黒鉄色の人形使い
スカイブルーに染まる空に澄んだ音が響き、汗の雫が散った。
音の元は、直径50センチほどの切り株だった。なめらかな断面に、一つのへこみが真新しく残っている。
汗の元は、木製の剣を握った一人の男だった。7分丈のズボンのみを身にまとい、まるで大きく育った樫の木のような日焼けした上半身を誇らしげに朝日に晒している。
「50年だ。それだけ生きてきて、分かったことがある」
男は両手で握った剣を上段に構えながら、言った。磨き上げられた木製の刃は朝日を反射して、金属のような輝きを放っている。
「何が分かったんですか?」
そう返したのは、半裸の男と比べて頭二つ以上小さい、一人の少女だった。肩にかかるくらいのくすんだ金色――最早じゃがいも色としか形容できない色の髪の、白いワンピースを纏った少女だ。
「“天才”とは何か。ということだ」
男はそう言って、剣を振り下ろす。筋肉の節々から汗が散り、打ちつけられた木製の刀身が小気味よい音を鳴らした。
「はぁ」
白いワンピースの少女は、そんなことを言うために朝早くにたたき起こしたのか?と言いたげな表情を浮かべた。白いワンピースは彼女の寝間着だったのだ。「話したいことがある」の一言で、着替える間もなく連れ出されてしまった。
男は少女の不満そうな顔を無視して続ける。
「“サイレン”はエースパイロットの集まりだが、本物の天才はいなかった。もちろん、アオイ。君もだ」
「……それをわたしに言います?」
アオイと呼ばれた少女は、今度は明らかに気分の悪そうな顔をした。少女も軍人であり、自分の腕にはある程度の自信とプライドがあったからだ。
「ではもし、君に家族がいて、帰る家があって、その日の食事にも困らない生活をしていたら、どうだ?君は今と同じような修練を積み、同じ期間で、同じ力を発揮できるようになるかね?」
アオイは口を開くことができなかった。
アオイが5年前の戦争を生き残り、今もエースパイロットとして軍に籍を置いていられるのは、戦時中に死に物狂いで訓練を積んだからだ。そしてアオイをその訓練に駆り立てたモチベーションとは『やらなきゃ絶対に死ぬ』『死にたくない』という明確な命の危険が、目と鼻の先にあったことだった。
それがなければ、もし軍でパイロットをやっていたとしても、ここまで訓練に熱を出してはいなかっただろうし、今ほどの戦果は出せなかっただろうとアオイは思った。
そして、アオイがエースパイロットだと確信した人間には皆、一つの共通項があった。
それは、『絶対に生き残ってみせる』という明確かつ、強靭な意志力だ。戦う理由。そう言い換えてもいい。どんなにパイロットとしての技量が高くても、それを失ったパイロットは、長くは持たなかったのだ。
そしてその意志は、戦場の中でしか育てられないものであることを、アオイは良く知っていた。
その意味ではアオイの考える天才パイロットとは、『死にたくない』とも『生き残りたい』とも考えず、戦う理由も目的も、帰るべき場所もなく、ただただ機械的に敵を倒す怪物そのものだった。
そんなものはこの世にいない方がいいとも、アオイは思った
しかし、アオイの口を固く閉ざしているものはそれだけではなかった。
ここ最近、戦闘中にひやりとする場面が増えていた。迫りくる敵の刃や銃弾に、安心感を覚えている自分がいた。
あの日――夜の闇を固めたようなあの機体と出会ったその日に、頭痛と共に感じた喪失感が、半月が経過した今でも、アオイに自分の心の中にはもう、戦い以外の居場所も、戦う理由も無いのだということを嫌でも意識させていた。
自分の戦う理由は、何だったのだろう——
どうしても、思い出せなかった。いくら記憶を辿ろうとも、どこかで黒く塗りつぶされた壁にぶつかって、それ以上辿ることができなかった。
黒く塗りつぶされたような記憶の中で、黒曜石のように輝く誰かの髪が、泣きたくなるほど懐かしいのに、名前を呼ぶことどころか、思い出すことすらできなかった。
そんな散漫とした思考の中、どうにか死線の中にある生にしがみつき、生き残ってきた。
理由なく、敵を殺し続ける自分は、その怪物と変わらないのではないか――そんな思考が、金縛りのようにアオイの口を縛っていた。




