ」


 道は丘陵の斜面に沿って曲がり、谷側の路肩で石組みが一間ほど崩れていた。積まれていた石は土ごと斜面を滑り落ち、断面から細い根が白く垂れている。残った側の幅なら荷馬車は収まる。ただ、車輪が一つでも外へ寄れば危うい。


 シグは縁から二歩下がり、崩れ際の土を靴底で踏んだ。頼りなさが、そのまま足の裏へ返ってくる。


 エルセリアが先頭の車輪の位置を目で測り、御者へ手を一度だけ左へ振った。荷馬車は縁から離れ、枝が幌を擦る木立の下へ入っていく。


 やがて前方から、短い声が上がった。


「止まれ!」


 先頭の馬が足を踏みとどめ、後続も次々に手綱を引いた。馬の鼻息と車輪の軋みが、狭い道に重なる。


 シグは前へ駆けた。


 道を横切るように、大木が倒れていた。太い幹の周りには岩が幾つも転がり、枝の間に絡んでいる。人なら抜けられる隙間はあるが、荷馬車は通れない。


「こいつを退ければ、何とかなるか」


 御者の一人が、斧を取りに荷台へ戻った。


 シグは倒木の脇へ回った。根元の土は盛り上がり、湿った地面に深い窪みが残っている。木が倒れたときに抉れたのだろう。その少し先にも、土が大きく乱れた場所があった。


 しゃがみ込み、指先で表面を押すと、柔らかかった。石の下には、まだ湿った土が付いている。


「エイリク」


 呼ばれた狼人が近づき、倒木の根元から周囲の地面へ視線を滑らせた。シグは土に指を置いたまま、それ以上は何も言わなかった。


 エイリクは幹の向こう側へ回り、しばらく地面を見てから戻ってきた。


「……まだ分からん。だが、妙だな」


 斧を提げた御者が、倒木に近づく。


「とにかく枝だけでも落とそう。少しでも動かせれば――」


「待て。まだ触るな」


 御者の足が止まった。


 狼の耳が、ゆっくりと木立の奥へ向いた。


 シグも顔を上げた。

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