黒鉄色の人形使い その3
着替えと朝食を済ませて、少ない荷物を鞄に詰めたアオイは、両手で鞄を抱えながら、格納庫に向かっていた。
アオイの視線は格納庫の端にある黒い機体に注がれている。
吸い込まれそうなくらい深い、どこか安心するような色合いの闇を人型に固めたような機体だった。与えられた名を、《グラニ》という。
アオイは《グラニ》の脚の装甲に、そっと手を乗せた。これでもかと磨き上げられてキラキラと輝いており、アオイの顔がうっすらと黒い装甲に映った。
「整備は完璧だ。長距離飛行用のブースターも用意してある」
アオイの背後から、低い声が放たれた。
「ウッズマン大佐。……ご丁寧にありがとうございます」
2人から10歩程離れた位置に、箱のような形をした長距離飛行用ブースターが置かれていた。大量の燃料を詰め込んで、TDの飛行可能時間と速度を大きく伸ばす代物だ。
「構わんよ。最近よくこの機体のそばで過ごしてると聞いたからな、それを聞くついでだ」
ウッズマン大佐はそう言った。
「……落ち着くから、です」
それは事実だった。アオイはその機体の持つ、兵器らしからぬ温かい雰囲気が好きで、この機体を手に入れてから、暇な時間は殆ど《グラニ》のそばで過ごしていたのだ。
「落ち着く、か。そうだな……お前なら、そう思うんだろうな……」
そう呟くウッズマン大佐の目に、小さな感情の揺らぎが見えた。彼に3年付き合ってきたアオイは、それを彼が隠し事をするときに見せる癖だということを知っていた。
「……はい。とても、落ち着きます」
アオイは追求しなかった。
アオイは軍隊という環境において、相手——特に上官——の隠し事を探ろうとする奴は早死にするということも知っていたからだ。
「……命令書だ、サインを頼む」
アオイはウッズマンが差し出した命令書とペンを受け取り、大陸公用語でアオイ・モーントシャインの名を書いた。
「……よし。今日付でアオイ・モーントシャイン准尉を戦時中尉に任命する。転属先でトラブルが起きないようにするための措置だ。いいな?」
「……了解」
どうして階級を上げるだけでトラブルの予防になるのか、アオイにはあまりピンときていなかったが、長年の軍人経験が半ば自動的に敬礼と返答を返していた。
「では、いってこい」
ウッズマン大佐の言葉に押され、アオイは機体のコックピットハッチに続く階段を登った。
軍用機としては広いスペースの《グラニ》のコックピットに鞄を放り込み、アオイ自身も滑り込むようにハッチの隙間からコックピットに潜りこむんだ。
コックピットに備え付けられた柔らかい座席がアオイを迎え、それに座り込んだ彼女は座席の左右に一基ずつ取り付けられた操縦桿に手を伸ばし、操縦桿の引き金を絞った。
瞬間、操縦桿と座席の下部に格納されていた手錠のような金属の輪が飛び出し、アオイの両手両足を座席と操縦桿に固定した。
半月も味わうといい加減慣れてくる、金属の輪のもたらす電気的な刺激に耐えると、コックピット内のモニターが次々と点灯した。次々と流れては消えていく機体のチェック作業のウインドウに目を光らせ、機体に取り付けられたシュヴァルベ・ユニット(ジェットエンジンとワイヤーアンカーを搭載したTD用の移動装置)と増槽内の燃料がしっかり入っているかどうかを確認する。
機体のチェックを一通り済ませて、自衛用のアサルト・ライフルを手に取り、格納庫に併設されたカタパルトに歩を進め、シャトルに足を乗せると、アオイの背中が何かを押し付けられたような衝撃を感じた。
それの正体をアピールするかのようにモニターの画面が点灯、背部の可動式アタッチメントに取り付けられた長距離飛行用ブースターに格納された、燃料タンク内の燃料もクレートレッフ基地まで足りるか確認。
カタパルトのブラストディフレクターがせり上がり、ウッズマン大佐や格納庫内の整備スタッフ達から《グラニ》の下半身を隠した。
「アオイ・モーントシャイン中尉、健闘を祈る」
ウッズマン大佐のその言葉は、もうアオイには届いていなかった。
アオイの思考の中では、自分のいるべき場所に戻ってきたのだというある種の安心感が、つい先ほどまで泡のように浮かんでいた雑念や恐怖心を水に入れた角砂糖のように溶かしていた。
アオイはコックピットのペダルを踏んだ。
シュヴァルベ・ユニットのジェットエンジンが甲高い咆哮をかき鳴らし、アフターバーナーから青白い炎が噴き出す。
長距離飛行用ブースターの支持脚が持ち上がって、カタパルトのレールから白い蒸気が上り、すべての準備が整ったことを伝えた。
「……行ってきます」
アオイは操縦桿を倒した。
それを合図に、レールとシャトルの隙間から吹き上がる蒸気が一層強くなり、《グラニ》は白と黒の混ざった鈍色の蒸気と勢いよく撃ちだされた。
カタパルトから飛び出した《グラニ》は重力によって少しだけ軌道をたわませたものの、すぐに点火された長距離飛行用ブースターの炎により高度を上げ、晴れた朝の空をぐんぐんと空を舞う黒い巨鳥のように羽ばたいていった。




