山道にて
ごつん。と何かに頭をぶつけて、エスト・オルヒデーエは目を覚ました。
彼女が座っていたのは、トラックの荷台に取り付けられた、決して座り心地が良いと言えない椅子の上だ。
でこぼことした山道を通るトラックのタイヤが少し大きな石ころを蹴り飛ばすたびに、トラックの荷台の上のエスト達が5センチほど浮かび上がり、トラックの荷台を覆う幌の支柱や椅子の脚がぎいぎいと鳴った。
「移動も訓練って言ったってさあ?これはひどいんじゃないの?そもそも……」
エストの目の前に座ったトリエラ・リーリエがそうぼやいた。再びトラックが石を蹴り飛ばし、トリエラの言葉を乱暴に遮った。
「うるさいわ。黙ってなさい、舌を嚙むわよ」
エストは寝起きの重い頭を振り、どうにかして眠気の残滓を振り払ってそう言った。
「でも……景色変わんないし、つまんないよ」
トリエラは右手の人差し指でゆっくりと自分の背中側の幌を捲りあげた。緑色の幌の向こう側の景色は、幌とほとんど変わりのない緑色の林がずっと向こうまで広がっていた。
向き合う2人のそれぞれ隣の席に座る2人……ハタエ・サヤカとフーシャ・マイグレックヒェンはトリエラが捲りあげた幌の向こうを無表情に眺めていた。
10秒くらいで変わらない景色に飽きたトリエラは幌を戻し、それを合図にしたかのようにエストが荷台の入り口側の幌をゆっくりと捲った。映る景色はでこぼことした山道と、4人が乗るトラックに追随する、倍くらいのサイズの4台のトラックだ。
「《《あれ》》に乗っていけば、ずっと早んですがねぇ」
フーシャの声が、沈黙が支配した荷台の中に響いた。
他の三人も、フーシャの気持ちが痛いほどわかった。朝にアステルを出発して、大体6時間。ずっと揺られていると、流石に体調が悪くなってくる。
背後のトラックの荷台に積まれたのは、身長10メートルの人型機動兵器、TDだ。それを使えば、ずっと早くに目的地に着くだろう。恐らくお出迎えが銃弾の雨になるだろうが。
学園都市アステルで士官候補生として学校に通っていたエスト達に『転属命令』とやらが届いたのは、一週間前だった。先月起こった『首無し旅団』のアステル襲撃により数を減らした2年生はいくつかの班に分かれてモリニア各地の後方基地に散り散りになり、正規軍の後方支援を行っていた。簡単に言うなら、つかいっぱしりである。
それはアステル襲撃事件で避難民の救助に尽力し、『アステルの戦乙女』という称号を頂いたエスト達も例外ではなく、クレートレッフ基地の『第69試験小隊』なる胡散臭い名前の部隊に少尉の階級と共に送り出されることになったのだ。
――『アステルの戦乙女』?あんなのは、ただのプロパガンダだ。結局私は何もできなかったのだ。結局あの時だって、正体不明の黒いTDに助けられただけだ。
転属命令が下った時、エストはそう思った。
エストの脳裏に、深い後悔の色と共に、1人の少女の顔が浮かんだ。
小さな体と、じゃがいも色の髪の少女。
アオイ・モーントシャイン。たった2週だけ一緒だった、クラスメイトの顔だ。エストはサヤカから彼女が未確認機と戦闘を行い、自爆したと聞かされた時、後悔と一緒に、憤りを感じていた。
なぜそんなに人ごとのように言えるのかと。あいつはお前を助けるために戦ったんだぞと。
それをどうにか口にしないで済んだのは、今この場にいないもう1人の戦乙女――アリシアがサヤカとトリエラの態度に納得できなかったエストに、
『おふたりにもきっと、何か事情があるのですわ。こういう時はそっとしておいてあげた方がいいですわよ』
と声をかけてくれたからなのだ。
エストの思考はもっと奥、真っ暗闇の中、声だけが反響する空間へと沈み込んでいく。
聞こえてくる声の主は、フーシャ。
『すとちゃん……どこ……?無事なら返事を、返事をして……!』
普段のフーシャからは想像もできないくらいの切羽詰まった声に、エストの記憶の中から比較的新めのフーシャの姿が自動的に脳裏で再現される。
しかしその姿も、エストの知るフーシャとは大きくかけ離れているものであった。
——そういえば最近、フーシャがやけに素っ気ない気がする。
普段はやる気のない面倒くさがり屋の癖に、やけに自分にだけ過保護なフーシャに憤ることが多かったエストは、ここ最近のフーシャの言動に、無意識のうちに違和感を覚えていたのだろう。
目を合わせてくれなかったり、そうかと思えばじっとこちらを見つめてきたり。
理由を聞こうとしても、『何でもないよ』の一点張り。
——私って、フーシャに信頼されてないのかな……。
水面に浮かぶ泡が弾けるように、思考の海から帰還したエストは、まじまじと自分を見つめるフーシャと目が合い、やはり逃げるように目を逸らされてから、そう思った。
幌の骨組みを眺めながらそんなことを考えいると、骨組みを構成する支柱が、かすかに揺れていることに気づいた。
最初は車体が揺れているからだと思っていたが、それにしては震えが規則的で、少しづつ強くなっていることに気づいた。
そして、そのことを誰かに伝えようとしたとき、
ジェットの音が、幌の中の空間に響いた。
「……!?なに!?」
エストは無意識のうちに腹から顔を出し、空を見上げた。
もしかしたら敵の攻撃なのかも知れない。
そんな心理が計5台のトラックを縛り付けていた。
空間を震わすジェットの音はどんどん強くなり、音の主が少しずつ近づいていることを伝えていた。
永遠とも呼べるほど長かった10秒間。音が一際大きくなると同時に、太陽を覆い隠すように、それが現れた。
雲を引きながら、空高くを駆ける黒い巨鳥。いや、TDだ。
「あれは、あのときの……!?」
呆然と空を見上げるエストに目すら向けずに飛んでいく、かつてアステルで彼女を救ったあの時と同じ黒いTDは、エストたちと同じ方向——クレートレッフ基地に向かっていた。
「嬢ちゃんたち、前見てみな」
黒いTDに釘付けになっていたエスト達に、トラックの運転手はそう言った。
エスト達はその言葉に従って、それぞれ幌から顔を出し、トラックの進行方向に目を向けると、同時に嫌になるほどの林の緑が視界から消え、広々とした景色が目に飛び込んできた。
灰色の壁が、エスト達の視界を全て覆わんがばかりに広がっていたのだ。
壁には要塞のように無数の砲台が取り付けられていたが、何より目を引くのは、壁の中心に取り付けられた、赤い水門だった。
「これが、クレートレッフ……」
その言葉が、エスト達の誰から漏れたのかわからなかった。




