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神馬の名の下に その3

「お願い、トリエラ。私を信じて」

 サヤカのその言葉に無言で頷いたトリエラが走り去っていくのを見送ったアオイは、

「サヤカ……」

 と、相手の名を呼んだ。


「これが、サヤカのしたかったこと?」

 呟くように、サヤカにそう聞いていた。

 最初の爆発の時からずっと、宙に浮かんでいるような感覚を感じていた。久々の大規模戦闘に無我夢中だったからだと、アオイは自己分析していたが、どうやらそれは誤りであったと今は思っている。

 2人の間に立つ、黒いTD。

 高密度の闇が、一角獣ユニコーンとも人ともとれる形に固まったような姿をしていた。

 夜の闇そのものとも言えるそれを目の前にした時、アオイは自分の心が凪いでいくのを感じていた。


 自分自身が本来あるべき場所にすっぽりと収まったかのような、奇妙な安心感。

 つい1時間ほど前に見た夢のような安寧感に襲われて、どうにか正気を保とうとサヤカに声をかけていたのだ。


「そうだよ」

「わたしが、やらなきゃいけないことなんだね?」

 サヤカは何かを言おうとして、すぐに辞めた。

 きっと。アオイには絶対にわからない事情があるのだろう。もしくは、それを話せば全てが終わってしまうような事情、アオイが怖気てしまうような事情が。

 それらを飲み込み、ほんの少し溢れた言葉が、ほんのわずかに溢れて、アオイの鼓膜を揺らした。


「私には、無理なんだ」

「トリエラでも、他の人でも。今出来るのはアオイだけなんだ」

 今自分が出来るなら、迷わずそうしている。

 そう言いたげな顔をしていた。

 許されるのであれば、自分がこれを駆り、この状況をどうにかすることで、トリエラを守りたいのだと、言っている気がした。


 しかし、サヤカにはそれはなかった。

 今のこの状況をどうにかできる力も——それを手に入れる権利も。

 そして、その力を手に入れる権利は、今、アオイの手にあるのだと。


 それを意識するのと同時に、アオイは川の音を聞いていた。

 記憶にぽかりとした穴が空いて、最初の記憶。

『——あのね、君と一緒にしたいことがあるの』

 サヤカにかけられた、最初の言葉。


 もう逃げられない——?

 ちがう、逃げるという選択肢は、最初から無かった。3年前のあの日、あの声に応えた時から、これは決まっていた。

 行く先がどんな所でも、進むしかないのだ。夜空に輝き、人知れず消えてしまう星のように。

「……ごめん。頼む」

「……わかった。やるよ、サヤカの望みなら、なんだって」


 《グラニ》のコックピットハッチは、奥行きのある胴体部の先端にあった。統一されたデザインのハッチ操作スイッチを押すと、コックピットハッチが開き、最新鋭機のコックピットを露わにした。

「ほんとにこれで大丈夫なの……?」

 最新鋭機グラニのコックピットは、本当に動くのか心配になる程にシンプルだった。

 ボタンの類はなく、細身のシートの周りには、一対のペダルと金属製の半球形のカバーで覆われたスティック型の操縦桿があるのみだ。


 トラックや戦車だって無数のレバーとハンドル、ペダルで操作しているのに、全長10メートルの人型兵器であるTDがこれだけで動くのだろうか?

 ——いや、サヤカがそう言うのであれば、確かに可能なのだろう。


 パイロットの思考による操縦支援というものがあるのだから、スイッチをほとんど排除することも出来るのだろう。

 ハッチからコックピットの中に入ると、予想よりずっと柔らかくて、体を包み込むような形状をした座席に迎えられた。

 椅子に座り込み、自動でサイズを調整し始めた椅子の感触を感じながら、アオイはコックピットを眺めた。

 ——どうやれば起動させられるのだろう?


 そんなことを思っていると、ふと。

 似て非なる景色が現れた。

 TDのコックピットだ。

 グラニのものと似たレイアウトだが、各所の塗装が剥げ、モニターにはひび割れが入っている。

 そんな場所に、自分がいた。

 自分が小さくなって、突然に矮小な存在に変化したような気がした。

 むせるような血と汗の匂いは、今の自分がいかに無力な存在であるかを語っているようだった。


 そう頭で感じると、アオイの体が勝手に動き出していた。

 いや、その表現は正確ではない。なぜなら、その体はアオイのものでは無かったからだ。

 身長は本来より少し大きいし、髪の色もなんだかんだ言われながらも気に入っているじゃがいも髪ではなく、黒曜石のようなしっとりとした黒だ。

 他人の身体の持つ視界を借りている——そんな表現が一番しっくりくる、奇妙な感覚だ。

 

 多数の生傷が痛々しく残った少女の手がゆっくりと動き、操縦桿——正確に表現するのであれば操縦桿の形をしただけの金属の棒を握った。

 この身体の主は誰なのだろうか。

 黒髪が揺れて、視界を掠めるたびに、脳裏がちくちくと痛む。


 痛みが一瞬はっと大きくなると同時に、視界がフラッシュして、痛みと光が引いた時、景色と体は元に戻っていた。

 先ほどの景色の主に従い、半球形のカバーに手を突っ込み、内部の操縦桿を握った。

 こちらの操縦桿は張りぼてではなく、スイッチや引き金などの感触が確かに指に伝わる。


 もはや無意識のうちに、操縦桿に取り付けられた引き金を絞っていた。

 その瞬間、両手を突っ込んでいるカバーと足を乗せているフットペダルのそばから金属輪が飛び出し、アオイの両手首、両足首を固定した。

 アオイはそれを意識した直後、体に電気が流れた。

 痛みはない。冬場の静電気の不快感を3倍くらいにした感覚が、アオイの全身を包む。

 目を一瞬閉じ、開くと、ハッチはその一瞬に閉鎖され、真っ暗な空間に閉じ込められていた。

 真っ暗な恐怖が手足から侵入しようとした時、声が響いた。


『起動できたの!?まだ説明もしてなかったのに、一体どうやって……?』


 機体の中のスピーカーの音ではない。自分の身体の内から響く声の主は、サヤカだった。

 

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