ハタエ・サヤカについて その3
「プール?こんな大きな……」
隣のトリエラが、ボソリと呟いた。
「あんな量の水、どこから……」
アオイはトリエラの言葉に返事を返すこともなく、無数の人影が使っている水の出所について考えていた。
——あれだけの水があれば、何人助かっただろうか。
かつての戦争で、水不足に苦しんだ経験のあるアオイは、それにただただ驚愕するばかりであった。
「アオイ……?」
入り口から一番近い位置にあるプールに誘われるようにして、ふらふらと近づいたアオイは、左の人差し指をそれにつけてみて、指先に残った水滴を舐めた。
「変な味……っ!?」
「おバカ!汚いでしょ!」
海水とも違う、不思議な水の味に首を傾げたアオイの襟を、エストが掴んで、叫んだ。
「だって……」
「だってじゃない!あんたは風呂の水を飲むわけ!?」
「……ごめん」
頭を下げて、謝罪の言葉を返したアオイに、どこか貼り付けたような表情を浮かべた女性が近寄ってきた。
「あの……すみません。お代は払っていただかないと……」
ふらふらと入り込んでしまったアオイと、それを連れ戻すために入っていってしまったエストの分のお金を払い、恥ずかしい思いをしながら退出したトリエラの目の前で、アオイ達は何やら話し込んでいた。
先ほどの醜態をすっかり忘れたアオイ達の会話の主題は、プールいっぱいの不思議な味のする水の正体に移っていた。
泡の出ない特殊な石鹸水だとか、病院の消毒液の味がしたとか、人並み以下の知識をどうにか経験と結びつけて、不思議な考察を繰り出し続けている。
「……って、アオイ!あなた消毒液飲んだことあるの……?」
アオイのとんでもない発言を、トリエラは聞き流すことはできなった。
「サヤカと会う直前に、少しだけ……って、今話したよ?」
「聞いてなかったの?アステル・アカデミーでは授業をちゃんと聞けとか言ってきたのに?」
妙に息のあった2人の反応に気圧されて、トリエラは息を呑んだ。
1ヶ月と少し前に、『足手まといにはならないで』などと喧嘩を売っていた仲とは思えなかった。心なしか、笑顔が増えている気もする。
おそらくそれは、この街の雰囲気が2人に良い影響を与えているからだ。
基地から出て、ここまで、
道ゆく人は軒並み、他国の兵士であるアオイ達に優しかった。
かつてのモリニアに蔓延していた、軍人への嫌悪感が無いのだ。
かつての戦争で中立の立場を貫き、終戦のための仲介役を務めた教会において、軍人の立場というのはモリニアと同じくらい低いのだろうと、トリエラは考えていた。
実際にはそんなことはなく、他国の兵士であるアオイ達ですら過ごしやすいと思えるほどの環境があったわけだ。
今のアオイ達には知りようがなかった話ではあるが、教会領の民は、教会が半世紀もの間中立を保つことができたのは、『国の権威と力の象徴』たる軍があったからだと考えていた。
彼らにとっての兵士とは、民と聖地を戦乱から守る聖戦士であり、モリニアを始めとした西側各国の民が戦後に作り出した、『他者を傷つけることを生業とした略奪者』という価値観とはそもそもの成り立ちから異なっていたのだ。
それの正誤はともかくとして、軍人として生活をしているアオイ達にとっては、教会領の民の考え方は、とても心地よいものだったのだ。
それが、プールの水と同じように、戦争を経験しなかったことによる豊かさがもたらしているものであろうことは、トリエラにはよくわかった。
「こんな人達が沢山いれば、サヤカはあんな思いしなくても済んだのかな……」
そんな思いが、無意識のうちに、トリエラの口から漏れた。
「……?トリエラ?」
トリエラの三歩先でくだらない話に花を咲かせているアオイ達が、振り向いて、そう言った。
その気楽さがなんとなく気に入らないという気持ちはあったが、それがどこか自分の気持ちを落ち着かせてくれた。
「アオイは、どう思うの?サヤカのこと……」
「……」
「サヤカは、あなたのお姉ちゃんを殺しちゃったことを気にしてるんだよ?」
「……」
アオイは、何も言わなかった。
茜色の空に照らされるように隠れたアオイの表情を眺めながら、トリエラは続ける。
「……もちろん、覚えてないのは知ってる。この前の戦闘の後、サヤカに会いにいってたのも、知ってる。最近、ずっとサヤカのことを気にしてるのも、知ってる……」
「……」
「……でも、肝心のアオイがどう思ってるのかは、知らない。だから、知りたい」
「……」
「だから、教えて。アオイが、どう思ってるのか」




