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Chronicle ーエルディア・バース戦記ー  作者: kissaki / 切っ先
第六章:「国家の影」

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第一話:閉ざされた街道/第一幕:濃紺の軍装

 アルヴィオを発ってから、商隊の旅は順調に進んでいた。


 四台の荷馬車が乾ききった轍を噛み、荷を括る縄が、車輪の一回転ごとに低く鳴った。日向では背に秋の陽が沁みるのに、木立の影へ入った途端、風が肌を冷やす。馬の鼻先から立つ息は、朝よりも白かった。


 緩い登りに差しかかり、先頭の御者が手綱を絞った。後続の車列も、少しずつ歩みを落とす。二台目の脇を歩いていたシグは、荷の揺れ方を見てから御者に声をかけた。


「この先、ずっと坂ですか」


「曲がり角までだ。越えりゃ平らになる」


 御者は馬の首筋を叩いた。


「ただ、荷が重くてな。馬が先に音を上げそうだ」


「上で休みましょう。ここで潰したら、日没までに宿場へ入れません」


 先頭へ目を向けると、エイリクはすでにこちらを振り返っていた。大きな足で土を踏みしめたまま、シグの言葉を待っている。シグが坂の上を指すと、狼の耳が一度だけ動いた。


「それでいい。上で止めよう」


 坂を登り切ると、ナイアが高みから道の先を見渡していた。降りてきて、まずシグの前で足を止める。


「この先は見通しがいいです。停めるなら、この辺りに」


「助かる。ここで馬を休めよう」


 ナイアは小さく頷いた。


 荷馬車が停まると、キルミは黒杖を地に突いて腰を伸ばした。エルセリアが水筒を差し出す。


「キルミ、疲れた?」


「まさか。ただ、荷台に空きがあるなら遠慮はしませんよ」


「最初から乗りたいだけじゃない」


「年長者を労るのは美徳でしょう、エルセリアさん」


「都合のいいときだけ年寄りになるのね」


 キルミは満足そうに水筒を受け取った。


 シグは車輪を確かめた。坂の途中で何度か大きく跳ねたが、車軸に狂いはない。縄を締め直して立ち上がると、風上へ顔を向けたエイリクが鼻を鳴らすのが見えた。


「匂いが濃い。大勢が通ったな。まだ、そう古くない」


 ◇


 その午後から、向こうから来る荷馬車が目に見えて増えた。


 先頭の車は木箱を幌の上まで積み、麻袋が隙間からはみ出している。轍へ沈むたびに車体が傾ぎ、御者は前だけを見て手綱を握っていた。続く何台も同じ有様で、荷台のどこにも空きがない。


「さて。売りに行く荷には見えないわね」


 エルセリアが、すれ違う馬車を目で追いながら言った。


 次の一団は、荷よりも護衛の数が目についた。前後に加え、左右にも剣を帯びた男が歩を合わせている。すれ違う間際、その一人の視線がシグの腰の剣へ落ち、すぐに離れた。


 エイリクの耳が、わずかに倒れた。


「魔獣が相手なら、ああいう目はしない」


「じゃあ、何を」


「分からん。分からんうちは決めつけるな」


 さらに、泥を厚くこびりつかせた馬車が分岐から出てきた。向きは、これから進む回廊の方角とは逆だ。シグは分岐と馬車の向きを見比べた。


「引き返してきたんでしょうか」


「そうかもしれません。どこから戻ったのかまでは、分かりませんが」


 ナイアが答えた。


 ◇


 宿場に入る頃には、道端に停められた荷馬車が目立つようになっていた。


 宿の前では、出立の支度を済ませたはずの御者が二人、手綱を取らずに話し込んでいる。シグは荷を下ろしながら、その声を聞いていた。


「昨日は通れたんだぞ」


 髭面の御者が、苛立ちを隠さずに言った。


「それが今日も通れるとは限らんだろう。今朝から兵が出てると聞いた」


 相手は肩をすくめ、鞭の柄で手のひらを叩いている。


「西の道は」


「まだ大丈夫だって話もある。確かめたわけじゃないがな」


「そんな話で荷を動かせるか」


 髭面は吐き捨てて、宿の中へ戻っていった。シグは荷を下ろす手を止め、その背を見送った。


 奥の卓では商人たちが地図を囲んでいた。シグはいつの間にか卓の端まで来て、顎に手を当てて覗き込んでいる。指でなぞる道筋が幾筋も重なっている。だが、回廊を越えて先へ進む指はなかった。


「お前は、地図を見ると動かなくなるな。……聞こえたか」


 背後でエイリクが言った。


「通れない道があるらしい、って。昨日と今日で変わるなんて、そんなに急に」


「噂だ。だが、何もないとは思えん。お前はどう見る」


「責任者に確かめよう。動くなら今夜のうちに」


 エイリクは短く頷き、それ以上は言わなかった。


 戻ってきた責任者は、五人を集めて声を落とした。


「少し厄介なことになっています。ファルム回廊の周辺で通行規制が始まっているそうで、どこまで止められているかは、まだはっきりしません」


「国境を越える契約じゃなかったはずだが」


 エイリクの言葉に、責任者は首を振った。


「行き先は、あくまで王国領内の交易拠点です。ですが道そのものが塞がれては、国境の内も外もありません。聖王国とカル=ザ=グラの間が穏やかでないことは、出発前から承知していました。ただ、規制の場所も時期も動いているらしく、アルヴィオで集めた話は、もう古いのかもしれません」


 宿の前に並ぶ荷馬車へ、責任者は目をやった。


「荷は届けたい。通れない道へ無理に入るつもりもありません。明日は予定どおり進み、この目で確かめましょう」


 その夜、シグは荷から契約書の写しを出し、灯りの下で広げた。受領の席で自分が指を置いた箇所は、あの日のまま空白だった。道が塞がれた場合の扱い。何も書かれていない一行が、今夜は妙に重い。


 紙から目を上げ、窓辺へ立った。下の街道では、御者が馬の首を撫でながら、何度も道の先を見ている。明日どちらへ進むのか、まだ決めかねているのだろう。


 シグは写しを畳み、窓を閉めた。


 ◇


 翌朝、すれ違う荷馬車はめっきり減った。代わりに、道端で動かない馬車が目に入る。地図を広げたままの御者もいれば、荷台に腰掛けて空を見ている者もいた。


 緩やかな曲がり角を抜けたところで、シグの足が鈍った。


 前方に荷馬車の列が詰まり、動かない。先頭近くには臨時の天幕が張られ、その周りで濃紺の軍装が動いていた。


 胸甲の形。肩の紋章。


 見間違えようがなかった。あの装備を着けて、シグも訓練場の砂を踏んだことがある。


「……西方軍だ」


 漏れた声に、エルセリアが顔を向けた。


「知ってる兵士?」


「顔までは分からない。でも、軍装は」


 言い切る前に、足が動いていた。膝から下が勝手に、訓練場での整列の位置を探している。右手が柄へ伸びかけて、止まった。ここで剣に触れれば、それだけで何かを語ってしまう。


 天幕の脇の兵士が、手元の紙片に目を落とし、それから列を一瞥した。視線はシグの上を滑り、次の荷馬車へ移っていく。紙片に何が書かれているのか、シグには見えない。


 エイリクが鼻を鳴らし、半歩だけ位置をずらした。シグと天幕の間に、広い肩が重なる。何も言わなかった。


「シグ」


 エルセリアは名を呼んだだけで、それ以上は尋ねず、隣で水筒の蓋を回した。


「……大丈夫」


 答えた声の高さまで、点呼のときと同じだった。


 先頭の馬車から降りた責任者が、五人を振り返る。


「私が話を聞いてきます。皆さんはここで待っていてください」


 責任者が兵士たちのもとへ向かう。シグは荷馬車の脇から動かず、縄に手を置いた。毛羽立った麻が、掌を擦る。


 兵士たちは商人の話を聞き、停車位置を指示し、次の馬車へ移っていく。誰もこちらへは歩いてこない。誰もこちらを見ていない。見ていないはずだ。


 列の向こう、天幕のさらに先で、街道を横切って組まれた木の柵が、朝の光を受けていた。


 街道は、そこで断たれていた。

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