第175話 聖騎士の酒席
「では改めて、再会を祝して」
グラスを合わせて乾杯すると、たっぷりの氷で冷やされた上質な果実酒を味わう。
マリティアは芳醇な香りと果実の自然な甘さを堪能してうっとりとグラスの中の果実酒をみつめた。
「こんなに美味しい果実酒は初めてです」
「お気に召したようでなによりです。これは、私の祖国で独自開発された果実を使ったもので市場にはほとんど流通していない希少品なんです」
氷が解けて酒と交わるほどに香りと味わいが変化する。
ボトルのサイズは大きくないが、2人きりの酒席でじっくり氷と共に味わった後、残りを紅茶に混ぜて味わうには丁度いい量だった。
「祖国の品ということは、本当に希少なものではありませんか。よろしかったのですか?」
「聖ゾフィー帝国の聖騎士であるマリティア様以上に振る舞うに相応しい方はいらっしゃいませんよ」
互いに社交的な笑みを交わして、和やかな雰囲気を作る。
レスティオとマリティアの後ろにラハトとシャナが控えている以外には、馬車には誰もいない。
防音もしっかり施されているので、側仕えをカウントしなければ二人きりの空間。
「で、今日はマリティアの話を聞くという姿勢でいいのかな?俺はゾフィー帝国を出た後は元の世界に帰っていたから話すことも然程ないけれど」
「やはり世界を渡られていたのですね……その話も是非ともお聞きしたいのですが、そうですね、まずは話を聞いていただきたいです」
果実酒のグラスは一旦氷が解けて来るのを待つべくテーブルに置く。
姿勢を正したマリティアの真剣な表情にレスティオは自然と身構える。
「実は、私の元婚約者であるルヴァイエ・ドーラ・ディアブロ王子殿下が、アルジェア王国に召喚されたのです」
「ほぉ?」
思いがけない報告にレスティオは目を瞬かせながら今後の為にもなる情報だろうと真剣に耳を傾ける。
話は、アルジェア王国の救援に向かった時まで遡った。
ゾフィー帝国の部隊は、アルジェア王国に迫ろうとする魔物たちを切り払いながら、隊列の殿に着くべく進んでいた。
隊列の前方はただひたすらに駆け抜けていくが、隊列を守る兵たちの移動速度は比較的遅く、後方には逃げ遅れている姿もあった。
マリティアは魔物を食い止められさえすれば前方の護衛までは必要ないと判断し、ゾフィー帝国の者たちに魔物の討伐を優先するように指示した。
「皆っ!一人でも多くの人を救いましょう!しかし、誰も死んではなりませんよっ!」
「おうっ!」
マリティアは自身の護衛を務めるグリッド・エフマンの部隊を呼びつけ、アルジェアの隊列へと近づく。
魔物の討伐は他の者に任せられるが、負傷者がいた場合に助けられるのは自分だけだ。
手負いの兵を見つけては聖の魔術で癒していく。
それに気づいた御者の一人が表情を緩めたのを見つけて、マリティアはぐっと歯を食いしばって声を張った。
「戦場を抜けるまで気を緩めなぁっ!走り抜けぇ――!!」
「はいいぃぃーっ!」
美しい少女からの怒声にアルジェア王国の者たちは震え上がって馬を急がせ始めた。
そんな時。
「マリティアッ!」
聞こえてきた声に気を取られそうになったが、気を引き締めて、近くに迫っていた目の前の魔物を切り払った。
助ける前にやられては元も子もない。
ぐっと愛馬の手綱を握ってサーベルを構え直す。しかし、声を無視できずに振り返ると、目の前で御者に魔物が飛びかかっていた。
「っ、くそぉっ!届けっ!」
サーベルを突き出して放った氷の矢が魔物に届くのは、御者の肩から血が出るのとほぼ同時だった。
「はぁあっ!!」
馬を走らせて、馬車に飛び移ると魔物を蹴り払う。
宙を舞った魔物はすぐにオルフェ・ザガの手によって地面へ切り捨てられた。
「ま、マリティア……様……」
震えた少女の声には酷く覚えがあって、マリティアは冷や汗を掻く。
今はそんな状況じゃないとわかりながらも馬車の中へと目を向ければ、記憶にある懐かしい者達の姿がそこにあった。
元婚約者であるルヴァイエ。ルヴァイエの護衛であり同級生でもあったホリック・ストランド。
親しくしていた伯爵家の令嬢デイジー・アインツ。同じく、ハンナ・アイリーン。そして、子爵家の令嬢ミーナ・アデル。
皆が怯えた表情でこちらを見上げている。
「君はマリティアだろっ!き、危険だっ、こちらへ早くっ!」
ルヴァイエに手を伸ばされて、マリティアは泣きたくなった。この場で、救いの手を差し出しているつもりなのか。
「っ、なにをしているのですっ!御者を早く癒しなさいっ!あなた達も聖の魔術は使えるでしょうっ!」
「君まで何を言ってるんだっ!俺たちに魔術なんてもの使えるわけがないだろうっ」
当然の事のように叫ぶ声に絶望を感じてしまう。
数か月前の自分も同じようなことを日々口にしていた。
だが、今はそれではいけないと思っているからこそ、ここでこうして戦っているのだ。
「あぁ……揃いも揃って使えないっ!」
飛びかかってくる魔物をふつふつと湧き上がってくる怒りとともに切る。
魔物の返り血を浴びると、馬車からは悲鳴が上がる。
振り返れば襲われたわけでもなく、ただ返り血を浴びた姿に怯えているだけ。
思わず舌打ちする。
ゾフィー帝国の人間がかつての自分をどう見ていたか、身をもって理解した。
心配するなら、せめて共に剣を握るくらいの気概を見せてくれたらいいのにと、思ってしまう。
「グリッドっ!援護なさいっ!」
「はっ!」
グリッドが駆けつける中、マリティアは御者の横に膝をついて状態を確認する。
気を失っているが、息をしている。死んでいないのであれば、癒しをかけることが出来る。
傷を癒やすなり御者の頬を強く叩くと、意識を取り戻させた。
「後が詰まってるから急いで!私は戦線に戻りますっ!」
手綱を握り直した御者の隣から降りて、愛馬の背に跨り、マリティアはより負傷者の多い後方へと駆け出した。
程よく氷の解けたグラスを傾けて、レスティオは首を傾げる。
「アルジェアは、5人も同時に召喚したというのか?」
これまで、複数人を召喚したという話は聞いたことがなかった。
男が召喚される異例の事態も起きているのだから、それもない話ではないのだろうと思うがそれにしても多い。
そもそも、それぞれの国に紐づく世界があると思っていただけに、ゾフィー帝国以外がマリティアと同じ世界から人を召喚したことにも驚いた。
「正しくは6人です。内、聖の魔術が扱え、今回の大陸会議で聖女と認められたのは1人だけ」
その人の名前は、レナ・カミキ。
マリティアの知らない、明らかに別の世界の大人の女性だった。
見た目は華があるタイプではなく、地味でおっとりとした雰囲気だが、聖女と言う役目には使命感を持っているようで堂々と挨拶していた。
「レナ・カミキ、か……」
同時に複数人を召喚しただけでなく、世界も跨いで召喚した。
それは一体どんなからくりなのか。最早神域を尋ねて問いただしたい気がしてくるが、アイオローラの手を必要以上に煩わせるのは気が引ける。
「まぁ、とりあえず、マリティアとしてはルヴァイエ殿下と会えて嬉しかったんじゃないのか?」
「それなんですが……」
苦い顔をしたマリティアは、気分を落ち着かせるように果実酒を口に含んで、締めている窓の方へと視線を向けた。
外には護衛に立つオルフェとセバンの後ろ姿が見えていた。
「大陸会議の場で、アルジェア国王陛下はルヴァイエ殿下との婚約の事を口にされました。ルヴァイエ殿下は魔力に目覚めていない身ではありますが、私の婚約者としてその場で紹介し、ゾフィー帝国との友好を望むとともに聖なる者の結びつきを祝福するとかなんとか」
レスティオはマリティアの言葉に徐々に苛立ちが籠もる様子を見て、はて、とシャナに目を向ける。
事情を既に把握しているシャナは苦々しい表情で頷きながら話を聞いていた。
「望ましい話ではなかったのか?」
「…………」
「……なるほど。別に好きな男が出来たか」
マリティアは、うっ、と言葉を詰まらせた。
そして、視線をそっと逸らす。
「オルフェか?」
「あぁっ……そう、そうなのです……」
先ほどの視線の動きは実にわかりやすいものだった。
がくりと項垂れたマリティアは耳まで真っ赤になっていた。
「へぇ、告白はしたのか?」
「出来るわけないじゃないですかっ!聖騎士になった私が告白なんてしたら、強制的に婚約して、近々結婚ということになってしまいます!」
ただでさえ今はマリティア様の意向を第一に、となんでも意見を受け入れてくれる状況。
皇族は望まない婚姻はさせないと約束してくれたが、同時に望む相手がいれば叶える為に尽くすとも言われている。
「オルフェは私を聖女として主人として、あるいは、妹のように接してくれます。そこに恋心がないのは誰の目から見ても明らかなのです」
側仕えたちは、オルフェがマリティアから信頼を得た最初の護衛騎士ということもあって悪いとは言わないが、鈍感で色恋を全く分かっていない男と呆れている。
中には、戦場を駆ける中で最も近くにいるからカッコいいと錯覚してしまっているのではないか、と諭す者もいる。
「とはいえ、オルフェの事を想うようになって、ルヴァイエ殿下への気持ちが一切無くなってしまったのは事実。なので、私はスクワロー公爵家の娘ではなく、聖ゾフィー帝国の聖騎士として尽くす所存であり、婚約はなかったものとするようにお断りしました」
今回初披露目の聖女に纏わる一連のやり取りに各国は明らかに戸惑っていた。
ひとまず、聖ゾフィー帝国としてはマリティアの意向を最優先とすることを改めて約束してくれた。
しかし、今一度話をと聖アルジェア王国から持ち掛けられ、マリティアは逃げ出すように魔物討伐への協力に名乗りを挙げて今に至る。
「ややこしいことになっているんだな」
「はい。噂程度ですが、アルジェア国王がレスティオ様に謁見を求めるべく、ロデリオ殿下の婚姻の儀に参列を表明したとの話もあります」
「アルジェア国王自ら?」
冬の大陸会議での交流を踏まえれば、レスティオに対してなんらかの誘いがあること自体はおかしいことではない。
しかし、マリティアがその情報を把握していることと、わざわざ婚姻の儀への参列を表明した理由には首を傾げた。
「魔物が蔓延る道を行くより、聖オリヴィエール帝国から航路で帰還する方が安全。という思惑が半分。加えて交渉の場においてレスティオ様を味方につけておくことは、エディンバラ大陸では大きな意味を持ちます。レスティオ様ならば心配は無用とは思いますが、念のため、私の意向は先にお伝えさせて頂きます」
我が身可愛さで行動する権力者という図式はわかりやすい。さらに、レスティオの後押しを得て、ルヴァイエをマリティアと結び付けてなにかしらの国益を得ようと目論む。
そんなアルジェア国王の姿を思い浮かべて、レスティオは納得した。
「皇族が合流したら俺も色々探ってみるよ。折角築いた友好を反故にしたくはないからね」
「心強い限りです」
果実酒を飲み干すと、レスティオはゾフィー帝国の果実酒だと差し出されたボトルに頷いて、もう暫し酒席を続けようとグラスが交換されるのを待つ。
「次はレスティオ様がお話になる番、でよろしいのですか?」
無理にとはいいませんが、と気遣う様子のマリティアにレスティオは苦笑した。
重傷を負って帰還し、朝食を前に涙するという醜態を晒した手前、なにも説明なしというのは居心地が悪い。言い訳のひとつしなければ男としてのプライドに関わる。
「祖国に帰られたのに、どうしてこちらに戻ってきたのですか?」
「祖国を守る為、だよ」
マリティアは意味が分からないと首を傾げた。
きっと、婚約者より護衛騎士に恋している今のマリティアならば、帰国を羨むことはないだろう。
ひとつ気遣わなければならない理由がなくなったレスティオは、どこから話そうかなと呟いて用意された果実酒を一口喉に流した。
「俺が帰った時、祖国は戦争の最中で滅ぼされかけていたんだ」
「え?」
「俺のように特別な処置を加えて強化した人種を受け入れられない諸外国が連合を組んで攻撃を仕掛けてきたらしい。俺の世界の神であるアイオローラは、なるべく早くこちらに戻したいといっていたのだけど、俺は戦争を止めて祖国を救いたかった」
後ろでラハトが息を呑んだのがわかった。
マリティアも表情を緊張させてレスティオの話を聞いている。
「戦争を止めて、祖国を復興させ、平和へ導いてくれることを条件に、俺はこちらに戻り役目を果たすことをアイオローラに誓った」
「……止まったのですか?」
レスティオの帰還時の状態を思い出して、マリティアは震えた声で尋ねた。
聞いていいことなのか迷いながらも、共に神に振り回されるようにしてこの世界に来た者同士、理解しようと努めている。そんなマリティアの優しさにレスティオは穏やかに笑みを浮かべた。
「終わらせたよ。軍の同僚たちとも協力して、最終決戦は被害を最小限に抑えた。本当は、仲間たちと祝杯を挙げて帰ってきたかったんだけど、最後まで抗う者たちとの戦闘で負傷して、俺はこの世界に強制送還された」
マリティアは安堵したように微笑んで、そしてふふっと肩をすくめて笑った。
「その分の祝杯をあげるべく、昨日の酒宴を催したのですか?」
「バレたか……」
「……レスティオ様、改めて祝わせて下さいませ」
グラスを手に取ったマリティアの意図を汲んで、レスティオもグラスを手に取る。
祖国の名を聞かれて答えると、マリティアはグラスを寄せた。
「エリシオール合衆国の戦争の終結を祝し、平和な未来の訪れを願って」
「ありがとう……」
カランっとグラスを合わせると、レスティオは込み上げてきそうになる涙を堪えた。
時間が経つにつれて少しずつ受け入れられている自分に安堵する。
レスティオは、帰国時に保護してくれた異世界人だらけの組織の話を土産話に語った。神の分け身の女性が自分と瓜二つだったこと、前世の妹と知り合ったこと、ラビ王国の聖女の妹がいたこと。
マリティアは知らないだけでそんなにも多くの世界があり混ざり合っているのかと驚きながらレスティオの話に聞き入った。
ラハトが酒席の終わりにお茶を用意する間、レスティオとマリティアは一度馬車を降りた。
野営地には警備の兵が数名いるだけで、他の者たちは皆ノースヴェン森林に入っている。
今朝早くに魔物がほとんどいないからこそ新兵に魔物を討ち取らせるのだ、と張り切って出て行ったきり静かだ。
「オルフェ、ゾフィー帝国の兵の調子はどうだ?腕は上がったか?」
「はっ!日々鍛錬に励んでおります!」
改めて見ると、オルフェは以前より体格が良くなったようだった。
誰からも期待されていない騎士の一人ではなく、今や聖騎士マリティアと共に前線を駆ける護衛騎士としてしっかり鍛えられている。
討伐時に見た戦いぶりからはまだ動きが怪しい所もあったが、数ヶ月の成長と思えば十分伸びしろが感じられる。
「そうか。頼もしいな」
「はい。私が鍛えておりますから」
にっこりと笑顔を見せるマリティアに、レスティオは納得した。
貴族こそ強くなくてはならず、鍛えて然るべき。そんな考えを持つ国から来た彼女の指導とあれば成長もするというもの。
「聖ゾフィー帝国は安泰そうだな。となると、聖アルジェア王国が今後どう出てくるか、か」
「そうですねぇ。レスティオ様の負担になるようなことにならなければよいのですが」
まだ、気が休まりきらないですよね。と気遣うように言われて、レスティオは苦笑した。
昼の鐘が鳴って、少し過ぎた頃に兵たちは帰還した。
昼食はギョウザと肉団子と野菜がたっぷり入ったスープが配られる。
余り物をとにかく放り込んだだけだが、素材のうまみがスープに滲み出ていて皆満足な顔で食べ尽くした。
「レスティオ様、マリティア様。討伐の方はもう問題ないと判断いたしました。午後はこちらで訓練を行いたいと思います」
ソリッズの報告を受けて、レスティオとマリティアは訓練に付き合おうと頷き合った。
御者役として同行していた東部帝国軍の兵は、討伐完了の報告を大陸会議場へ伝えるべく駆けだして行く。
気づけばもうそろそろ大陸会議も閉会の時期が近づいていた。
章タイトル「聖なる集い」に繋がる話でした。
アルジェア王国に召喚された6人については暫く先になる予定ですが。(予定は未定)




