第四話:知るための旅/第四幕:答えを探す道
夕暮れの街道は、河岸林の湿り気をまだ引きずっていた。踏むたびに靴底が泥を剥がし、戦いで使い潰した脚は一歩ごとに重くなる。丘の稜線の向こうに、アルヴィオの外壁はまだ見えない。
シグは剣を納めたあとも、柄の形をなぞるように掌を開閉していた。指の付け根が鈍く疼く。あの巨獣がキルミへ迫った瞬間、右腕へ意識が傾いたのを覚えている。今回は、ほかの手があった。次もそうだとは限らない。
「足なら、無理に隠さなくていいわよ」
エルセリアが横から覗き込んでいた。
「痛いのは足じゃない。……なあ、キルミ」
前を行くキルミの黒杖が、夕日を鈍く跳ね返している。呼ばれたキルミは歩調を緩めず、首だけでこちらを向いた。
「俺の紋章を、調べる手立てはあるのか」
エルセリアが何か言いかけて、右腕のあたりへ視線を落とし、結局は何も言わなかった。
「ありますよ」
キルミは杖の石突きで地面を一度突いた。
「古い紋章の記録、各国の史料、神学書。古代の遺構も当たれます。ただし、材料が揃えば答えが出るとは限りません」
「何を知りたいのか、先に決めろってことか」
「決めておくと探しやすい、という程度の話です。それで、何を知りたいのです?」
シグは返事に詰まった。正体を知りたい。それは間違いない。けれど、何が分かれば納得できるのかまでは考えていなかった。
「なぜ俺に宿ったのか。あの力が何なのか。今言えるのは、それくらいだ」
「十分でしょう。私など、六十年かけても黒杖の仕組みを説明しきれていません。分からない部分が残っているうちは、退屈せずに済みますよ」
「それ、慰めになってないぞ」
「慰めたつもりはありません」
キルミが涼しい顔で前へ向き直ると、エルセリアが鼻から短く息を抜いた。
「古い文献なら、私も辿れるわ。伝手がないわけではないの」
「エルセリアでも、知らないことがあるんだな」
「あるに決まってるでしょう。何でも知った顔をした覚えはないわよ」
そう言いながら、彼女は外套の襟を直した。シグは口の端が緩むのを自覚した。
右腕の紋章が初めて浮かんだ夜は、いまも輪郭ごと残っている。それ以来、力を意識するたびに目を逸らしてきた。使わなければ誰も傷つけずに済むと、それで話を終えていた。けれど触れずにいる限り、あれが何を壊し、何を守れるのかも、永久に分からない。
「調べたい。今すぐ答えが出なくてもいい」
声は思ったより低く出た。
「自分の腕にあるものを、知らないまま抱えてるのが嫌なんだ」
「では、少しずつですね」
キルミが言った。
そのとき、先頭のエイリクが振り返りもせずに吠えた。
「おい、日が落ちるぞ。立ち話なら飯を食ってからにしろ」
「少しくらい、いいじゃないですか」
ナイアが肩を揺らして笑う。
「腹が鳴ってるのは俺だけだと思うな」
「さっきから三回目ですよ、それ」
シグは二人のやり取りを背に受けながら、歩幅を広げた。
◇
数日後、アルヴィオの冒険者ギルドは朝から人いきれに満ちていた。掲示板の前では依頼書を引き剥がす手が交錯し、受付の奥では報酬の額を巡って男が職員に食い下がっている。五人は人の流れを避け、空いた壁際の一枚の前に立った。
商隊の護衛だった。行き先はファルム回廊方面の交易拠点で、同規模の依頼より報酬が明らかに高い。
「相場を外れてるな。裏があるぞ」
エイリクが依頼書の端を爪で弾いた。
「聞いてみましょう」
ナイアが先に受付へ歩き出し、エルセリアが半歩遅れて続く。職員の話では、回廊周辺の街道で検問や通行制限が増え、商人の経路が変わり、請ける冒険者が減っているらしい。
「何が起きてるんです?」
「そこまでは、こちらでも掴めていません」
職員は書類の角を揃えながら、申し訳なさそうに眉を寄せた。
卓へ戻ると、エイリクが依頼書を指で押さえたまま、しばらく動かなかった。やがてそれをシグの前へ滑らせる。
「読め」
シグは頭から文面を追った。荷馬車四台、商人と御者で九名。国境は越えないが、経路変更の可能性あり。以前、森で荷箱を回収したときも、依頼書に載らない魔獣が出た。
「迂回になったら、どこまで護衛するのかを先に聞いておきたい。馬車が通れない道に入るなら、そこで引き返す線も決めておかないと」
エイリクは顎を引いただけで、依頼書を取り戻した。
「責任者には、出発前に俺が確かめる」
「水と食料の算段も要りますね」
ナイアはもう指を折って数え始めている。
「私は構いませんよ」
キルミは目的地の欄をぼんやり眺めていた。
「あちらにも、調べたいものがありますので」
「途中でいなくなるなよ」
「何ですか、その言い草は」
「前科があるだろうが」
キルミは黙って依頼書へ目を戻し、ナイアが口元を押さえて顔を背けた。
エルセリアが卓上の紙をシグへ寄せる。
「それで、あなたはどうするつもり?」
シグは依頼書をもう一度見た。
「受けたい。五人なら、やれると思う」
エイリクは何も言わずに立ち上がり、ナイアはすでに外套を掴んでいた。シグは依頼書を持って受付へ向かった。
◇
出発の朝、アルヴィオの門前には荷馬車が四台並んでいた。石畳に車輪が軋み、馬の鼻息が冷えた空気の中で白く千切れる。御者が革帯を締め直す音が、乾いて響いた。
シグは腰の剣に指を添え、街道の先へ目をやった。ファルム回廊は地図の上でしか知らない。
「シグ、行くわよ」
エルセリアの声に振り向くと、エイリクは先頭の御者と話し込み、ナイアは最後尾の荷縄を引いて結び目を試していた。キルミだけが、門の外へ伸びる道をじっと眺めている。
衣の下で、右腕の紋章は沈黙していた。
歩き出してしばらくすると、先頭の馬車が速度を落とした。街道脇の案内標の前で、商隊の責任者が手綱を引いている。
「道は合ってるんだがな」
男は標柱を叩いた。
「ここから先は、昨日通れた道が今日は通れないこともあるそうだ」
馬車が再び動き出す。シグは標柱の根元に打たれた真新しい釘を見て、それから隊列の後を追った。
最後に門を抜けたキルミが、標の前で一度だけ足を止めた。何も言わずに黒杖を持ち直し、五人の列へ戻っていく。




