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日常の違和感 その3

「ベルナテット少尉、失礼します」

 ハイキング(山中行軍訓練)をした日の夜、ベルナテットの部屋に、サヤカとトリエラが入ってきた。

「どうぞ、何もない部屋だけど、ゆっくりしていってね」


「すいません、助かります」

 サヤカはそう言って、ベルナテットが差し出した椅子に座った。トリエラもそれに倣う。

「コーヒーでいいかな?」

「はい。ありがとうございます」


 サヤカとトリエラはベルナテットが差し出したインスタント・コーヒーのカップを受け取った。湯気を上げている水面の暖かさが、陶器のカップを伝わって、サヤカのささくれだった心を落ち着かせてくれる。

 ベルナテットはインスタント・コーヒーを一口口に含んで、口を開いた。


「アオイはこれ、嫌いなんだけどね。苦いの嫌なんだって、あの人が言ってたなぁ……」

「……そのことなんです。アオイの昔のこと、教えてくれませんか?」

 サヤカは、そう言った。

 クレートレッフ基地のダム壁にぶつかる水音が、廊下を伝って基地中に広がった。


 サヤカは緊張で乾き切った喉をインスタント・コーヒーで潤した。あまり品質が良いものではないコーヒーの雑味と苦味の強い味が、サヤカの全身を縛る緊張を無理矢理に押し殺してくれた。

「ベルナテット少尉は戦時中にアオイと同じ部隊にいたんですよね、アオイの昔のこととか、知りませんか?」


「うーん……僕もアオイのことをなんでも知ってるわけではないけど、今のアオイには気になる所があるから、いいよ」

「ありがとうございます。その……今さっき言ってた、あの人って、誰ですか?」

「誰って……アオイのお義姉ねえさんだよ。アオイから聞いてない……ないか」


 ベルナテットは、一瞬苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐに笑顔を作った。

 それはサヤカとトリエラから見ても無理のある、貼り付けたような笑顔だった。

 ベルナテットは再びインスタント・コーヒーを口に含み、無理矢理作った笑顔に混ざっていた感情を無理矢理押し殺して、口を開いた。


「この前の模擬戦の時、アオイが変なことを言ってたんだよ。『わたしにはお姉ちゃんなんていない』ってさ」

 ベルナテットのその言葉に、サヤカとトリエラの表情が引きつった。

「本当に忘れてるの?いや、あの時は確か……?」


 トリエラは先月、アステル・アカデミーの屋上でのアオイの姿を思い出していた。

 (記憶がないことの自覚はあっても、何を忘れているのかはわからないの?いや、もしかしたら……)

「無意識のうちに、思い出すのを拒否している……そういうことですか?」

 トリエラが一つの答えにたどり着くより先に、サヤカが口を開いた。


「……そうなんだろうね。何があったのかは分からないけど、《《あのアオイ》》がお義姉さんを、アカネさんを忘れるわけないもん」

「そう、その話なんです。アカネさんと一緒にいたころのアオイって、どんな人だったんですか?」

「どんな人だったか……?一言でいえば、不思議な子だったよ」


「不思議な子……ですか」

「そう、びっくりするくらい強いのに、信じられないくらい気弱な子で、いつもアカネさんの背中に隠れてるような子だったよ。コックピットの中のアオイと、外のアオイは実は別人なんじゃないかって思うくらい。1人でTD1個中隊を斬り倒したかと思ったら、その日の夜にはアカネさんに眠れないって泣きついているんだもの」


 ベルナテットのその言葉に、トリエラは心の中で強くうなずいた。

 物静か……というより人見知りな普段のアオイと、はきはきと話し、冷静に、時には苛烈に敵を追い詰めていくエースパイロットとしてのアオイ。

 どちらが本物のアオイかなんて、誰にもわからなかった。


「災害で孤立した村を救うために、東西両方からパイロットを派遣した時があったんだけどさ、あの時のアオイったら凄いんだよ?アカネさんを狭苦しいアードラーのコックピットに詰め込んで作戦中の通訳やらせてたの。あの時の東側の人たちの反応ったら面白かったなぁ、アカネさんをパイロットだと勘違いして、『蒼月ブラウモントの使い手は女の子だったのか!?』って騒いで、最後の最後にアカネさんより一回り小さいアオイが出てきたときのあの顔といったら!2人にも見せてあげたかったよ!」


 けたけたと笑いながらかつてのアオイについて話すベルナテットの様子を見ていたトリエラは、その思い出をすべて失ってしまったアオイの姿に思いを馳せていた。

 ――本当に、アオイの記憶を取り戻させてあげることが、アオイの幸せにつながるのだろうか?


 大きく精神的に依存していた相手を失ったことで、精神的な負荷に耐え切れなくなったアオイは、お義姉さんの記憶を消すことで自分の心を守った。

 ――本当にそうなのだろうか?そもそも、アカネはアオイが自分に依存しているのを知っていながら、なぜ自分だけでフィオナ要塞まで行ってしまったのだろうか?当時も凄腕のパイロットだったはずのアオイを連れて行けば、あのスレイプニルかいう酷い機体しかない中でももう少し何とかなったのではないか?


「アカネさんは、パイロットだったんですか?」

 トリエラの質問に、ベルナテットは首を振った。

「一応訓練は受けてたんだけどね、目も当てられないような成績だったらしいよ。多分、アオイがパイロット……というか|シュツゥルム・イエーガー《吶喊猟兵戦術》のための盾役に志願したのは、アカネさんを戦場に出したくなかったからじゃないかな。アオイ、僕に言ってたよ『わたしは強くなって、お姉ちゃんの力になるんだ』ってね」


 アカネがサヤカに残したメッセージから見ても、アカネがアオイを愛していなかったわけでは無い。

 ――どうして彼女はアオイを一人にしたのだろうか?

 2人がいくら悩んでも、謎は深まるばかりだった。


「戦時中の思い出話なら、まだまだたくさんあるよ。この一晩じゃ語り切れないくらいね。どうする?もう少し聞いていく?」

「……はい。お言葉に甘えて」

 ベルナテットからのお誘いに乗ったサヤカは、差し出されたインスタント・コーヒー入りのポットを受け取った。瞬間、


 うめき声のような音が、廊下を伝って部屋に響いた。

「……何の音!?」

 サヤカとトリエラは反射的に部屋の扉を開けて、周囲を見渡した。しかし、音源になりそうなものは見つからなかった。

 その代わりに廊下にいたのは、左手にランタンを持った、白いワンピースを着た少女だった。

「ゆ、幽霊……?」

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