ハタエ・サヤカについて その2
入学からやく8ヶ月。
初めての首位陥落によって呆然となってたサヤカの元へ、濃いクマが目立つ目に、自信満々な笑みを浮かべたアリシアがやってきた。
「今回は私の勝ちですわね……」
アリシアはそれだけ言って、がくりと項垂れた。
友人らしき二人組が倒れた彼女の肩を支えて、続ける。
「アリシアちゃん、ここ最近寝ずに勉強してたんだよー!」
「『あんな啖呵切ったのに負けたら恥ずかしいですわ』とか言って、試験終わった後も全然寝れてなかったんだけどね」
そんなことを言い合って、くすくすと笑う二人。
「良かったね、サヤカさん」
二人が声を合わせて放った言葉の意味が、サヤカにはわからなかった。
「アリシアさん、あなたのこと、ライバルだって言ってたよ」
二人は首を傾げたサヤカにそう言って、足早に走り去ってしまった。
サヤカはぽかんと口を開けたまま、掲示板の前で立ち尽くしている。
その胸の中に湧き上がる感情は、それまでにあまり感じたことのない物だった。
それは、「なんとなく気に入らない」というものだった。
負けたのが悔しいという気持ちと、一体何が彼女をそこまで駆り立てるのかという疑問が複雑に混ざり合って、「私みたいな目に会ったこともないくせに」というある種屈折した思いを抱かせたのだ。
その思いに突き動かされるようにして、一年。
1年生最後の試験にて、ハタエ・サヤカはアリシアに勝った。
その時のことを、サヤカはよく覚えている。
成績表の一番上に、自分の名前があった時、思わず視界が歪んでしまったこと。
悔しそうな表情を浮かべながらも、『次は勝ちますわよ』と笑ってくれたアリシアのこと。
その頃には「なんとなく気に入らない」という思いも消え去っていて、嬉しいという感情で一杯だった。
それはおそらく、目標が正確に定まっていたからだ。
『目的の為に障害を倒す』という目標のために当初の目的を忘れてのめり込んでいたからだ。
アリシアを倒す為勉強をしていた時間は、アオイへの罪悪感を忘れることができる時間だった。
「私は、いやだよ……」
サヤカはアリシア・アーホルンの左手を取り、そう呟いていた。
「わがままを言わないでくださる?」
アリシアは、サヤカの手を払って、言った。
「私は貴方の親ではありませんのよ」
アリシアはサヤカの手を取る。
「私がなれるのは、お友達までですわ。だから、いうことをなんでも聞いてあげることはできませんし、全ての問題を解決してあげることも、できませんわ」
「じゃあ、私は、どうすればいいの……?」
サヤカは、悪い夢を見ている子供のように呻いた。
「私は貴方の親ではないと言いましたわよね?自分が何をすればいいのかなんて、自分で考えてくださいまし」
そう言って去っていくアリシアの背中を、サヤカは追うことができなかった。
————
「暑い……」
シームーンの大通り、アスファルトの歩道を歩いている3人組から、そんな声が漏れた。
その3人組は、アオイとトリエラ、そして、エストだ。
軍服の首元を汗で汚しながらも、彼女達は海に向かって歩いている。
目的はただ一つ。この街、シームーンの地理の確認だ。
余裕があるなら街を確認しておきたいというアオイのアイデアに乗る形でトリエラとエストが着いてきたのだ。
「戦争の時も、いつもこんなことしてたわけ?」
エストが問いかけた。
「余裕があればね」
「こんな地味な仕事、パイロットがすることじゃないでしょ」
「戦争の時は、人手不足だったからね。それに」
アオイの言葉の続きを確かめるように、トリエラが相槌を打った。
「それに?」
「街を歩くのは、楽しいよ」
アオイの脳は、その時の記憶を思い浮かべるのを拒んだ。それでも、楽しかったような気がしたのだ。
街中に散りばめられた無数の文字が、あまり苦ではなくなっているのが、何よりの証拠だった。
「でも、やっぱり地味だよ。暑いし、フーシャみたいに部屋に篭ってればよかった」
文句を言いながらも、なんだかんだ付いてきてくれるエストに苦笑しながら、アオイは海に向けて歩を進める。
目的地は、海のそばにある、大きなドーム状の建物。
街の中心部にある送電塔の次に大きくて、とても目立つ建物なのに、教会軍から渡された地図には何も書かれていなかったその建物がどうしても気になったのだ。
「ここだね……」
すぐそこまで近づくと、その建物の大きさがよくわかった。
その建物は小さな村がすっぽり収まってしまうくらいの大きさで、多くの人が出入りしていた。
その中にはアオイより小さな子供もいて、親と手を繋いでいた。
「とりあえず、入ってみようか?」
何やら不機嫌そうなエストと、すでに何かを掴んでいるらしいトリエラにそう聞いて、アオイは扉の前まで進んだ。
押し扉の取手を掴み、全身で押し開く。
「おぁ……」
扉を開けたアオイの元に、強烈な湿気が迫ってきた。
見渡す限り、水、水、水。
一体どれだけの時間蛇口をひねればこれだけの量が出るのだろうかと思えるくらいの大量の水が溢れんばかりに蓄えられたプールが、そこにはあったのだ。




